リリの家 1
どことなく気まずい雰囲気のまま2人とも無言で歩いていると、突然フェリスが立ち止まった。ななめ後ろを歩いていたプリエはフェリスの肩に肩をぶつけた。
「何?急に止まらないでよ」
フェリスは道の少し先をじっと見つめている。「やっぱりサビママだ」
プリエはフェリスの視線の先を見た。黒っぽい成猫がこっちに向かってゆったりと歩いてくる。
「あ、そうか。さすがリリ。助かった」フェリスは嬉しそうに独り言を言った。
サビママはフェリスの足にスリンと体をこすりつけた。フェリスはサビママの背中を軽く一撫でして言った。「プリエ、この猫、サビママって言うんだ。良くみて、覚えて。目に焼き付けて」
「どうして?」
「いいから、これですぐにリリの所に行けるからさ」
よくわからないけど、まあ良いや。猫、好きだし。
プリエはしゃがんでサビママにゆっくりと手を差し出してみた。サビママはプリエの指先をクンと一嗅ぎして、そのまま頬をすりつけた。プリエが顎の下をそっと撫でると、サビママは一瞬だけ目を細めた。
「この猫、なんかすごい。どっしりしてるって言うか…」
これといって特徴のない普通のサビ柄で、決して大柄な猫でもない。が、大きく感じるような独特の存在感があり、何もかも見透かすような落ち着き払った金色の瞳が何ともいえない風格を感じさせる。そんな猫だった。
「うん。サビママはすごいんだ。覚えた?」
「うん」
「サビママ、良いよ。リリの所へ戻って」フェリスがそう言うと、サビママはフェリスを一瞥して消えた。
「えっ?消えた?」
「リリの所へ戻ったんだ」
「へ…あの猫…サビママ、言葉わかるの?」
「うん。わかってる。賢いんだ。さあ、サビママの所へジャンプするよ」
「ジャンプ?」
「んと…瞬間移動。 嫌かもしれないけど、ちょっと我慢して」フェリスはプリエをくるむように抱きしめた。
「ちょっ…何すんのよ」
「もう、あばれんなって。僕もしたくてしてるんじゃないんだから…我慢して」
「え?」
「いいから。サビママを思い浮かべて、サビママの所へ行くって念じて」
「何?」
「いいから早く、声に出してもいい」
もう、なんかわかんないけど…「サビママの所へ行く」そう言うと同時に、プリエはめまいを起こしたような感覚になり、まぶしさを感じて目を閉じた。
「成功した。ユーディの言ったとおりだ。プリエ、着いたよ」すぐにフェリスの声がした。
プリエが目を開くと、そこは白っぽい広い部屋の中だった。すぐそばにサビママが居る。
ここ、どこ?
「ありがとう。サビママ」フェリスは腰をかがめてサビママの額をなでた。サビママは気持ちよさそうに目を細めた。「ホント助かったよ」今度は、前に立っている若い女性に嬉しそうに声をかけた。
「でっしょー。ユーディが連絡くれたから、困ってると思って」そう言うと、女性はサビママの前にしゃがんだ。「ありがとう、サビママ。任務完了のお礼は何が良い? え?削ったのじゃなくて塊の方?りょーかいっ」女性がサビママの前に手を差し出すと、手の上に鰹節の削る前の塊が現れた。サビママはその鰹節の塊をくわえて、プリエをちらっとみると、鰹節をくわえたままゆったりと歩いていった。
今の何?…手品?
「リリが来れる所まで行けば、来てくれるだろうって期待してたけど、歩いて行くと遠そうだなーってうんざりしてた」フェリスは女性に親しげに話しかけている。
「ふふっ。だと思って。サビママに頼むなんて名案でしょ?」
「ほんと、リリすごいや、僕には思いつかないよ」
あれ?この人がリリ?
プリエはリリをよく見た。
鮮やかなサーモンピンク色のショートヘアーに、オレンジ味の強いサーモンピンク色の洋服、何より目を引くのは、三毛猫風の猫耳に猫しっぽ。銀の紐ではなく、明らかに猫のしっぽ。年齢はせいぜい二十歳くらいにしか見えない。
この人がフェリスの育ての親?若い…というか、コスプレギャル?
フェリスはプッと笑ってプリエを見た。「こっちでは、見た目と年齢って関係ないからね。ユーディなんて、もう数えられないくらいの年だろうし」
へっ?
「プリちゃー、久しぶりー。大きくなったわねー」リリは大きな瞳をキラキラさせて嬉しそうにプリエをハグした。
え?あたしのこと知ってるの?あたし、こんなコスプレイヤー知らないけど…?
プリエはハグされながら、リリの猫しっぽが目について、なんとなく握ってみた。
「ひゃっ!」リリは三毛猫風の猫耳をピンッとたて髪の毛を逆立てて飛びのいた。「もうプリちゃ、しっぽ握っちゃダメだよ。敏感なんだから」
「え?」
「それ、コスプレじゃなくて、本物だからね。猫耳もね」フェリスは笑いをこらえている。
「は?この人、猫?」
「んー、半分?そのうち手も猫手になって肉球とかできるんじゃないかな」フェリスはふざけた調子で言った。
「もし肉球できたら、肉球でほっぺぷにぷにしてあげるー フェリちゃ、楽しみにね!」リリは猫しっぽと猫耳をピンッとたて、猫みたいな大きなキラキラの目をして、ぷにぷに言いながら、楽しそうにフェリスの頬を両手で挟んだ。
「もう、リリ、やめろって」フェリスは恥ずかしそうにリリの手をどけた。
「なぁに、プリちゃの前だから、格好つけてるのー?ホントは甘えん坊のくせに ほーら、ぷにぷにしてあげるってば」
なんだろ、親子っていうより、コスプレ姉さんに絡まれて困ってる純情少年って感じ。
フェリスは、プリエを睨んだ。
「あ、あたしの考えてること、わかるんだっけ」プリエは苦笑いした。
「ミャー」突然足元から可愛い鳴き声がして、プリエは声のした方をみた。小さな白い子猫がプリエを見あげている。
「ゥミャー」子猫はプリエに向かって、もう一度可愛い声を張り上げた。小さな口をいっぱいに開けてプリエを見つめて必死に鳴いている姿が、たまらなくいじらしい。
「かわいぃー」プリエは叫びたい衝動をなんとか抑えて、絞り出したような声でそう言うと、しゃがみこんで子猫の前に手を出した。「おいで」
子猫はプリエの手をクンクンして手の上によじ登った。片手の上に収まる程の小さな子猫。真っ白のふわふわの毛並で、大きな瞳はきれいなキトンブルーだ。プリエは子猫を手に乗せたまま立ち上がった。
「その子、ちびニャよ」リリが笑顔で言った。
「ちびニャ」プリエは名前を呼んでちびニャを撫でた。ほわほわっとした華奢な感触がたまらない。「ふわっふわ。かわいー」プリエは子猫にメロメロな顔つきになっている。
「ほんと、小さいって、かわいいってことよねー」リリもプリエと同じような顔になっている。
「メス?オス?」プリエはリリに聞いた。
「女の子。 ちびニャが大きくなったねって言ってるよ。 見た目は子猫なのに大人っぽいこと言ってるね」そう言ってリリは声をたてて笑った。
え?言ってる?猫が?
「リリは猫たちの言ってる事がわかるんだ」フェリスは少し自慢気に言った。
「そうなんだ。すごい。フェリスもわかるの?」
「僕は…プリエのならわかるけど。 すごい?」
「すごくない」プリエは少しだけ口をとがらせた。
ちびニャは、プリエの腕をよじ登り始めた。
「あはっ、ちびニャ、上手に登るね」プリエはちびニャが腕をよじ登るのを笑顔で見守った。
「プリちゃ、小さい頃、良くここに来て猫たちと遊んでたのよ。ちびニャと仲良しだった」
え?どういう事?
「向こうで寝てる間にこっちに戻るって言ったろ。覚えてないだけで。って」フェリスが答えた。
ちびニャはプリエの肩まで登り切って首を伸ばして周りを見ている。
「あ。あたし、ここ来てたの?寝てる間に?」プリエは家の中を見渡した。
白くて日当たりのよい明るいきれいな家。仕切りがなく広いワンルームのようになっている。高い天井を見上げると、低めの位置から本当に高い位置までランダムに木の板が渡されている。大きな虹が描かれた壁には階段状に木のステップが取り付けられてあって、天井の木の板と併せてキャットウォークが出来上がっている。ステップに合わせて高い位置にも窓があり、そこから外を眺めている猫の姿もあった。猫の爪とぎや、猫のおもちゃ、猫ベットも色んな種類のものがそこらじゅうに備えてある。日向ぼっこのできそうなガラスばりの大きなサンルームもあり、完全に猫仕様の家。人が使いそうなものといえば、円いダイニングテーブルと椅子、4~5人座れそうな大きなソファーが一つあるくらい。が、テーブルの上にもソファーにも猫が寝そべっている。サンルームには猫草や色とりどりの花が咲いていて、その脇には蛇口があり、猫が一匹、したたり落ちる水を直接蛇口から飲んでいた。そして、なんといっても特徴的なのは部屋の真ん中に一本、屋根を突き抜けてまっすぐに伸びている大きな木。緑の葉が茂っていて生き生きとしている。
「そういえば…あたし、小さい頃、お母さんに家の真ん中に木植えようって言って何バカな事言ってるのって言われたことあった…」
「ははっ。それ、プリちゃの無意識がここの事覚えてたんだろね」
「無意識?」
「意識できない意識。みたいなの。向こうで目が覚めるとこっちでの事は覚えてないんだけど、無意識にはしっかり刻まれてるの。あっちでの、何故かわからないけど惹かれるーとか、気になるーって、大抵こっちでのことが絡んでる。無意識が覚えてる。プリちゃ、猫好きでしょ?」
「うん。猫、飼いたかったけど、ダメって言われた」
「それも、きっと無意識。プリちゃ、ここで猫たちと楽しそうにしてたからねー。さっきから見てると、猫の扱い方もわかってる。それもここでの昔のことが無意識に刻まれてるからなんだろね」
「そうなんだ」確かに、なんかここ懐かしいような気もする。
もう一度、家の中を良くみると、キャットウォークの上や、木の枝、猫ベット、いたる所に猫が居る。
少なく見積もっても10匹以上は居るよね?猫屋敷?
「うん。猫屋敷だけど、こんなもんじゃないよ。外に行ってる猫たちも居るからね」フェリスは含みのある顔で笑った。
「今は寝てる子が多いから静かだけど、1人火がつくと、追っかけっこが始まったり、連鎖して大運動会になったりするよー」リリは嬉しそうに大きな瞳をキラキラさせた。
「へー、楽しそう!フェリス、ここで育ったんだよね?」
「まーね。今もここで暮らしてる」
「いいなぁ」プリエは心底羨ましそうに言った。
しばらく肩に乗っていたちびニャが、プリエの少しくせのある栗色の髪をよじ登りだした。
「え、ちびニャ、ちょっと」
ちびニャはすぐに登りきって、頭の上にちょこんと座りこんだ。
「あはっ。プリちゃの髪、登りやすいんだ。フェリちゃのは登りにくそうなのにね」
「あたしの髪はあんなふにゃふにゃじゃなくって、太いから」プリエはフェリスのやわらかそうな金髪を見て少しふくれた。
「プリちゃの栗色の髪に白いちびニャが良く映えるねー。ちびニャね、肩とか頭の上とか好きなの。 え、何? フフッ、ちびニャ、座り心地良いって言ってるよ」
「そうなんだ?」なんか悪い気しない。「ずっと乗ってて良いよーちびニャ」プリエは嬉しそうにそう言った。
「プリちゃ、ほんとに大きくなったね。すっかり来てくれなくなって、また会えてほんとに嬉しい」リリはくったくのない笑顔を見せた。
「来られなくなった。が、正確だけどね」フェリスが口をはさんだ。
ん?どういう意味?
「ここ、かなり純粋な人でないと来れない場所なんだ」
「あたしが純粋じゃないってこと?」プリエはフェリスを見て口を尖らせた。
「かなりって言ったろ。向こうで暮らしてると、大きくなるにつれて純粋じゃ居られなくなるみたいだし、普通だよ。ここら辺は肉体持ってる人が来れるギリギリの場所でもあるしね。ここより上は銀のしっぽついてる人は無理なんだ。大体、プリエが今ここに居られるのだって僕が居るからなのにさ…」
「え? あれ?あたし、ちびニャと仲良しだったの?ちびニャ、子猫…だよね?」プリエは不思議そうにリリを見た。
「ちびニャはずっと子猫のままなの。まあ、立ち話もなんだし、座って話そっか」