救出
プリエは、アパートメントの階段を上がって2階の一室の前で止まった。ここはプリエの母親が借りている部屋。母一人子一人でずっとここで暮らしている。中で何か言い争っているような声が聞こえる。プリエの母親とその恋人の声だった。
「だから、プリエがもう少し大きくなるまで結婚は待ってって言ってるの」
「もう大きいじゃないか」
「プリエはまだ14歳よ。微妙な年頃だから今は避けた方だ良いと思う」
「プリエ自身は良いって言ってたじゃないか。僕もプリエとは仲良くしてるんだし」
「ええ、でも、あの子、きっと良くわかってないのよ…」
「じゃあ、プリエがいくつになるまで待てば良い?成人するまで?働きにでるまで?この家を出るまで?」
「それは…」
「君はいつもそうやってこの話から逃げる。プリエを言い訳にしてるだけじゃないのか?僕は、君との子が欲しい。君は結婚しないと子供は嫌なんだろ?だから早く結婚したいんだ。君は僕の事、嫌なのか?」
「そんなことはないわ」
プリエが会話の内容に入るのをためらっていると、突然、隣の部屋のおばさんが出てきた。
「あら、プリエちゃん、こんにちは」
「あ…」プリエは、軽く会釈した。
「プリエ?!」母親は、あわてて中から扉を開けた。きれいな流れるような長い金髪が揺れた。
プリエは母親とばっちりと目があった。お互い気まずそうな顔をしている。
「プリエ、あの…お帰り」母親はそういって、プリエの栗色の髪の頭を抱き寄せた。
「…聞いてた?…よね…気にしないでね」繊細な印象の母親はぎこちなくプリエに笑いかけて、すぐに目を逸らした。
プリエはなんだかたまらなくなり母親を突き放し、先ほど上がってきた階段の方へ走っていった。
「プリエ、待ちなさい」母親はプリエを追いかけて肩に手をかけた。プリエは母親の手を払い、その反動で階段から足を踏み外してしまった。
「プリエ!」母親が片手を伸ばした。
プリエも片手を伸ばしたが、母親の手をつかまずに、後ろ向きに階段から落ちた。
「プリエー!」
プリエは気付くと、薄暗い場所にポツンと立って居た。
ここ、どこだろ?周りが良く見えない…霧?あたし、階段から落ちて…
プリエは自分の体を確認してみた。
どこもなんともない?痛くもない。 何?このしっぽみたいなの…
プリエは自分の体からしっぽのように出ている銀色の紐に触れようとしたが、手がすり抜けた。
「え?」何、これ。触れない?
良く見ると、紐の先はフェードアウトしていて、紐自体も半透明になっている。
「居た」「あの娘だ」離れた所から声が聞こえた。
プリエが声のした方を見ると、数人の人影なようなものが見えた。何故か視界が急にクリアになっている。
何、あのグレーな人たち。なんかすごく…気味悪い。人?…だけど、あんな全身グレーって有り得ないし。あたし、もしかして死んだのかな?わっ、こっちに向かってくる…
プリエは後ずさりした。グレーな人たちはもう十数メートル程の所まで迫ってきている。
どうしよう…とにかく逃げなきゃ
そう思った瞬間、突然、頭上に白く光る穴が開き、そこから華奢な白い手がプリエに向かって伸びてきた。
「ひっ!」プリエは思わず、白い手を避けて、その場に座りこんでしまった。
「ばか、避けるなよ」頭上から少年の声がした。「プリエ、手を伸ばして」
「え」あたしの事知ってる?けど、この手、何?あのグレーは気味悪いけど、頭の上の穴から手ってのもちょっと…
「いいから、僕の手をとって!早く!あまりもたない」
え?けど…
前に目を戻すとグレーな人たちが数メートルの所まで迫っている。顔もはっきり確認できる。表情も乏しくますます気味悪く感じる。
何かわかんないけど、あのグレーの方が怖いっ!いや!
プリエは片手をいっぱいに伸ばして白い手をとった。白い手はプリエをひっぱりあげようとしている。プリエは必至でもう片方の手も重ねた。
もう、誰でも良いから、早く、あげて!
白い手も両手でプリエを引き上げている。宙吊りになっているプリエの足を何かがつかんだ。「いやー!何なのよー」プリエは必至に足をばたつかせて振り落とそうとした。
「うわっ、あばれんなって」上から焦った少年の声がする。
それでもなんとかプリエがひっぱりあげられると同時に穴が閉じた。
「はぁ…焦った」少年はその場に座りこんだままつぶやいた。
ひっぱりあげられた態勢のまま地面に這いつくばっていたプリエは上半身を起こし、息を切らせている少年を見た。やわらかそうな淡い金髪の少年、白いシャツに淡いミントブルーのパンツ姿でさわやかさに溢れている。
羨ましい、お母さんみたいなきれいな金髪…同い年くらい?誰だろこの子…けど、助けてくれたんだよね?
「だ、大丈夫?」プリエが少年に声をかけた。
少年は、顔をあげて、きれいな淡いミントブルーの瞳でプリエを見た。整ったやさしい顔つきをしている。
「プリエこそ、大丈夫?」
この子、どうして、あたしの名前知ってるの?
「僕は君の事、ずっと前から知ってるよ」
え?どういう意味?とういか、話してないのに、会話が成り立ってる?
突然、さきほど、穴が開いていた場所からグレーの腕が這い出してきた。
「きゃっ」プリエは思わず叫んだ。
「あ、もう、引っかかってたのかな。落ちれば良いのにしつこいな。そのしつこさがあるなら自分の事なんとかしろっての」少年はそう言いながら立ち上り、プリエに白い手を伸ばした。「立って、行くよ」
プリエは少年の手を取った。
「走って」少年はプリエの手をひいて走った。
「ここ何?あなた誰?」プリエは手をひかれて走りながら、同じ高さにある少年の横顔に語りかけた。顎のラインの長さの淡い金髪がふんわりと揺れている。
「話は後で」少年は、後ろを気にしている。「くそっ、2人も上がって来ちゃったよ」
「へっ」プリエは後ろをみた。グレーな人たちが2人追いかけてきている。
「プリエ、飛べる?」
「え?飛ぶって何?」
「無理か…だよな…早く走って、追いつかれたら…自信ないから」
え、何の自信?なんか、この子、明らかに焦ってるよね?
「もう、もっと早く走れって」少年は小さく舌打ちした。「追いつかれるじゃないか」そう言って、プリエの手をひっぱった。
「んな事言ったって、これ以上無理! もうっ!」プリエは突然少年の手を振り払った。
「えっ」少年は驚いてプリエを見た。
「だったら一人で逃げれば良いでしょ!あたしも一人で逃げるから」そう啖呵を切ってプリエは一人で走りだした。
「こんな時に何言ってんだよ。方向もわからないくせに。拗ねてる場合じゃ無いんだよ」少年はプリエと並走しながら言った。焦っているのが顔に出まくっている。
プリエは少年を無視して無言で走った。グレーの人たちがすぐそこまで迫って来ている。
何かホントに訳わかんないけど、とにかく、逃げなきゃ!
突然、2人の後ろで何かが光った。2人は反射的に後ろを振り返った。
そこには、2人をかばうようにして立っている男性の後ろ姿があった。青白く光る三日月型の大きな鎌、背丈よりも大きな鎌を手にした鎧姿の青年。紫味を帯びた銀青色の髪がさらさらとなびいていて、青味を帯びた銀色の鎧から、いや、全身から光を放っているように見える。
「ユーディ」少年はあからさまにほっとした表情を浮かべた。
ユーディと呼ばれた青年は、三日月型の銀の大鎌を掲げてグレーのもの達に向かって叫んだ。
「『天翔ける銀の月』、聞いた事くらいはあるだろう。刈り取られたくなければ、去れ!」
大鎌の刃先がキラリと光った。
「銀の月…」「刈り取りの鎌だ…ユーディなのか?」グレーの2人は明らかに動揺している。
「刈り取られたいのか!」ユーディは両手で鎌を斜に構え、赤を秘めた青の目でグレーの2人を見据えた。全体的に青っぽいクールな色合いのその姿には、冷静だが内に秘めた激しさのようなものも表れている。
なんか、この人すごい…青い炎が燃えてるみたい…
プリエはユーディの後ろ姿にすっかり釘づけになっていた。
グレーの2人はユーディの迫力に、おびえた表情を浮かべて後ずさり、その場から消えた。
ユーディは鎌をおさめて、振り返り、穏やかな表情で2人に微笑みかけた。「無事でよかった」
うわっ、やさしそう…この人めちゃくちゃかっこいい!
プリエはさっきとは違う意味でユーディに目が釘付けになった。
「ユーディ、ありがとう。けど、どうして?」少年がたずねた。
「リリに頼まれてね」ユーディは淡々と答えた。真顔だと厳しそうな印象が強いが、整った顔立ちはむしろ際立つ。
「ああ、そっか。ほんとに助かったよ」少年はほっとした顔をしている。
「守るのはお手のものだからね」そう言って、ユーディはいたずらっぽい笑みを浮かべた。少し表情が緩むだけで途端にやさしそうな印象にかわる。
「優も協力してくれてるんだね」少年はユーディの銀の紐をチラっと見た。「そうだよね、でなきゃ、ユーディがこんな下の場所に来れるわけないよね。リリですら来れない場所だもんね」
「ああ。優は事情を話したら快く承諾してくれた。ああ、ごめんね。よくわからない話で」ユーディは、ポカンと口をあけてユーディに釘づけになっているプリエに、目をやった。
プリエは反射的に言い訳するように言った。「か、かっこ良すぎて、見とれてしまってました」
「え、ははっ」
「もう、安心感、半端ないです。この頼りない少年と違って」
少年はプリエを睨んた。「フェリスだよ」
「え?」
「僕の名前」
「ああ、フェリス…あたしプリエ…って知ってるんだよね?そうだ、どうして?」プリエは疑わしそうな目をフェリスに向けた。
「僕は君の…」フェリスは少し躊躇し、目を逸らして言った。「守護者だから」
「は?守護者って何?っていうか、守護できてなかったし」
「もう…そうだけどさ…プリエは、一言多いんだって…いつも言ってるのにさ」フェリスは半分独り言のようにそう言うと溜息をついた。
「いつも言ってる?」プリエは首をかしげた。
「あ、だから…向こうでね。いつもついてるから」
「え?向こうって何?もう、わかるように説明して」プリエはじれったそうにフェリスにつめよった。
「え、と、向こうは肉体を持って生活する場所。プリエは今、向こうで昏睡状態」
へっ?昏睡…?
「階段から落ちたろ?」
プリエはうなずいた。
「で、頭打って、意識が戻らない状態。で、その中途半端な状態で、中身だけこっちに戻ってきてる」
戻る?中身?
「だから、本来こっちがメインなの。あっちは肉体持って生活する場所、向こうで死んだら中身はこっちへ戻ってくる。」フェリスは少し面倒くさそうに説明した。
「あちらで生活している者は、肉体が滅びたら終わりと思っている者が多いけど、肉体が消えてこちらへ戻るだけ。生は永遠だ。」ユーディが補足するように言った。
「生って?」プリエはここぞとばかりにユーディにたずねた。
「意識とでも言えばわかりやすいかな?プリエとしての意識」
プリエはあいまいにうなずいた。「じゃあ、ここ、死後の世界?2人とも幽霊?」
「そうじゃない。ここは霊界。こちらが基本。まず、生がある。こちらには一度も肉体を持ったことのない者も居る。あちらに肉体を持っている者たちや、かつて肉体を持っていた者たちも居る」ユーディは淡々と説明した。
「あっちで寝てる間にもみんなこっちに戻ってるんだ。覚えてないだけで。優も今、睡眠中。その銀の紐はあっちに体がある人にだけついてる」フェリスが口を開いた。
プリエは自分の銀の紐に目をやった。フェリスとユーディの紐も確認した。
フェリスにはしっぽがついてない。どうして?
「しっぽね…僕はもうとっくに死んでるから。こっちだけの生活。ユーディは今、優と一緒になってるからしっぽがついてるんだ。ユーディだけのときはついてないよ」
ん?まただ。
「どうしてあたしの考えてることわかるの?」プリエは不審そうにフェリスをみた。
「だから、僕、プリエの守護者だから」
「だから、守れてないし」
「もう、しつこいな」
「守護者っていうなら守ってよ」
「僕だって急に任されて困ってるんだから。僕に守れると思う?せいぜい、手引っ張って一緒に逃げるだけだよ。守護者って言ってもそういう意味じゃないし…色々あるんだって」
「うわっ、開き直った。きれいな金髪しちゃってさ、頼りなさすぎ」
「もう…金髪とか関係ないだろ」フェリスは鬱陶しそうな顔をした。
「喧嘩は後にしようか」プリエが更に言い返そうとした瞬間、あきれた様子でユーディが割って入った。
プリエはユーディを見てばつの悪そうな顔をした。
「そもそも守護者って何よ?」確かに喧嘩してる場合じゃない、聞きたいこと、いっぱいある。
「向こうで肉体持って生活している人には必ず守護者がついてる。守護霊っていえば通じる?そんな感じ。ちなみに、ユーディは優の守護者」
「えー、あたしも、ユーディが良かった」
「あ、そ」だから一言多いんだって…とフェリスは心の中でつぶやいた。「心配しなくてもメインの守護者は他にいるから」フェリスは溜息交じりに言った。
「え?他にもいるの?」
「うん。大抵は守護者は一人じゃない。メインになってる人が一人居て、後、複数ついてる」
ふーん。そうなんだ。
「僕はその他大勢の一人にすぎないから、安心して」フェリスはあきらかに卑屈な様子で付け加えた。
「あのグレーな人たち、何ですか?」プリエは遠慮がちにユーディにたずねてみた。
「話は、移動してからにしよう。優がいつまでこちらにいられるかわからない」ユーディは淡々と言った。
「移動って…どこに?」フェリスは少し不安そうな顔をした。
「リリの所に居るといい。今のプリエのそのしっぽの薄さなら大丈夫。フェリスと一緒なら居られるはずだ。あのグレーな者たちには行けない場所だから、とりあえずは安全だろう」
「でもユーディ、プリエはジャンプできないよ」
「ターゲットさえ意識できれば守護者のフェリスが手を貸せばなんとかなる」
「ほんとに?」フェリスは心配そうに確認した。
「ああ。私は守護者経験は長いからね。信用して良い」そう言ってユーディは口の端をあげた。
フェリスは安心した様子でうなずいた。
「2人を残して私が先にリリのところへジャンプするのは…少し危険かもしれない。まず安全な場所、もう少し上の場所まで飛んでいこう」
「うん、わかった。あ、けどユーディ、プリエは飛べない」
「だろうね」そう言って、ユーディはプリエを抱き上げた。
へっ これ、お姫様抱っこだ!