悪役令嬢に代わりまして演劇部員がお送りします。
『劣等感』という乙女ゲームがある。
当時界隈ではそれなりの人気を誇ったこのゲーム、プレイヤーである主人公や攻略対象、全員なんらかの『家族、及び近親者や近しい者に対する劣等感』を抱いているというのが最大の特徴だ。
優秀な兄弟に感じる劣等感や妾腹から生まれた己のアイデンティティについてなど、とにもかくにもテーマは割と重い。主人公である少女は、しきりに自分を支配したがる家庭からどうにか自立するべく、全寮制である高校に入学する冒頭でこの物語は始まる。
乙女ゲームに対しのめり込めるようなタイプではなかったライトなオタクであった私も、まさか自分がこれほどこのゲームに惚れこむとは思わなかった。
攻略キャラは五人で、うち一人は四人を攻略しきったあとに出てくる隠しキャラだ。担当カラー……というよりイメージカラーがあるらしく、赤の赤羽悠真、青の青砥駿、緑の花緑聡介、黄の黄柏琥太郎、隠しに黒の黒戌颯天。上からわんこ系、根暗系、おっとり系、憎めない俺様系、ヤンデレ系のラインナップである。
エンドは三種類。ノーマル。バッド。トゥルーのみっつ。
ノーマルエンドは、誰とも恋愛関係に発展することなく、ただお互いの心の傷を理解し合い、卒業していくある意味爽やかなエンドだ。
バッドエンドは、主人公、攻略対象共にコンプレックスを克服することができず、共依存しつつ人間として駄目になっていく。卒業後結婚するパターンもあるが、大体が卒業までに心中するし、結婚しても束縛系だったりDV夫婦になったりと絶妙に救いがない。
トゥルーエンドは、やりすぎじゃないかってくらいすっきりすべてが終わる。二人は見事コンプレックスを克服し、周囲は二人を認め祝福、大学進学までエピローグがついて、結婚式のスチルを背景にエンドロールだ。上手くいきすぎて逆に裏がありそうだと評判だった。
攻略キャラは皆裕福な家系であり、赤羽悠真は赤羽財閥の次男、青砥俊は青砥製薬会社の一人息子、花緑聡介は茶道を語る上で外せない伝統ある家柄の出身、黄柏琥太郎は全国チェーンを展開している和食レストラン『こがね』の社長子息、そして黒戌颯天は表向きはただの不動産だが、裏ではかなり大きな極道の家元の次期跡取り。
などなど、中々豪華な設定になっている。
各個人のコンプレックスなどは今は置いておこう。ぼちぼち、私についても話を聞いてほしい。
私の現在の名は鶴迫鵺。ツルサコヌエ。妖怪の鵺を知っているだろうか。あれの鵺をそのまま名前にしてある。
私の昔の名前は、南里ゆかりだった。不幸にも事故に遭い、死ぬと思い目を強く閉じ、そして開いた途端、私は当時五歳だった鶴迫鵺の自意識の一部として存在していた。
幼い鵺の意識は異物であるゆかりの存在をうまいこと迎合したらしく、今や私は鵺であってゆかりであり、ゆかりであって鵺である。
鶴迫鵺とは『劣等感』における重要ファクターである白を務める、所謂ライバルポジションだ。赤羽を攻略するのなら婚約者である鵺の存在が邪魔になるし、青砥を攻略するのなら赤羽と鵺がタッグを組んで邪魔をしに来、花緑を攻略するのなら従姉妹である鶴迫をもはや信仰している彼自身をどうにかせねばなるまい(ちなみに彼のルートはファンの間ではヌエコンルートと呼ばれていた)。五分の三もの攻略対象が、鶴迫がらみなのである。初見はまず彼女の存在で躓くことが多く、黄柏はプレイヤーの癒しという評価すら貰っていた。
で、その一週目の初見殺しが、私こと、鶴迫鵺だ。
しかしながらである。私にはゲーム『劣等感』の記憶を持ったゆかりの存在があり、それは幼い私に大きな衝撃をもたらした。一言で纏めるなら、こうである。
――――主人公ちゃん、聖母すぎィ……。
『劣等感』がタイトルなだけあり、攻略キャラは総じて面倒な性格をしている。
明るいと言われていてもそれは対外的な面に過ぎず、わんこ系と評価した赤羽なんかは『個人としてのおれのことは誰も必要としていない』『誰かに必ず必要とされるのは兄であり、自分はそのスペアに過ぎない』という固定観念に囚われている為か、どんな選択肢を選んでも「きみも、おれの兄さんが好きなんでしょ?大丈夫だよ、ほら、おれ、兄さんに顔はそっくりだから。兄さんになれるよう、頑張るね」なんて言ってくるのである。いじらしさに泣けばいいのか、判らずやっぷりにキレればいいのか困惑するしかなかった。
そんな風にこじらせた彼らを、自身の実家からのプレッシャーに耐えながら主人公は徐々に徐々に、共に成長していくのである。女子高生にあるまじきメンタルだ。これを聖母と言わずしてなんと言おう。
大体選択肢が優しすぎるのだ。これは全ての乙女ゲームに言いたいのだが、モノによっては『黙らせる』『殴る』『蹴りつける』『飛び膝蹴りをする』くらいの選択肢があっても許されると思う。
自分の記憶に整理をつけながら、私は自分の立ち位置とこれから起こることを考え、ふと、思ったのだ。
あれ?私これやばくね?と。
赤羽ルートに入れば、婚約破棄を言い渡される私はあっさりとそれを承諾するも、何故かその一週間後車に轢かれて死ぬ。
青砥ルートに入れば、幼いころからの友人を思うあまりの赤羽の奇行が絡まりまくり、度が過ぎた彼を諌めようとして死ぬ。
花緑ルートに入れば、信仰が行き過ぎた花緑自身に「あなたにとって僕はなんですか」という質問をされ、「従兄弟です」と答えただけなのに死ぬ。
この乙女ゲーム、鶴迫鵺専用死にゲーじゃないか。
幸いにして私は五歳だった。これから起こる数多くの私がらみのイベントさえ避ければ、少なくとも花緑ルートだけは回避できる。
正直に言うと自分の身が可愛かった。死にたくなかった。死に際は覚えていないけど、直近五分前くらいの記憶はある。あのあと私は車に轢かれて宙を舞い、全身を強く打ち付け骨をさんざんっぱら折った末に死んだに違いないのだ。
私の……ゆかりの将来設計の最終目標は、『老衰で死ぬ』ことだったというのに。人生とはままならない。
幸いにして死なないルートも勿論ある。それに関して、とても大きな分岐点は、今年やってくる。
今年。私は――――私たちは、高校一年生になる。
『劣等感』の舞台となる私立紫園学園は、金持ちと庶民が半々で入り混じる学校だ。それこそ財閥の息子から小金持ちのマンション経営者の子供まで、あらゆる金持ちがおり、庶民に関しては学力をA~Dにランク付けする特待制度を取っている。
この学園独特のシステムに生徒会があり、八人いる役人を金持ちと庶民で半分ずつ受け持つシステムになっている。主人公が入学するとき、攻略対象者の半分は既に二学年だ。これには鶴迫鵺も含まれる。
庶民、A級特待生として入学することになる主人公は生徒会へ誘われるのだが、既に生徒会の続投が決まっていた鶴迫が、一言こう切り捨てる。
「あなたは駄目だわ」
理由も何もない、理不尽な切り捨てだ。しかり鶴迫の一言は、赤羽財閥と肩を並べる旧華族、鶴迫一族の一言としても受け止められる。主人公は生徒会を諦め、ここでどのステータスを伸ばすか迫る部活動選択が始まる。
この後入る部活でキャラとの遭遇率も変わってくるのだが、問題はそう、私だ。鶴迫だ。鶴迫が元々いない、あるいは生徒会参入を認めるのは隠しルートの黒戌ルートに入った時のみだが、ここで同時に逆ハールートも開かれる。
私は生徒会にいない方がいい。さっさとそう決めた私が選んだ部活。
――――それが、演劇部だ。
∴∴∴
「世界で一番孤独な夜に、ブランディーをのもう」
涙をだくだくと瞳から溢れさせながら少女がわらう。有名な詩を引用した学生の作った演劇はそろそろ終わりを迎えようとしている。
広い舞台の上で、用意された家具たちが虚しく情景から浮いている。そのわざとらしく浮いた家具に腰かける少女もまた、その美貌故か、それとも満面の笑みの元流れ続ける涙のせいか、ただひたすら、どこまでも地に足がついていない劇が続く。
「きみはわたしを連れて行ってはくれなかった。クレヨンでわざとらしく引いた赤い唇で笑みを描いて、そうしてわたしから去っていく」
まるで詩の朗読のような台詞を吐き、少女は右手に抱えていた細めのシャンパングラスを掲げた。乾杯!涼やかな声は、広い体育館でも十分すぎるほど響く。
「さらばわが友。さらばわが愛しきひと。さよならだけが人生だ」
そして少女はシャンパングラスの中に入った液体を煽り、おもむろに悲鳴を上げ、苦しみ、悶え、絶命した。少女が柔らかい絨毯に倒れると同時、ふっと、舞台上の照明が消え、
「――――そこまで!!」
少年らしい声が張り上げられた。
そして、死んだと思われた少女がむくりと起き上がる。そのかんばせは、達成感に満ち溢れていた。
「どう?どうかしらカントク?中々イイ線行ったのではなくて?」
ひらり。落ち着いた濃紺のスカートを、風で煽られるカーテンのように翻し彼女は舞台から飛び降りた。高さはそうないとはいえ、旧貴族や旧華族が溢れかえるこの学園では、まずあってはならない光景と言えた。
しかし誰もそれを気に留める事や注意することはない。カントクと呼ばれた少年は難しい顔をした。じりじりと見つめ合う二人は幾ばくかそうしていたかと思うと、ぱっ。と、少年が華やぐ笑顔を浮かべた。
「惜しい。もうちょっとこう、貧相な感じに」
「貧相…………」
「やーでも大分上達したよ!一年前の大根振りが嘘みたいだ」
「そうでしょう、そうでしょう、もっと褒めてください。私褒められて伸びるタイプなのです」
「そら残念だ。うちの監督の方針は叩いて伸ばす、だよ」
二人の会話に挟まれた横やりに、少女はそちらを振り向いた。あら、と彼女が意外そうに言う。
「幽霊部員の黒戌様。なんのご用件で」
「幽霊部員言うな。監督、次の台本。鶴迫、お前演技うまいじゃないか。意外だったよ」
「うふ、うふふ。もっと褒めて下さってもよろしくてよ」
今まで気取って三人称でどうにかやり過ごしてきたが、いささか限界が近付いてきたので素を出そうと思う。
六月上旬。季節は梅雨に入り、しとしとと雨が降っては憂鬱に曇天の漂う時期となった。私は一年前の新緑のさざめく五月にこの演劇部に入り、こうして今まで稽古をつけてもらっている次第だ。
私と彼がカントクと呼ぶのは、二年生、Aクラス特待生の赤沢という生徒だ。一般家庭の出身であり、演劇に惜しみない情熱を捧ぐ。今はたまたま三年生がいないから、こうして遊ばせてもらっているが、それを抜きにしても彼の指導は素晴らしい。実際の所次の部長は彼でほぼ確定だろう。
そして彼――――黒戌颯天は、まさかまさかの演劇部員だった。
入部した当初は驚きで開いた口がふさがらなかったものだ。何故なら本来、黒戌は生徒会に所属しているはずだからだ。
けれど過ぎたことだし、今ではもう慣れた。何より彼の脚本、馬鹿にできないほど面白い。前回は愛憎渦巻く宮廷もの、その前はモダンなホラー風味の学生の話。
さて、次は何が来るのかと、私は赤沢、もとい、カントクの横に回って台本に視線を落とした。所で。
「クロイヌ先輩」
うお。きたぞ。
演劇部の空気がにわかにざわつく。私はカントクが持ってる台本への興味を頭の隅へ追いやって、くるりと回れ右をして舞台袖へと引っ込まんとする。しかし、その前に腕をぐわしを何者かに掴まれた。ええい放せこの犬やろうめが。
「漏れてる、漏れてるぞ鶴迫。そして離せ、離すんだ鶴迫」
こいつぁ失礼しました。
「いやですわカントク……私だけにこの苦境を味あわせるおつもりですの……?旅は道連れというじゃありませんか……」
「ダークサイドに落ちてる!顔がダークサイドにいっちゃってるぞ鶴迫ぉ!はなせえ!」
「離すものですか!いいえ離すものですか!」
「よお聖。どうした、こんな辺鄙な所に来て。生徒会はいいのか?」
茶番を繰り広げているうちに、私の左腕を掴む黒戌がせっせと話を先に進めていた。ちょっと用事があって、と可愛らしい声がそこでふわりと溶けていく。
セミロングの少し明るい色をした髪に、光の角度によってあらゆる色に虹彩を変える不思議な瞳を持つ少女。七瀬聖。『劣等感』の主人公、もとい、プレイヤーキャラクターである。彼女が実家に束縛されている理由はその瞳にも少々の原因があるのだが、ここでは割愛する。
「クロイヌ先輩、この間脚本の調子が悪いと仰っていましたが、どうでした?締め切り間に合いましたか?」
「なんとかな。ついさっき出してきた」
私が七瀬聖、もといヒロインから離れたがっている理由がいくつかあり、そしてそれを阻止される原因はただ一つだ。
理由その一。私はいわゆる悪役令嬢とも言われる立場で、彼女とは根本的に存在が相容れない。
理由その二。七瀬聖はどうやら黒戌ルートをご所望のようである。ややこしいことになりたくない。
理由その三。単純に私が近寄りたくない。聖母オーラが眩しすぎて、不気味な叫びをあげるだけの妖怪にとっては傍にいるだけで拷問に等しい。
よって毎度距離を置くべく奮闘しているのだが、それを阻止するのが、この、黒戌颯天という男である。
はなせ!はなせ!と腕をぶんぶん振り回そうとするが、びくともしない。なんだこれ。どこに筋肉が詰まっているというのだ。私は確かに蝶よ花よと育てられた令嬢だが、さすがに腕を振りまわせば多少揺れてもいいはず。鉄骨に腕が挟まっているかのように身動きが取れない……!
あーほら、ヒロインがこっち見てる、ちらちらこっち見てるよー……!きっと黒戌と二人になりたいんだ、そうなんだろう。だから離せ、離してくれ黒戌。私はヤンデレの起こす痴情の縺れで死にたくない……!何より避難しないとあいつらが、
「聖!」
くーるー、きっとくるー、きっとくるー、でお馴染みのあの歌を思い出し、私は目頭を熱くした。ほうらやっぱり来た。七瀬聖親衛隊。別名、生徒会が。
神聖なる演劇部使用体育館、もとい、第三体育館にどたどたと足音を立てて入ってくるのは、赤羽を筆頭とした生徒会メンバーである。三人しかいない、ということは、今頃一般枠一人、特待枠三人が生徒会の仕事を頑張っているということだ。自分に与えられた役割くらい全うしろと怒鳴りたくなる。私に至ってはそもそもシナリオ上の役割を放棄しているが、仕方ない、これは自衛のためである。
「アカバ会長……それに、他の方も」
「探したんだよ、聖。携帯にも出ないし……」
「あ、……ごめんなさい、放課後は電源切ってるんです」
授業中ではないのかと思われるかもしれないが、学校が終わったと見るや否や、実家から猛烈な着信やメールが入るので、彼女は放課後常に電源を切っている。
「本当にすみません、ちょっとこのあたりに用事があったので、ついでに先輩と話してきたんです」と彼女は黒戌を生贄に差し出す。しかし親衛隊の厳しい目が黒戌に向くかと言われればそれは否だ。連中の目は、どういうわけか常に私に来る。
「……また君なの。鵺」
またって私何もしてないんですけど。
私も余所を向くのをやめて、嫌々彼らに向き直った。わんこ系をかなぐり捨てている婚約者に、丁寧に頭を下げる。カントクの腕を離さないのは、隙があれば彼がすぐ逃げるからである。さすがに一人では立ち向かえないので、やはり道連れは一人欲しい。
「ごきげんよう赤羽様。本日も良いお日柄ですわね。それでは私、部活がありますのでこのあたりで――――黒戌様。離して下さらないかしら」
「できない相談だ」
人間ってここまで純粋に殺意を抱けるんだな、といっそ感心した。
「鵺。何度も言っているが、聖は忙しいんだ。君に付き合っている時間はない」
「何度も申し上げております通り、彼女は私ではなく黒戌様をお訪ねられています。私が彼女をここへ連行しているわけではありません」
「あ、あの、アカバ会長、ツルサコ先輩の言う通りなんです。だから、あの、戻ります。ごめんなさい」
「聖が謝る事じゃないよ」
語尾にハートマークでもついていそうである。仮にも婚約者である私を見るときは、犬が格下を侮るような目線をするというのに。あーいやだいやだ。これで年末には下手すると婚約破棄イベントもくるんだもんなあ。憂鬱すぎて溜息が漏れそうだ。
「じゃあ聖は返してもらうよ」
「元から奪ってないし……」
素面でぼそりと呟くと、それな、とカントクが同意を示してくれた。毎度毎度こうなのだ。彼女が勝手にやって来て、黒戌と親しげに話して、何故か黒戌は私を傍から離さず、彼女はそれをちらちらと伺うのだ。腕は痛いしヒロインの視線はうざいし、婚約者は睨んできて殴りたくなるし、正直もうやってられない。勝手にしてほしい。私のいない所で!
「黒戌様。再三、いえ、再十くらいお聞きしてると思うんですけれど、何故私を巻き込むのです?」
あれか。嫉妬か?嫉妬させたいんか?うん?
足早に去っていく親衛隊の背中を見送りつつジト目で睨みつけると、黒戌はこちらをじい、と見て、はあ、と溜息をついた。夜を染み込ませた髪は項垂れ、黒曜石を溶かして流し込んだかのような見事な黒い瞳は、憐れなものを見る目でこちらをひたと見つめていた。
「お前、結構、鈍いよな」
「はてさて。人の悪意には鈍感である方が生き易くてよ?」
害意には勿論気を張るが。
「悪意じゃあないよ」
何やら意味深な様子の黒戌殿だが、これ以上彼らのごたごたに構っている理由はない。夏前には、高校総体ならぬ、総文祭があるのだ。総文祭、もとい全国高校総合文化祭、つまりは高校総体の文化部バージョンだと思ってくれていい。演劇部が次に出る大会はこれだ。私は役がもらえるかは判らないけれど、他の生徒は練習だってある。
気を取り直して部活だ。私がパンパンと手を叩き、カントクが空気を払拭するべく声を上げる。元通りの演劇部になりつつある空間で、黒戌だけが、変わらず微妙な色を湛えた瞳で私を見ていた。
「お前に狙われるなんて、あのお嬢さんも気の毒に」
その言い方は心外だ。家族にも存在を知らせていないもう一つの携帯の方で、わたしはクロイヌ先輩と連絡を取る。
だって入学前から憧れていた。恥ずかしながら――――いや、わたし自身は恥でもなんでもないのだが、世間的に見てあまりいい目で見られないので、あえてこういう言い方を取る――――わたしはレズビアンであり、恋愛対象は同年代の少女のみだった。
わたしの家は、昔からの風習とかで近親婚の歴史を長く歩んでいる。血が近すぎると、異様の者が生まれるなんて言うが、あれはあながち間違っていない。今でこそ余所の血を混ぜ込んでいるものの、祖母は多指症だし、父は極度の貧血だ。わたしに至っては、この目。世界でもあまり例を見ない、光の加減で七色に変わるこの瞳。
普段はカラーコンタクトで色味を誤魔化しているが、七瀬の家はこの目に異常に拘っている。その束縛が嫌で、わたしは全寮制を敷くこの学校に入学した。家から少しでも離れて、自立の糸口を見つけるために。
そしてわたしの異常は目だけに留まらなかった。先ほども供述した通り、性癖が少し拗れている。
わたしは、女性しか愛せない。恋愛対象で見れない。可愛い女の子や美人な女性を見ると胸がときめくのだが、異性を見ると途端にすっと冷めていく。精巧な人形を相手にしているかのような、そんな気分になる。
そんなわたしが正しく一目惚れしたのが、鶴迫鵺さんだ。
長い黒髪とやや黄みがかって金のように見える明るい茶色の瞳。肌なんてとてつもなく澄んでいて、淡雪を固めて作ったかのようだった。
何より、彼女の演技がわたしは大好きだった。朗々と響く美しい声と、舞台と観客を支配するべく周囲を圧倒する空気。演劇部は彼女に『女性らしい女性』の役を何度か宛がっていたけど、わたしは、彼女は軍人なんかの役がハマり所なんじゃないかと思っている。
『俺を口実にしてるけど、どうだい?上手くいくか?』
「手応えは薄いです。……というか、何もしてないのに警戒されています」
『あー……お前が来ると生徒会も来るからな。それかもしれん』
あまり婚約者と仲良くないみたいだし、とクロイヌ先輩。好都合だけど、不便だ。
「アカバ会長は、やっぱりあの人に相応しくありません」
『いや伸びしろはあったんだよ。お前が全部パアにしたけど』
「わたし如きに潰される伸びしろなんて、どうせ大したことないんです」
携帯の向こうで先輩が苦笑している。けれどこれは、真っ向からの本音だ。
どうあってもツルサコ先輩と結ばれたい。わたしは胸を逸らせる。だから、そうだ。まずは外堀を埋めなくちゃ。あの邪魔な生徒会長とツルサコ先輩を別れさせなくちゃいけない。それもツルサコ先輩になるべくダメージのいかない形で。……ちょっと難しいから、多少は勘弁してほしい、けど。
「ツルサコ先輩……」
こんなに欲しいと思ったの、あなたが初めてなんです。あなたがそうしろと言うのなら、悪事だって、人を貶めたって、この目を両方抉り出して捧げるのも厭わない。
「だいすきなんです、先輩」
少しでいいから、振り向いて。
悪役令嬢ものを読むのが好きなので、自分なりに書いてみました。
ヤンデレは一人とは限らない。
5/24 若干の訂正を加えました。