2019年1月 第1週④
強烈な吐き気だけを残して。
急に胸の中が空になったような、そんな感覚。
これよりも、幾分か軽くだが――
自分はそれを一度、味わった事がある。
アルマゲドンで[シトリー]がリタイアした時だ。
自分の手の届かないところで、大切な仲間がリタイアした経験。
一回痛い目を見ていたのにこのザマだ。
なぁ、[シトリー]。
お前もこんな気持ちだったのか?
いつもこの不安に耐えてたのか?
俺がそれを分かっていなかったから――
あの時、あんなに怒ってたんだよな?
『くそォ……!』
漏れそうになる嗚咽を必死に抑え込む。
『…………』
前を走っている[ケルベロス]は何も言わない。
どんなやり取りをしていたのかも聞かない。
無言で走り抜ける中――
[バアル=ゼブル]たちのVCに再び呼ばれた。
繋ぐと一番に聞こえたのは[藍玉]の声。
『二人とも確認できましたので! あとはこっちから誘導します!』
既に彼女の“目”の視認範囲内に入っているらしい。
ナビゲーションによって、敵を回避しながら進んでゆく。
『……[ダンタリオン]たちがリタイアした』
――俺たち二人の為に。
『分かってる……。全部[ダンタリオン]が予想していたことだ』
そう淡々と告げる[バアル=ゼブル]の声。
いいのか……それで。
『なんで俺たちを――』
『見えた! 二人とも早く!』
『途中の敵は、こっちからも削ってますので!』
尋ねるよりも、目的の広場へと辿りつく方が早かった。
[ケルベロス]の後を追うように、なんとか広場に到着する。
『着いたっ! 私たちもお城に――……え?』
…………
広場には――
[バアル=ゼブル]を含め全員が留まっていた。
外側から入ろうとしてくる敵を、全員が協力して押し返している。
『……みんな何で広場に!? ベアトちゃんを早く止めないと!』
広場は幸いにも敵が湧いていない。
ここも――[ベアトリーチェ]の“思い出の場所”ということだろうか。
だからと言って――
誰もここから動いていないのはおかしくないか?
城までの一本道にも、大量の敵がいるものの――
今の面子ならば、通り抜けることは不可能ではないはずだ。
[バアル=ゼブル]たちが、その選択をしない筈がない。
ということは――
『……動けない理由があるんだな?』
『それが……』
『あれが邪魔だ』
『あれ?』
敵の数が減って手の空いたらしい[ベリアル]が――
広場から出て城へと向かおうとする。
『……[ベリアル]が?』
『違ぇよ! 黙って見てろ!』
…………
『あ――』
――駆け足のまま、全く前進をしていない。
まるで、見えない壁に阻まれているかのようだった。
『侵入不可エリアらしくてな。他の場所から行けないか、試してみたんだが――』
『……エリアの属性書き換え――』
[ベアトリーチェ]の仕業だろう。
この状況では、そうとしか考えられない。
『ここからどうすればいいの?』
『[ダンタリオン]には既に伝えていた。何か言ってなかったのか?』
……何も言っていなかった。
少なくとも――どうすればいいかなんて何一つ。
このまま八方塞がりなのか?
それじゃあなんで――
『――え? 普通に入れたけど……』
『!?』
……[ケルベロス]が、見えない壁の向こう側にいた。
『なんで[ケルベロス]だけが……?』
周囲がざわつく中――
戻ってきた[ケルベロス]を見て、[アスモデウス]が何かに気づく。
『どうしたの? それ』
[ケルベロス]のマフラーについている印が、淡く光を放っていた。
『年越しイベントの時にベアトちゃんが、“友達の印に”って。グラたんも貰ってるよね?』
『……あぁ』
偶然なのか、運命なのか――
自分も侵入不可エリアへ入ることができる。
『友達に止めてもらいたいってか』
『…………』
確かに[ダンタリオン]には、印についての話をした。
だから、自分たちがキーパーソンだと言ったのだ。
『でも……もう一つあるんだけど』
[ケルベロス]のマフラーとアクセサリ、そして自分のアクセサリ。
印は三つ――あと一人、入れる。
『……誰が行くんだ?』
他の人が行けるという選択肢。
それが出たことによって、揺らいでしまう。
本当に自分が行ってなんとかなるのか。
空いた枠に他の人が入れるのならば――
もっと相応しい奴がいるんじゃないか?
別に力が一番強いわけでもない。
全てを見通す目を持っているわけでもない。
困難な状況を打破できるような知力も備えてない。
そんな自分が――
『どうするの? グラたん……』
決断を迫られる。
重い――重い決断を。
――時間が欲しい。考える時間が。
『……すまない、ちょっとミュートにする。……すぐに戻るから』
『え――? ちょ、ちょっと!?』
『……決めるのはお前だ。できる限りの時間を稼いでやる。だから早く戻ってこい』
[バアル=ゼブル]は時間を稼ぐと言った。
それが――自分達に与えられた役割だと言わんばかりに。
『……すまない』
…………
ヘッドフォンを外し、背もたれに体重を預ける。
部屋の照明がやけに眩しく感じて、手で顔を覆った。
突然の状況が重なりすぎて、頭がパンクしそうだった。
……追い詰められている。
弱気な考えばかりが、頭の中で渦巻いている。
別にこのゲームができなくなったからと言って、死ぬわけではない。
もしかしたら、何事も無かったかのように修復されるかもしれない。
運営も馬鹿じゃない。
バックアップぐらいは取ってるよな?
[ダンタリオン]が考えた最悪――
[ベアトリーチェ]の暴走によって、復旧不可の状態になった場合。
WoAという世界が崩壊して、消滅してしまうだけだ。
データとしての世界が消えてしまうだけ。
もしそうなったとしても――
[シトリー]も言っていたじゃないか。
適当に別の――
それこそ、βテストの始まったネトゲにでも移れば。
けど――
『……違うだろ』
あの言葉は、決して本当の気持ちじゃなかった。
最後の“私だって”がそう語っていた。
[シトリー]としてのものではなく、彼女自身の言葉。
殆ど嘘ばっかりだったけど――あの最後の一言だけは違った。
俺だって分かってるさ。
それじゃあ、何の意味も無いってことぐらい。
想像ができない。
色が付かない。灰色だ。
なぜかは分かっている。
これまで過ごしてきたこの世界が、あまりに鮮やかだったから。
それら全てが、焼付いてしまっているから。
一年近くを過ごしてきたのだから。
自分は、自分達は。
このまま放っておけば――
仲間たちと遊ぶことが、天使たちと戦うことが、できなくなってしまうのだ。
[グラシャ=ラボラス]として生きてきた全てが無くなってしまう。
それは――
「嫌だな……」
嫌だ。
自分は課金なんてしていなかったし、別に損をするわけじゃないとか。
相応の時間をつぎ込んだんだし、ここで終わらせられるのは損だとか。
そんな話じゃない。
そんな――安い損得勘定の話なんかじゃない。
別に始めた当初の一人だった頃でもそれなりに楽しんでいたけども。
だけどそれ以上に――
皆と一緒に遊ぶのが楽しかったのだ。
仲間がいるというだけで、どこか安心できた。
敵がいるというだけで、どこかワクワクしていた。
それが今、消えようとしている。
「それだけは……嫌だ」
永遠にこのゲームを続けられるわけじゃないのは分かってる。
今運営されているネトゲのほどんどが――
十年もしないうちにサービスを終了するのだろう。
だからといって……。
こんな納得のできないまま、居場所を奪われるのは嫌だった。
これは――[ベアトリーチェ]を倒す話じゃない。
倒してどうなるかなんてわからないし、そんなつもりもない。
何もかも上手くいって、全て丸く収まるなんて保証はないけど――
このままリタイアだなんて選択肢を選ぶのは、嫌だった。
それでも――
それでも怖かった。
期待に応えられなかったことを考えると。
「失敗しても怒らない」と――
[シトリー]は言っていた。
あれが嘘だということぐらい、自分にも分かる。
今の自分にとっては――その嘘が、なによりも優しく感じた。
――伊達に長く組んではいなかった。
彼女が話を茶化すために、そう言っただけなのかも知れないけど。
それでも、恐怖に震える自分を支えて――
引っ張ってくれるような気がした。
『グラたん――!』
ヘッドフォンの向こうから、[ケルベロス]の呼ぶ声が聞こえる。
ヘッドフォンを付け直し、マイクを構える。
震えた手で、マウスを握る。
……こんな調子で大丈夫なのか?
焦点が合わず、画面がぼんやりとしか見えない。
ヘッドフォンを通して聞こえる音も、どこかノイズが入っているようだった。
頭の中に、靄がかかったままだ。
その靄が――
『何チンタラしてんだ、馬鹿野郎が』
一瞬にして晴れた。
二、三度瞬きをして、画面を注視する。
『――え?』
有り得ない人物が、広場の入り口に立っていた。
一瞬で誰か判別できるほど特徴的な、その紅い姿は――
『[ЯU㏍∀]さん――!?』
その背中には天使の白い翼が生えているというのに――
味方として、一緒に動いていた思い出ばかりが蘇る。
三人で街を駆けていた時のことを。
自分と[ЯU㏍∀]さんと、[シトリー]の三人で――
『[ЯU㏍∀]さん……[シトリー]が……!』
自分でも驚くほど、情けない声が出ていた。
『全部聞いた。[シトリー]がリタイアしたのも知ってる』
淡々と、そう言いながらこっちへ歩いてくる。
『で、だ――』
そして目前まで来たところで――
『なんでお前は、そこでボーっと突っ立ったってんだ!』
――吹き飛ばされるかと思った。
ここが現実だったら、胸ぐらを掴まれているに違いない。
『“お前が”選ばれたんだろ!?“お前が”失いたくないんだろうが!!』
『――っ!』
本気の怒りだった。
普段はキツイことを言っていても嘲笑交じりだった[ЯU㏍∀]さんの。
あまりの怒気あてられて、言葉が出ない。
…………
『……[シトリー]からの伝言だ。“年末は絶対に空けておくから”、だと』
『あ――』
そう短く付け加えて――
今度は[ケルベロス]の方へと向かう[ЯU㏍∀]さん。
『――特別だ、一つ枠が余ってんだろ。マフラー、返して貰うぞ』
『は、はい!』
[ケルベロス]から、朱いマフラーを受け取り装備した。
[ЯU㏍∀]さんが最後の枠に入ったことに、異論を唱える者は誰もいない。
そして――
『さて……一応、まだ使えるらしいな』
『……? 何を――』
今度は背中の羽根が――
白から黒へと変わっていく。
陣営の移動――再び悪魔へと戻ったことを、黒い翼が告げている。
グループは容易に想像がつく――【ケルベロス】だ。
『装備もちゃんと準備してんだから、抜け目が無いよなぁ。参謀殿も』
そう言いながらも、服装は変わっていない。
アバターはそのままで、専用装備やアクセサリーなどを付け替えているのだろう。
『こんだけ優秀な仲間に囲まれてんだ――誇れよ』
――――!
『はい……!』
――涙で声が滲んでしまう。
一度泣いたせいで、涙腺が緩くなってしまったのだろうか。
『さぁて、新旧の[ケルベロス]が揃ったんだ。さっさと行くぞ』
『即席チーム〈今日のわんこ同盟〉結成!』
――懐かしい名前だった。
『……〈三ツ首の魔犬〉でいいだろ』
震えは――いつの間にか止まっていた。
自分を先頭に出すように、二人が下がる。
『おら、英雄的に決めてみせろ。男だろ』
[ЯU㏍∀]さんの言葉に応えるように。
大きく息を吸い、短く告げる。
『――行こう。最後の戦争に』




