「心臓を、寄越せ」(1)
5、「心臓を、寄越せ」
フパシャシュが、ナラフシュタという名の女性を連れて再び森を進んだよりも、時間的に前。
クナイ・ハチロウが、正規兵の目を盗んで森に戻ったのよりも前。
彼らが、ルナナの前から退却した直後。
森の中に残っていたジョージ少年は、木の陰に隠れたまま、ルナナの様子を見ていた。
手に、古いナイフを持って。
掌一つ分ほどの刃渡りの、今では製造法も分からない金属で出来たナイフ。
ジョージ少年の家、ガーストン家に残されていたそのナイフは、伝承が確かなら、ドラゴンの硬い鱗であっても貫き通せるはずだった。
ただし、そう長くない刃渡りであることを考えると、相手が巨大な龍の姿である間は切りつけたところで大した傷は与えられないだろう。きっと、かすり傷程度。
だから、狙うなら、ルナナが人の姿のときだ。
つまり、今のように。
ルナナは龍の姿から人の姿に戻って、倒れている兵たちの間を順々に巡って、少しの間、何事かを確かめていた。
何をしているのだろう、とジョージ少年は思ったが、どうやら、兵が気を失っているだけだということを確かめているようだった。誰も死んでいないということが確認できると、満足したように頷いて、それから、森の奥のほうへと走って去っていった。
ジョージ少年は、その後を追った。
どうにも、やりにくい。
彼女が、悪いドラゴンだったなら良かったのに。
そう思いながら。
ナイフを持ったまま、追いかけた。
しばらく、森の中を進んだ。
もともと気づかれないようにと距離を開けて追うつもりだったが、森の中を走っていくルナナはかなり足が速く、慌てて自分もペースをあげたが、最終的には見失ってしまった。
少し途方に暮れ始めた頃、ジョージ少年の耳に、森の音とは違う音が聞こえてきた。
水の流れる音。
前方からだったので、そのまま進んでいくと、やがて森が開けて、川が見えた。
対岸までの幅は広く、かなり流れの速い川で、岩の地面を大きくえぐるようにして流れていた。
下流の方角からは、さらに大きなドドドドドという音が聞こえた。前もって聞いていたこの周辺の地理から考えると、この先にはかなり大きな滝があるはずだと思い至った。
ルナナはこっちに来たのだろうか?
川岸は、大きな岩がごろごろとして起伏があって、見通しは良くなかった。
しかし、しばらくして、それを見つけた。
川岸の岩の上に。
脱いで、たたまれた、ローブ。
ルナナが着ていたローブ。
……。
……。
ここに、服が脱いで置かれているということは。
彼女は、水浴びでも、してるのか?
……。
裸で?
……。
ジョージ少年は、手近な岩の陰に身を隠して、きょろきょろと首を動かして、周囲を探った。
いや、ほら、あれだろ? 彼女に先に見つかると面倒じゃんか。
こちらから先に見つけないと、いろいろ危ないっての。そういう理由!
……。
……。
ルナナの姿は見あたらなかったので、内心でがっかりして、脱いで置かれたローブへと近づいた。
なんとなく、眺めた。
そういえば。
天から来た乙女が水浴びしているときにその羽衣を盗んだ男の昔話があったな、と思った。その昔話では、その羽衣が無いと乙女は天に帰れないんだったか。
このローブも、もしかして特別なものだったりするだろうか?
さらに近づいて観察すると、どうやら内ポケットか何かがあるらしく、そこに何かが入っているらしい様子が見て取れた。
そういや、食事処でローブの中から宝石を取り出していたっけか。まだ入ってるのか?
中身を探ろうかと手を伸ばしたとき、声がした。
「ルナナちゃんの服に勝手に触ったら怒るっスよ?」
「うわっと」
ジョージ少年は、ローブに触ろうとしていた片手を止め、同時に、まだナイフを持っていたもう片方の手を後ろに隠して、声のした方向を見た。
その、そちらに向く一瞬のうちに。
あ、そっちを見ちゃいけないんじゃないか? と思った。
だって、あれだ、ここにローブが脱いで置いてあるってことは、つまり、裸ってことだろ?
でも見た。
そして。
がっかりした。
「そっちの姿かよ……」
見ると。
川の中から、白い龍が顔を出していた。
白い龍の、一抱えもある大きな顔が。
「?」
ルナナは首をひねってから、思い当たったらしく、言った。
「あ。
も、もしかして、ルナナちゃんの超絶美麗な裸を期待してたっス!?」
「い、いや、してないっての」あと、超絶美麗かどうかは実際に見せてもらってからの判断とさせてもらいたい。
「……ほんとっスか?」
うさんくさそうに、半目で、ルナナはジョージ少年を見た。
ジョージ少年は、話を変えることにした。
「そんなことより、おまえ、こんなとこで悠長に水遊びしてていいのか?」背中で、ナイフをしまって隠した。少なくとも、相手が龍の姿でいる間は使う機会は無いだろう。「あいつら、またすぐに戻ってくるかもしれないぞ?」
「んー。
じゃあ尚更、水浴びが必要っス」
ゆらゆらと蛇体を川の水に浮かべながら、ルナナはのんびりと言った。
かなり流れの速い川なのだが、流されることもなく。
「ルナナちゃん、この姿で動くと体が水を欲してくるっス。
特に、雷使ったり風使ったりすると、急速に干からびる思いがしてくるっス。
水が無いと調子悪くなるっス。
なので今は、絶賛水分補給中っス」
「そういうもんか」
ジョージ少年は、ルナナの様子をじろじろと観察した。
ルナナは気にする様子もあまりなく、リラックスした様子で水の中にいた。気分が良さそうだった。
ごろん、と、犬猫が背中を地面にこするような調子で半回転して背中側を水に沈めてから、さらに半回転してまた戻った。龍の大きな顔も、ジョージ少年に目を向けたままで一回転。
……緊張感に欠けてるんだよな。
ジョージ少年は内心でため息をつきつつ、気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういやおまえ、なんでさっき、誰も殺さなかったんだ?
手加減してただろ。
相手は、おまえを殺すつもりだったんだぞ?」
「んー。
まあ、あの人たちがルナナちゃんを殺すつもりだってのは分かってたっスけど……。
んー」
暢気そうに、ゆらゆらと川に体を揺らして。
また一回転して。
理由を考えて。
結論として。重く語るような理由は自分では見あたらなかったらしく。
軽く、気さくな様子で、言った。
「ルナナちゃん、誰かがいなくなるのを見るのって、あんまり好きじゃないっス」
「……それだけか?」
「そっス」
ルナナは龍の顔で、にこやかに笑った。
「……」
ジョージ少年は、目を逸らした。
ああ、そうだろう。
と、ジョージ少年は思った。
多分、彼女はいい奴だ。
少なくとも、悪い奴ではないだろう。
王都の近くで暴れたドラゴンは多数の死者を出したらしいが、十中八九、彼女はそんなことはしないだろう。
……だが。
そうだとしても。
オレは、誰かを犠牲にする覚悟は、出来てる、はずだ。
例え、相手がいいドラゴンだとしても。
そのつもりで来た、はずだ。