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九 キキョウの戦い

 入学から一週間が経過した。


 キキョウは勉強に忙殺されていた。アザミさんに教えてもらった国語や数学もさらに難度が高く、キキョウはあまり理解できていなかった。また他の教科もあったため、それも一から学ぶ必要があった。


 キキョウは授業前に予習する事がすっかり板についてしまった。これをしないと、とてもじゃないが、内容についていけない。


 他の生徒たちは最初こそ、構わずキキョウに話しかけていたが、流石に勉強中には話しかけてこなくなった。


 最初のキキョウに対する熱も段々和らいでいる。それでも毎日数回、髪を撫でられている。肌が白くて羨ましいと言われる。男のキキョウはそんな事を言われても、困るだけなのだが。


 キキョウには学が無いので、クラスから浮く存在になるかと心配していたが、アザミさんの授業のおかげで酷い事にはならなかった。ちょっとあの子勉強できないよね、くらいだ。


 まあしかし、それでも浮かないのは他の魔法使いたちに助けられている所もある。


 側付きたちは勉強がしたくて、魔法使いに頼み込んで同行している人がほとんどだ。そのため、モチベーションは高い。しかし魔法使いはそこまでやる気に満ちていない。結構な人が側付きの人に勉強を任して、自分は遊んでいる。


 なので休み時間は主は他の生徒と談笑、側付きは机に噛り付いて勉強というのがベーシックになった。

 それでも主がどこかに行くときは、勉強を中断してでも付いて行く。


「催した。トイレに行ってくる」

「……もう少し上品に言ってください」

「君しか聞いていないから、どうでもいいだろう」


 カトレア様が席を立ったので、キキョウもノートを閉じた。


「別についてこなくていい。そのまま勉強してろ」

「ですが」

「トイレ位一人で行ける」


 有無を言わさずカトレア様は行ってしまった。良かったのだろうか。主を放っておいて、一人勉強。


「ま、いっか」


 キキョウはノートを開いて、次の授業の予習をしようとした。

 すると前の椅子に誰か座った。


 その人の体がこっちを向いている。キキョウのことを見ている……?


 キキョウは顔を上げた。


「こんにちは、キキョウ」

「こ、こんにちは。どうしたんですか、クロユリ様」


 原則、側付きの人間は魔法使いに対しては、『様』を付けるのが規則だ。


「噂で聞いたんだけど、キキョウは魔法使いなの?」

「えっと……。はい。一応」


 クロユリ様は「へぇ……」と言って、キキョウのことを見つめた。


「魔法使いなのになんで側付きなんてしてるの? 普通は主になる立場でしょ?」

「理由ですか?」


 キキョウはノートを閉じながら思案した。

 成り行きだが、これと言って理由もない気がする。


 強いて言うなら――。


「カトレア様がぼくの命の恩人だからです」

「それだけ?」

「? それだけですが」


 クロユリ様は一瞬表情が沈んだ。陰りがあると言えばいいのか、あまり心地よいものではない。だが、それも一瞬で無くなった。


「ふーん……。ま、いいわ。側付きまで魔法使いなのはカトレアだけだし。どんな手を使ったのかと思ったら…………私ですら非魔導師なのに」


 最後の方は本当にボソッと仰られたので、聞き取る事が出来なかった。


「あの……なにか」

「なんでもない。今後ともよろしく」


 クロユリ様はニコッと笑って、自分の席に戻った。


 なんだったんだろう。

 キキョウが勉強を再開しようとしたところで、カトレア様が戻ってきた。


「ん? 今誰かと喋ってなかったか?」

「はい、クロユリ様とお話していました」

「クロユリ? ああ、ダッチェルンか。何か言っていたか?」

「ぼくが魔法使いなのかと確認しただけでした」


 カトレア様が着席なされた。


「なんだそれは。良く分からん奴だ」


 カトレア様も相当なものだと思いますが。

 

 その後は、必死こいて板書を写して、勉学に励んだ。帰ったら復習しないと。

 そうして昼休みになり、アンハーバン家のシェフが作ってくれたお弁当を食べる。


 入学から一週間も経過しているので、それぞれグループも形成されている。というよりも、すでに入学時点である程度の集団が出来ていた。お昼ご飯にでもなるとそれぞれ固まって、ご飯を食べるのが流れになっていた。


 最初こそキキョウもクラスの中で人気らしきものがあったが、それも沈静化している。キキョウと一緒に食べようとするが、周りが牽制し始めてしまい、キキョウ達とご飯を食べる人はいなくなってしまった。もはや近寄りがたい存在だ。


「またぼく達だけですね」

「君のせいだ。まるでこれじゃ友達がいないようじゃないか」

「いや、実際居ないじゃないですか。これまで誰とも喋ってませんよ」


 カトレア様はその言葉を鼻で笑って、卵焼きを口に放り込んだ。


「私だって喋る。君が知らないだけで、私はかなりの有名人なんだ。ちょっと話しかけるをの敬遠されているだけであって、まったくそのようなことはない」


 カトレア様の言っていることも満更嘘ではないようで、カトレア様が話しかけるだけで萎縮する人が多い。カトレア様も婦女子を怯えさせるような趣味はないようなので、交流を控えているようだ。それでもみんながみんな、カトレア様の事を知っている。完全に一目置かれているのだ。


「そんなことはどうでもいだろ。私は別に賑やかな方が好きという訳でもない。一人なら一人でも苦痛に感じる事も無いからな」

「まあ、ぼくもいますしね」

「君はご飯中はまったく喋ろうとしないだろう。食べ終わるまで完全に無言じゃないか――あとこっちを見るな。そんなに見てもおかずはやらん」

「……そうですか」


 キキョウだけはさっさと食べ終わってしまったので、暇を持て余していた。また、弁当の量もどうやら女性用になっているようで、そこまで量が無い。物欲しげにカトレア様のおかずを眺めていたが、作戦は失敗のようだ。


「そんなことより次の授業は模擬戦闘だろう。準備はしてあるのか?」

「まあ、一応は……。お給金を貰ったので、それで昨日買いものしてきました」

「何を買ったんだ。見せてくれ」


 キキョウはカバンからそれを取り出した。

 小袋を取り出して、カトレア様に渡した。


 カトレア様は中身を見て、首をひねった。


「こんなのでいいのか? もっと良いものがあるだろう」

「いや、思いつかなかったんで、目に入ったそれにしました」

「ん、まあいいんだが……。君がそれで良いなら。だが、これはなあ……」


 カトレア様が袋をキキョウに返した。袋を受け取って、机に置いた。


「駄目ですか?」

「駄目ってわけじゃ……いや、駄目だ」


 カトレア様は一度は認めそうになりながらも、頭ごなしに否定に入った。


「やはり嘘を吐くのは性に合わん。よくもまあ、こんな糞を買ってくれたな」

「……そこまで言わなくても……」


 キキョウだって何も考えなかったわけでは……無いとは言い切れないか。あまりにも何を買えばいいのか分からなかったので、最後は適当な武器とも言えない物を買ってしまった。


「金の無駄遣いだ、こんなものを買いおって。私が君なら違うものを買った」

「え、それってなんですか?」

「自分で考えろ」


 むべも無い。キキョウは若干落ち込んだ。

 しかし落ち込んでいる場合でもなくなった。教室の皆が着替え始めたのだ。


「うぁ……!」


 キキョウは目を覆って、下を向いた。

 しまった。模擬戦闘の時は、それ専用の服装に着替えるんだった。そろそろ次の時間になり始めるから、着替える時間になったんだ。


「もうそんな時間か。ん、おい、どうした? 腹でも痛いのか?」


 キキョウが前かがみになっていたので、カトレア様は腹が痛いと勘違いした。咄嗟に否定しようとしたが、その勘違いを使わせてもらおう。


「い、いたたたたた……! トイレ行ってきます」


 キキョウはすぐさま着替えを持って、女子トイレに向かった。


「おい、別に着替えは――」


 カトレア様の言葉を無視して、あまり裸体を見ないようにしながら教室を去った。

 キキョウはすぐに女子トイレの個室に入って、鍵を閉めた。


「突然着替え始めないでよね……もう……」


 キキョウはその場で服を脱いで、体育着を着た。

 しかし、毎度毎度思うのだが、この『ぶらじゃー』なるものの、存在意義が全くない。一応付けてはいるが、キキョウには女としてあるはずの胸などないので、ただ肩に引っかかっているだけだ。全く邪魔である。


「でも付けてないと変なんだよね……」


 これを付けていない女の人はいないということらしい。洗濯していても、これは絶対人数分あるし、誰もが付けているという事であろう。まあ、とはいっても、キキョウは『ぶらじゃー』ではなく『キャミソール』を付けている。


 なんかあまりつけたくないけど、怪しまれるよりまったくましなので、我慢している。


 制服を全部脱いで、体育着を着て、一応トイレの水だけ流しておいて、外に出た。手も一応洗った。不潔だと思われたくないし。


 急いで教室に戻って、カトレア様と合流した。すでに全員着替え終えていて、目に毒という状況でもなくなっていた。


 席に戻って、小袋を持った。


「戻ってから着替えても良かっただろうに」


 カトレア様もすでに着替え終わっていた。手には小枝のように細い『杖』を持っている。


「肌見られるのが恥ずかしいので……。これからもトイレで着替えます」

「なんだそれは。まあ、君が恥ずかしがり屋だというのは知っているがな」


 カトレア様や他の面々も時間になったので、教室から運動場へ移動を開始した。


 春もまだ前半。半袖と丈の短いショートパンツの露出度は半端ではない。肌寒いのにこれだけ薄着というのは、収容所以来だ。


 校舎内は土足なので、そのまま外に出た。


 空気は冷たいが、太陽の光は暖かい。日なたにいたら体がポカポカして、あっという間に眠ってしまいそうな陽気だ。


 ヒイラギ先生はすでに外で待機している。動きやすい格好に着替えていて、手には他の人のように杖を持っていた。


「そろそろ時間だ。全員そろったな。これから魔法実技の模擬戦闘を行う。これは魔法使いのみの授業だ。側付きの者は下がれ。いや、間違えた。キキョウは残って説明を聞いてろ」


 他の側付きの人が二、三歩下がった。キキョウは場違いなところにいる気がしてならない。何で自分だけこっち側なんだ……。一応魔法使いだからだけど。


「今から私が名を呼ぶ。呼ばれた者は前に出て、まずは持てる実力を発揮してくれ。お前たちの実力を私は知らない。これは簡易のテストでもある。あとカトレアだけは参加しなくていい」


 皆がカトレア様に注目した。カトレア様は気が抜けたような顔になったが、すぐにうなずいた。


「分かった。今回は見学しよう」


 しかしカトレア様自身は納得したが、反発する者も出た。クロユリ様だ。


「先生。何故カトレアさんだけそのような特別処置をするのですか。不公平です」


 ヒイラギ先生は困った様に頬掻いたが、すぐに説明した。


「今からやるのは模擬戦闘だ。一歩間違えば大怪我に繋がる。あいつが派手にやれば、それだけで大参事だ。魔術師級(ウィザード)魔術師見習い級(アプレンティス)がやりあったところで、勝負にはならん」

「そんなことはやってみなければ分かりません」


 クロユリ様は頑として譲らないようだ。


「ヒイラギ教諭。私は一向に参加しても構わんが?」

「やらなくていい。怪我されるのが一番困る。お前は空にでも魔法を撃ってろ」


 なんじゃそりゃ。そんな虚しい事はないだろう。


「クロユリの言う事も分かるが、魔術師級(ウィザード)としてのカトレアの実力は知っている。納得いかないなら、私と一勝負するか?」


 ヒイラギ先生がカトレア様を見た。カトレア様は困ったような顔になり、首を横に振った。


「面倒だ。やってもいいが、不毛な争いになる」

「そういうことだ。クロユリ。これはただの実力の確認。ちょっとしたレクリエーションだ」


 クロユリ様は悔しそうに唇を噛んでいる。何が納得いかないのだろう。キキョウも模擬戦闘という事を知ってから、気が気でなかった。まさかカトレア様と戦うのかと思ったら、脚が竦む。


「それでは始めよう。私が止めるまで戦闘を続けろ。怪我をしない様に配慮を怠るなよ。あと命魔法しか使えない奴は、あらかじめ私に言え。怪我をしたものの治療に当たれ」


 二人程度手が上がった。その方たちは模擬戦闘から外れるようだ。どうやら命魔法とやらは戦闘力が無いらしい。


「ちょっと減ったか。それでは始めよう……まずは――」


 それから呼ばれる順に模擬戦闘が始まった。しかし模擬戦闘とは言うが、その実情はただの戦争だ。

 飛び交う色とりどり、多種多様な魔法。


 燃え盛り、押し流し、貫く。火や水、雷、風。それぞれが持つ実力を如何なく発揮している。正直、帰りたい。なんだ、これは。まったく違う世界に来たようだ。今起きているのは現実なのか? 


 確かにカトレア様の魔法に比べたら、可愛いものだ。大きさも派手さもそこまでない。だが、それはカトレア様の魔法基準であり、キキョウの基準にしてみれば、それは未知の世界だ。


 攻撃し、防ぎ、反撃する。


 魔法使いはプライドが高い。カトレア様は前にそう言った。


 なるほど。確かにそのように見える。


 誰もが自分の実力が高いと自負し、そのプライドを貫こうとしている。自分の魔法を練り上げ、高める。応酬する魔法の嵐。どんどん平らだった運動場がボコボコになっていった。


 当然そんなことをしていて、無事であるはずもない。魔法を避けられず、直撃する者もいる。そうなると、ヒイラギ先生が模擬戦闘を終えたり、そのまに割り込んだりする。


 ヒイラギ先生もギリギリを見極めて、対処に当たっているようだ。


 幸い、命魔法の使い手が負傷した生徒を治療してくれているようなので、大けがしても大丈夫そうだ。


 どんどん試合が消化されていった。


 ちょっと、怖くなってきた。あんな所にキキョウは立たないといけないのか。まったくどうかしている。

 キキョウは持ってきた小袋を見た。


 なんだこれ。クソだな。


「君、それで大丈夫か……?」


 カトレア様がキキョウから小袋をひったくった。


「おもちゃだろ、これ。チッ、私も付いて行くんだったな。これじゃ恥をかくだけだぞ」

「ど、どうしましょ……」

「あ? あー、まあ頑張れ。これは本番(・・)じゃないからな」


 キキョウはカトレア様から小袋を返してもらった。あーあ……。もっと考えればよかった。


「武器はあとで支給してやる。今日はそれで切り抜けろ。まったく世話の焼ける奴だ」

「……申し訳ありません」


 その時、キキョウの名が呼ばれた。一番最後になってしまった。相手は……。


「キキョウとクロユリ。前に出ろ」


 クロユリ様が前に出た。キキョウもガチガチになりながら、皆の前に出る。大トリになってしまった。しょぼい魔法を見せる事になる。


 クロユリ様と向かい合って、一礼した。


「よ、よろしくお願いします……」

「丁度いいわ」


 なにが? 

 問い返そうとしたが、ヒイラギ先生が割り込んできた。


「あまり大きな魔法は使わないように。ここまで大きな怪我をした奴もいないし、最後にへまをするなよ」

「分かってます」


 クロユリ様がにこやかにそう仰った。


「あとキキョウ。杖はいらないのか? 忘れたならカトレアから借りろ」

「いえ、あの、いいんです。こういうスタイルなんで」

「そうか。まあ偶にいるタイプだな」


 ヒイラギ先生が下がると、大声で「始めろ」と言った。


「それでは改めて――」


 キキョウが頭を下げようとした時、視界がパッと明るくなった。明るいというよりも、強制的に光源を増やされたみたいな。


 炎だ。クロユリ様の周囲に数個炎の弾が浮かんでいる。


 クロユリ様は指揮者のように杖を振った。それにつられる様に炎の弾がキキョウに向かってきた。


「うわっ……!」


 キキョウはお願いしますと言うのをやめて、すぐに回避行動を取った。回避とは言っても、あわてて横に動いただけだ。すぐにキキョウのいた場所に炎が着弾した。


「熱っ……!」


 肌が焼けるように熱い。炎の残滓がキキョウの白い肌を舐める。


 クロユリ様は怨敵でも見るような目で、続けざまに攻撃してくる。ちょっと待って……!


 キキョウはとにかく逃げるしかない。魔法を使おうとするのだが、その前に炎が飛んでくる。どんどん来る。息つく暇もない。


 とにかくキキョウは横移動に専念した。あんなもの当たったら、丸焼きキキョウの出来上がりだ。


 カトレア様が大声で応援してくださっている。


「さっさと反撃しろ!」

 

 そんな事言われても……。カトレア様だってキキョウの魔法を知っているだろうに。こんなのほとんど役に立たない。だけど、今は一方的にやられているけど、これはキキョウが攻撃していない事に起因している。ちょっとは攻撃すれば、クロユリ様の体勢も崩れる。


 キキョウは小袋の口を開いて、その中に左手を突っ込んだ。

 いくつか掴んで、魔法を使った。


 指先から魔法の線を出して、対象物を固定化する。するとそれが浮いた。


「鉄球……」


 クロユリ様の呟きが聞こえると同時に、磁力の魔法で指先大の鉄球を高速で射出した。数個の鉄球がクロユリ様に襲い掛かるが、いとも簡単に避けられてしまった。


「なにそれ。ショボ」


 いや、本当にショボイ。なにやってんだろ。ただ小さな鉄球を飛ばしただけだ。消え入りたくなるような羞恥がキキョウに襲い掛かったが、ヒイラギ先生はまだ模擬戦闘を止めていない。


 今までの傾向を見ると、どちらかが結構良い攻撃を受けると同時に、模擬戦闘は終了した。ということは、キキョウがあの炎に焼かれるか、鉄球をクリーンヒットさせなければならないという事だ。


「それはちょっと……」


 無理かも。

 なにしろ、相手は女性だ。上位者だ。階級上位の相手に向かって、バンバン攻撃を当てるっていうのは、キキョウの常識に照らし合わせてもあり得ない。ということは、キキョウがあの炎に焼かれるまで、模擬戦闘は延々と続くのか?


 キキョウは鉄球を放ったことで、一時的に場が止まった。攻撃すれば、クロユリ様も防御に専念する他無いという事だ。キキョウの攻撃がショボくても、一定の効果はあげられている。だけど、それは一時凌ぎであって、根本的な問題の解決ではない。


 ここでの大きな問題は、相手が女性で第四階位の魔術師見習い級(アプレンティス)ということなのだ。周りからは、キキョウも同格の魔術師見習い級(アプレンティス)だと勘違いされているが、実のところを言えば、ただの男――第六階位だ。世界の最底辺だ。


 そんなキキョウがクロユリ様を傷つけないといけない? 


 でもその前にただの実力で殺されそうだ。


「その程度かよ。これなら」

 

 クロユリ様はさらに杖を振る。また炎が飛んでくる。とにかく離れないと。


 キキョウはとにかく回避優先にする事にした。幸い、攻撃速度はそこまで早くない。目を離さなければ、捉える事は可能だ。問題だとするなら、ちょっと数が多い。視界に展開される炎で目が眩みそうだ。


 キキョウがとにかく逃げるだけなのを見て、クロユリ様が怒涛の連撃をかける。


「熱っ熱っ熱っ……!」


 空気が熱せられる。どんどん気温が上昇している。汗が止まらない。肌がひりつくように痛い。もう小さな火傷は至る所に負っているのかもしれない。

 

 あんなの当たったらどうにかなってしまう。


 傷つけるとかそういうのは置いておいて、反撃しないとジリ貧だ。


 キキョウは鉄球を掴んで、また磁力で操作、射出。割合速度は出ていると思うのだが、距離が空いてしまったので、鉄球は目にもとまらぬ速さというものでもなくなっている。


 クロユリ様は回避をしながら、攻撃してくる。キキョウは逃げながら、精一杯反撃する。飛んでくる炎を身一つで回避して、投擲して射出。


 その時、一つの大きな火球がキキョウの背後に飛んで行った。それからさらに数個の火球がキキョウの逃げ場をなくすように、発射されていく。


 着弾した炎はその場で小さく燃え続け、地面を燃やし続けている。後ろは小さい火の海と化してしまって、逃げる事が出来なくなってしまった。


「やばっ……」


 無理やり逃げようか。飛び越えられないほどでもない。でもそれも怖い。燃えてしまったら、嫌だし。


 とりあえず、円を描くようにしてクロユリ様に回り込む形で動く。

 クロユリ様も小走りで距離を詰め始めた。


「くっ……」


 キキョウは本当に、徐々に追い込まれていく。なんだ、この感覚は。ゆっくりと首を絞められている感覚。気づかないうちに、キキョウに打てる手が無くなっていく。元々鉄球しか持っていないので、飛ばす事しかできないが、飛ばし方が限定されていく。


 ふと、クロユリ様の顔が目に入った。


「……な、え、なんで」


 クロユリ様の表情は何とも言えなかった。自分の持てる実力を発揮して、爽やかな汗をかいて、爽快な表情とかそういうのだったらよかった。


 あれは、後ろめたい感情を前面に出したときに出る表情だ。


 キキョウは収容所で『カントク』たち女性の顔を伺って生きてきたので、表情の機微にとても敏感だ。だから、分かる。あれは憎悪に近い感情をキキョウに抱いている。


 今、クロユリ様の顔を見るのは立ち位置的にキキョウだけだ。誰にも見えないから遠慮なく、その顔をしている。


 キキョウは身が竦んだ。『カントク』に睨まれたような感覚だ。まさしく蛇に睨まれた蛙。ほんの少しだけそこで足を止めてしまった。


 クロユリ様がニタァと笑って、その場で止まった。

 ホントに小さな声で「仕上げよ」と言った。何が……。


 クロユリ様の頭上にアホみたいにデカい炎の弾が形成され始めた。まるで新しく太陽が出来たようだ。二、三十メートルは離れているというのに、ジリジリと肌を焼く熱がここまで届いてくる。それが二個。クロユリ様は杖をくるくる回している。そうすると、炎の弾がどんどん圧縮されて、小さくなり始めた。


 あれはヤバい。分かる。直感だ。動物的本能だ。今すぐ逃げろと脳みそが警鐘を鳴らしている。その証拠にヒイラギ先生が「終了だ! そこまで!」と大声で叫んでいる。ああ。まずいんだ。あれはド級でヤバい。間違っても当たってはいけない攻撃だ。


 先生はやめろと言っている。だが、キキョウは一切気が抜けていない。クロユリ様の憎悪の表情が一ミリも変化していない。やる気だ。殺す気なのだ。


 今まで虐げられてきた記憶が走馬灯のようによみがえる。他愛なく殺されていく男たち。圧倒的魔法の前に膝を屈し、無残に殺されるイメージがキキョウの脳裏によぎった。


 キキョウはその魔法に釘付けになりながら、逃げようと走っていた。文字通りなりふり構わず、前を見ないで走った。すべてはあの攻撃を避けるため。突然の殺意に曝され、混乱しているキキョウに降りかかる暴虐の炎。


「ブラスト」


 その言葉と共に小さくなった火の玉が発射された。キキョウは目を離さないようにしながら、出来るだけ距離を取る。

 

 視線の先ではヒイラギ先生が魔法を使って、ブラストを撃墜しようとしている。早くしてください。あれが飛んできたらキキョウに防ぐ手はない。


 ヒイラギ先生は即座に大きな水の弾を出して、それをブラストを落とそうとして飛ばした。だが、クロユリ様はそれを見計らったように、ブラストの軌道を若干逸らした。


「な……!?」


 まるですり抜ける様にして、水の弾はブラストに命中しなかった。ということは、キキョウに向かって即死級と思われる攻撃が二つ飛んできている。

 大丈夫だ。落ち着け。攻撃は遅い。キキョウは鉄球を左手に持って、ブラストに向かって射出した。だが、小さくなった火の玉には掠りもしない。キキョウも慌てている。まったく弾幕を張っているのに、見当違いの方に飛んでいく。


 落ち着け、落ち着け、本当に落ち着いてください。


「クロユリ様! やめてください!」


 キキョウが必死に呼びかけるが、一切無視。むしろ清々しいほどだ。

 ブラストがキキョウに迫る。もう五メートルも無い。ちょっと、これ、終わったんじゃ――。


 その時、懐かしくも恐ろしい音が運動場に響いた。まるで本物の落雷だ。ピカッと光ったと思ったら、青白い光が生徒の方から飛んできた。それが一つのブラストを撃ち落とした。


 しかしそれがまずかった。


「ぐぁぁぁあああああああああ!!」


 圧縮された火が解放されて、至近距離にいたキキョウに大量の炎が降りかかった。さらにはブラストはその場で大爆発を起こして、運動場の土を巻き上げた。キキョウは反射的に地面に伏せてしまい、ボコボコになっていた地面に足を取られた。無様に転倒して、手に持っていた鉄球が散らばった。


「熱っ……ッッ!」


 大丈夫だ。死んでない。熱いけど、生きてる。キキョウは張ってでも逃げようとした。舞い上がった土ぼこりが、視界を阻害する。


 まだだ、第二波がくる。クロユリ様はブラストを二発出した。


「キキョウさっさと逃げろ!!」


 カトレア様の声だ。逃げろ。ということは、二発目のブラストはまだこっちに向かっているという事だ。さっきからビカッビカッと連続で光って、轟音が響き渡っている。カトレア様の魔法だ。


 この土煙の中を何発もの青白い光が突き抜けていく。だが、ブラストに命中したようには思えない。


 もしも命中したなら、さっきのように爆発して炎がまき散らされるはずだ。それがない。


 ――ということは。


「ひぁ……!!」


 キキョウは危機的状況にあるということを再確認して、後ずさりするように地面を這いながら距離を取った。だけど、実際はほとんど動けていない。手足が空回りして、地面を蹴っていない。怖くて怖くて、たまらないのだ。視界ゼロパーセントの中、キキョウを狙う殺意の波動がこっちに来ているのがビンビンと伝わってくる。


 もうほとんどその場で震えて待っているだけだ。

 手には鉄球すらなく、本当に無防備。終わったようだ。


 観念した時、同時に突風が吹き荒れた。土煙が舞い上がり、視界が晴れる。


 直後見えたのは、ほんの一メートルまでに迫っていたブラストの姿。そして恍惚としているクロユリ様のうっとりとした表情。


「死――」


 キキョウは咄嗟の防御行動で、右手で顔を隠した。

 直後狙いすましたように右手にブラストが当たった。


 文字通り、キキョウにブラストが炸裂した。

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