八 キキョウの髪の毛
支給された制服に身を包む。
白と黒を基調にした非常に落ち着いた服だ。胸元には魔法使いたる証のエンブレム。スカートは膝よりちょっとだけ高い。足元は侍女服を着るときに使っているニーソックスとロングブーツを履く。
髪留めで白髪を一纏めにすれば、準備完了だ。
姿見で見る自分の姿は、やはり女だ。
だけど、見様によってはやはり男が女装しているとも見える。
根本的にキキョウが男であるという事実は変えられない。
あらかた侍女としての仕事は終えてある。
キンセンカ様もツツジ様もすでに仕事に出発なさっている。学校に行っている間は、日中の侍女の仕事は免除されている。
カバンを持って、自室を出て玄関に向かった。
玄関にはすでに多くの人がいた。ていうか、何で……?
「キキョウ、遅い――」
カトレア様もキキョウと同じ服を着て、玄関前ですでに待っていた。
「すみません。着替えに手間取りました」
キキョウは皆の視線が突き刺さっていることに気付いた。
「え、どうかしましたか……? ぼくどこか変ですか?」
いや、女装している時点で変と言えば変なのだが。
キキョウは全身を改めたが、特におかしい所はない。
「な、何でもない。それより時間だ。少し遅刻気味だからな」
カトレア様が慌てて扉を開けて、外に出て行った。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「ああ」
「皆さん、行ってきます」
キキョウは挨拶すると、先を行くカトレア様を追いかけた。
「荷物お持ちしましょう」
「自分の分くらい持てる。子ども扱いするな」
「そうですか。失礼しました」
屋敷の敷地内を出て左に曲がった。
その足取りはやや早い。
春の匂いがするキャメローの街を進む。ここに来てから一か月がたつが、屋敷の外に出たのは初めてだ。勉強ばかりで、外に出ようとも思わなかったのだ。
春になりはしたが、やはりまだ肌寒い。
スカートが短いし、股下がスースーする。侍女服は結構長めのスカートだから慣れていたのだが、この制服異様にスカートが短い。
カトレア様も――?
「あれ?」
「どうした。忘れ物か? 戻る時間はないぞ」
「い、いえ。なんかカトレア様のスカートだけ長くありませんか? ぼくのは短いのに」
「そうか? そうは見えないが」
キキョウはカトレア様と自分のスカートの長さを見比べた。
キキョウは膝上十五センチは短いのに、カトレア様はほぼ膝丈だ。
「いやいやいや。絶対違いますよ! もはや別物です!」
「うるさいなー。いいだろ。それくらい。ちょっと改造しただけだ。サービスだよ、サービス」
「誰も得しませんよ!」
「私が楽しい。それが重要なのだ」
カトレア様がニヤッと笑った。これは駄目な笑いだ。
「やはりキキョウが困る顔や恥ずかしがる顔は最高に良い。悪戯した甲斐があるというものだ」
「カトレア様、困りますよ」
「キキョウが困る様にしているんだから、当然だろう」
うう~~……。とても心許ない。強い風でも吹いたら一大事だ。
「そんな泣きそうな顔をするな。後で通常仕様のスカートも用意させておく。だが今日はそれで我慢するんだな」
今日一日これ……。
すでに帰りたいが、そろそろ目的地のようだ。
キキョウと同じ格好の女性たちが、吸い込まれるように大きな建物に入っていく。
この町で多く使われる白い石で出来た大きな建物だ。
カトレア様が懐中時計を取り出して、時間を確認した。
「余裕だったな。体育館に行くぞ」
多くの人が流れ込んでいるあの大きな建物だろうか。
そこまで行くと中に入る前に靴を脱いで、靴箱にしまっている。
ロングブーツなんて履いて来るんじゃなかった。カトレア様は普通のローファーを履いている。
ロングブーツなんてしまうの面倒そうだ。
四苦八苦しながらロングブーツを脱いでいると、カトレア様が後ろの回り込んできた。
「大胆だな、キキョウ。丸見えだ」
「うわっ! 何してるんですか!?」
キキョウもキキョウであまりにも無防備に靴を脱いでいた。ちゃんとしゃがんで脱げばよかった。
「パンツ丸見えだったぞ。次から気を付けろ」
「こんな短いスカートじゃなかったら、そもそも見えてません」
「はははっ」
「笑ってごまかさないでください」
カトレア様が先に中に入ってしまったので、ロングブーツをその辺に置いて、キキョウも体育館に入った。
中には大勢の人がいた。この会場を埋め尽くすほどではないが、視界に人がいないという事はない。
「全員魔法使いなのですか?」
「だいたい半分くらいだ。側付きまで魔法使いなのはそういない」
ということは、この中の半分の生徒たちは魔法が使えない非魔導師なのだ。
キンセンカ様、チャンスはどこにでも転がっているもののようです。
体育館には前方に舞台があり、その前にたくさんの椅子が並べられていた。多くの生徒が椅子に座ろうと混雑している。まだ座れないだろうと判断している人もいて、後ろの方でそれを眺めている人も大勢いた。
後者の人たちは手持無沙汰になっているので、側付きの人に話しかけるか、入口に目を向けて入ってくる人を眺めていた。その視線がこっちに釘付けになっている。
「か、カトレア様。やはり有名人だったんですね。皆見てますよ」
カトレア様のことだ。あれだけ凄い魔法使いなのだから、注目もひとしおなのだろう。我が主ながら、鼻が高い。
――と思っていた。
「何を言っているんだ? 確かに多少は名が通っている自負はあるが、あれは私を見ているわけではあるまい」
「え? ですが他には誰もいませんが……」
キキョウはキョロキョロ周りを見ても、周囲に人がいるようには思えない。確実にこちらを見ている。……こっち?
「あれはどう見ても君を見てるだろ。キキョウ、他ならぬ君だ」
「ぼ、ぼくですか……!? な、何で……。ぼく変な格好してますか……!?」
女装している以外は全く普通だ。髪の毛も縛っているから寝癖がどうとか言うのじゃない。え、なに? 胸が本当に無いから、それがおかしくて皆見てるってこと? あ、スカートが短すぎるから? でもキキョウのように改造している人もいる。え、え、なに? なんで? なにかした? 現在進行形で何かしてしまっているのか?
キキョウはあちこち点検してみるが、どこも異常など見えない。もうパニックだ。
「落ち着け。変なところなどない。完璧だ」
「だ、だったらなんで、こんなに見られてるんですか?」
「完璧だからだ」
「ど、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ――来たぞ」
数名の女性がこっちに近寄ってきている。明らかにキキョウ目がけてきている。な、何なんだ……。
カトレア様の後ろに行こうとしても、当のカトレア様はキキョウを押し出すだけだ。
遂に女性たちがキキョウの前に立ちどまった。「う……あ……」キキョウは混乱して何も言えない。
「お前たち、キキョウに何か用か?」
双方何も言わないので、カトレア様が後ろから言葉をかけてくれた。
「あ、カトレアさん」
集団の中の一名が、カトレア様の事を知っていたようだ。
「ふむ? どこかで会ったかな?」
「い、いえ。カトレアさんは同年代だと有名なので」
やはりカトレア様目当てでこっちに来たのではないだろうか。
「あの……こちらの方はカトレアさんの知り合いですか?」
「キキョウの事か?」
「キキョウ……さんとおっしゃられるのですか?」
女性が首をかしげた。カトレア様がキキョウの肩をポンとたたいた。そこでハッとした。
「は、はい。キキョウと申します――あの、ぼく変なことしましたでしょうか? 何故か注目を浴びているようなので……。カトレア様は教えてくださいませんし……」
キキョウは体を縮こまらせて、出来るだけ注目を集めないようにした。
「理由は言っただろう。完璧だからだと」
「何が完璧なのですか。ぼくは普通に制服を着ているだけで……」
益々訳が分からない。一体キキョウが何をしたというのか。
「あ、あの……!」
一人の髪の長くて綺麗な女性――それが第一印象だった――がキキョウにやや強めに問いかけた。
「は、はい!?」
「落ち着け、君。さっきから変だぞ」
だってこんなに注目されることなど、今までの人生でなかったことだ。キキョウが困惑していると、黒髪の綺麗な女性が話しかけてきた。
「シャンプー何使ったらそんなにサラサラになるんですか?」
か、髪……? キキョウは伸び始めた髪の毛を引っ張った。
「それって脱色したんですか? それとも地毛?」
「も、元々こういう色で……」
「肌のケアは!? なんでそんなに白いんですか? 何か塗ってるんですか?」
「え、いや……。これも元々で……。ぼく生まれた時から色素が薄いみたいなので、すみません。物珍しかったですか? そ、そうですよね……。他にぼくみたいな人いませんし……」
良く考えたら、外の世界でキキョウと同じような容姿の人はいなかった。何もかも純白のキキョウような人はいない。なるほど。キキョウのことが珍しかったのか。
「勘違いしているな、キキョウ。物珍しさで彼女たちは君に話しかけた訳じゃない」
カトレア様がキキョウの耳元に口を寄せた。小声で悪戯っぽく囁いた。
「君が可愛すぎるのがいけない」
「え……?」
キキョウがどういう意味か聞く前に、カトレア様が歩き出してしまった。
「悪いな。キキョウは私のものなんだ。今日は独占させてもらおう。なに、いくらでも時間はある。いつでもキキョウに話しかけると良い」
カトレア様は手をひらひらと振って、その場を後にした。キキョウも一礼して、カトレア様を追いかけた。
「ふふっ。大変に気分が良い。自分のものを褒められるというのも存外悪くない」
「はあ……。そうですか……」
カトレア様は席について、キキョウもその隣に座った。
「君は自分の容姿がどれだけ優れているか分かっていないな。一度自分の格好を見たか?」
「見ましたけど……。それがどうかしたんですか?」
今日も出発する前に一度確認はした。どこもおかしい所はなかった。
「本人は見慣れているからこんなものなのか? 慣れとは恐ろしいな」
カトレア様はキキョウのポニーテールを弄り始めた。
「この中性的な感じが堪らないのだろう。母性本能とやらがくすぐられる。色素が薄いのもポイントだな。どうも弱々しく見えるから、守ってやりたくなる」
「あの、くすぐったいんですけど……」
カトレア様はすまんな、と言って手を離した。
「しかし凄まじい優越感だ。さっきの彼女たちの表情を見たか? ポカンとしていて傑作だったぞ」
「趣味が悪いですよ、カトレア様」
「君のせいだ。魔性の女だな、キキョウ」
そんな言われ方ってあるだろうか。
そうこうしていると、人も集まってきて、段々場が静かになってきた。
舞台に誰か上ったのだ。
一人は熟年の女性。もう一人はキキョウと同じく制服を着ている。
「それでは第118回キャメロー高等学校の入学式を始めます」
熟年の女性が入学への賛辞を述べる。
「皆さん、入学おめでとうございます。当方、この学校の校長で御座います。以後、お見知りおきを」
ぺこりと頭を下げたので、キキョウも頭を下げた。
「さて、ここにいる多くの人が魔法を使える人でしょう。側付きの方は主のサポートを精一杯こなし、社会に貢献できる女性を目指してください。魔法使いの皆さんは輝かしい未来に向かって、日々研鑽をつんでください。これから色々なことが起きると思います。嬉しい事、悲しい事、辛いこと。それはもう怒涛のように押し寄せてきて、あなたたちを翻弄するかもしれません。それに負けず、耐え忍び、打ち勝ってください。あなた達にはその力がある。私はそう確信しています」
校長は一息つくと「挨拶長いの嫌いなのよね、私」と言って、隣にいた生徒を呼んだ。
「それじゃ、簡単だけど私からの挨拶は終わります。新入生代表のクロユリ・ダッチェルンさんに宣誓をしてもらいましょうか」
キキョウは不思議に思った。カトレア様が新入生代表じゃないの? あの人はカトレア様よりすごいのだろうか。そうは見えないが。
キキョウはこそっとカトレア様に尋ねた。
「カトレア様は新入生代表にならないかと声がかからなかったのですか?」
「ん? ああ。ああいうのは家柄で決まる。ダッチェルン家は安定して魔法使いを輩出する名門だ」
「? アンハーバン家は違うのですか?」
「昔はすごかったようだがな。最近生まれた魔法使いは私だけだ。落ちぶれいてるのだよ」
遠目で見えにくいが、クロユリ様は目元のきつそうな女性だ。正面に立ったら、あまり正気を保っている自信はない。
クロユリ様は軽く咳払いすると、紙を持ってそれを読み上げ始めた。
「皆さん、初めまして。当方、ダッチェルン家のクロユリ・ダッチェルンと申すものです。今回は新入生代表という栄誉をいただき誠にありがとうございます」
小さな声なのに、やけにはっきり通る声だ。
「魔法使いとして生まれて十五年。高等学校で学べる機会が得られたことを本当にうれしく思います。大帝国におわします大聖母――魔女様に永遠の忠誠を誓い、ここに精進する事を生徒を代表して誓います。簡単ですが、これを挨拶と致します」
クロユリ様がスカートをつまんで、軽くお辞儀した。
クロユリ様は舞台を下りて、舞台袖に消えた。
代わりばんこで校長が喋りはじめた。
「では生徒の皆さんは、事前に知らせたクラスまで移動してください。担任の先生から説明があるでしょう。以上です。解散してください」
なんとも短い会だった。なくても良かったのではと思う。
「行こうか。我々のクラスはAだ」
「はい、分かりました」
体育館の外に出て、ロングブーツに履き替えた。今度は覗かれないように注意しないと。
危なげなく履き替えて、校舎に向かった。
「何も持っていませんが、土足でよろしいのでしょうか?」
「ああ。履き替える必要はない。体育館は専用のシューズが必要になるが、あまり使わないだろうな」
「そうなのですか」
あんな大きな施設を使わないとは、勿体ない。
「話を相当前に巻き戻すが。君はもうちょっと周りの目を気にした方が良い。自分がどう見えているのかというのを特にな」
「ぼくがですか……。カトレア様はどう見えますか?」
「ふむ……。それを直接訊くとはなかなかに勇気があるな。そして改めて言うのも気恥ずかしい。自分で考えろ」
「いつもしつこい位に可愛いを連呼しているじゃないですか」
「……なんか最近生意気になってきていないか? 昔のキキョウはもっと従順だったのに」
「初めて会ってから一か月程度しか経っていませんよ?」
「そうやって反論するのは最近になってからだ。前なら『そうですね、カトレア様』とか言っていたのに」
カトレア様が愚痴をこぼしていると、Aクラスに到着したようだ。
キキョウは出入り口で固まった。初めての学校だ。緊張する。
「ん、どうした。早くしないと後がつかえるぞ」
こういうとき、カトレア様は強引だ。ぐいぐいキキョウを押して、教室の中に入れた。
「うわっ……! 何するんですか、カトレア様」
「君がもたもたするからだ」
教室の中はすでに半分程度が埋まっていた。例外なく全員女性だ。キキョウのように男性で魔法使いというのは、やはりいないのか。
しかし、ここでもやはり生徒たちの目線がキキョウに突き刺さっている。
もう丸くなって、どこかに転がっていきたい……。この髪の毛か。この髪が駄目なのか。
キキョウは頭を覆い隠した。だけど、キキョウの手は小さくて、とても頭を隠せるようなものではない。
「何してるんだ」
「……目立たない様にと」
「その行動で目立っていると思うが」
キキョウは恐る恐る皆を見たが、カトレア様が言うようにさらなる注目を浴びていた。
「堂々としていろ。君も言っていただろ。私が常日頃可愛いと連呼してると。ちょっと君が規格外で可愛いから、皆びっくりしているだけだ」
「か、からかわないでください……」
カトレア様はキキョウの抗議を聞き入れず、適当な席に座った。この教室の机はとても大きく、二人掛けできそうだ。というより、二人で座ることを想定されている。主と側付きが座ることが前提のようだ。
キキョウはカトレア様の隣に座って、体を丸めた。
「……カトレア様、お願いがあるのですが」
「なんだ」
「帽子を頂けないでしょうか? 髪の毛を隠したいのですが……」
「却下だ。以後、君は帽子の着用を一切禁じる」
「えっ!?」
キキョウは大層びっくりして、大声を出してしまった。「な、何で……」
「隠す必要などない。恥ずかしがることなどない。堂々としていろ――て、また来たか」
教室の人たちはそれぞれ立ち上がって、歓談していたが、その一部がキキョウ達の方に来た。
が、続々とクラスメイトが入ってきて、さらには担任と思しき大人の女性まで入ってきたので、皆戻っていった。
「助かったな」
「……そうですね」
教室内の人は先生以外座って、静かに指示を待っている。
「おはよう、諸君。君たちの担任になるヒイラギだ」
ヒイラギ先生は黒板に大きく自分の名前を書いた。ヒイラギ先生は眼鏡をかけ、大人の魅力あふれる方だ。とても理知的そうに見える。
「まずは入学おめでとう。これからこのキャメローで大いに学んでくれ。さて、まずは最初にこのクラスの筆頭を決めてもらおうか」
キキョウはカトレア様に「筆頭ってなんですか?」と訊いた。
「リーダーみたいなものだ。面倒だから無視しておけ」
カトレア様は目を瞑ってしまった。それほどやりたくないのか。
「誰かやる奴はいないか?」
カトレア様の言った通り、面倒な物のようで誰も挙手しない。シーンと静まりかえっている。
だがすぐにその静寂も打ち破られた。
「私がやりますわ」
皆声のする方を見た。あの人さっきの人だ。
「おお、やってくれるのか。流石に生徒代表を務めるだけはあるな」
生徒代表のクロユリ様もこのクラスにいたのか。
「前に出てきてくれ。そのまま皆には前で自己紹介してくれ」
キキョウはうげっと思った。皆の前に出て話さないといけないのか……。
クロユリ様とその側付きの方が前に立った。
クロユリ様がちょっとだけ前に出た。
「先程ぶりですわ。改めまして自己紹介を。ダッチェルン家が次女、クロユリ・ダッチェルンと言います。こっちは私の側付きのポピーです。ポピー、挨拶を」
ポピーさんはガチガチになりながらも、ゆっくり一礼した。「よろしくお願いします……!」
「挨拶も終わったので、こっちの席の人から前に出て自己紹介をしてください」
クロユリ様に促されるままに、どんどん自己紹介が行われていく。
人が多すぎてまったく顔と名前が一致しない。えっと、さっきの人どういう名前だっけ……?
それよりなんて言えばいいんだ。ポピーさんは頭を下げただけだけど、なんか側付きの人まで何か言う流れになっている。
あまり目立たない様にしないと駄目だ。さっきから自己紹介無視で、こっちを見ている人が結構いる。キキョウも皆の名前を憶えたいのに、気が気でない。
「……何をそんなに緊張する必要があるんだ」
「だ、だって……」
「名前を言うだけだろ。堂々としていれば、変なところはない」
「そうでしょうか……」
キキョウはもう不安で一杯なのだが。あれこれ考えていると、あっという間に最後の番になった。キキョウ達だ。カトレア様、なんでこの席に座ったんですか……?
カトレア様が立ち上がった。キキョウもガクブルしながらその後ろを歩く。カトレア様はまったく気負っていない。自然体そのものだ。
「アンハーバン家のカトレア・アンハーバンだ。好きな物は可愛いものだ」
そうなの!? でも部屋に可愛いもの置いて無くありませんか?
「特に白髪で赤目など最高だ。兎のようで愛らしい」
とてもピンポイントな好みですね。まるでキキョウのようだ。
「こっちは私の側付きのキキョウだ。キキョウ、挨拶を」
カトレア様が一歩だけ後ろに下がった。キキョウはちょっとだけ震えながら、前に出た。髪の毛を引っ張りながら、下を向いて自己紹介した。
「ご、ご紹介に預かりました、き、キキョウと申すものです……。よろしくお願いします……」
なにか教室内がざわめき始めた。やはり皆キキョウのことを見ている。いや、前に出ているから当たり前なのだが。
きゃーきゃーと騒がしくなり始めた。一体何が起きているんだ。
キキョウは恥ずかしくなって、余計に俯いて、髪を引っ張る。この髪の毛がいけないのだろうか……。
「静かにしないか。騒がしいぞ」
クロユリ様が皆をたしなめようとするが、収まりは付かない。皆完全に興味がキキョウに移っている。
クロユリ様が不機嫌そうな顔になっていた。
キキョウはその顔を見てしまった。本当に、本当に不機嫌にならないとあんな顔にはならない。キキョウはすぐに目を逸らして、下を向いた。
「キキョウに何か聞きたい事があれば、後で受け付けよう。悪かったな、筆頭。続けてくれ」
キキョウは心底ほっとしたが、あとから何かしら受け答えしないといけないのかと思うと、やりきれなくなった。
席に戻って、クロユリ様やヒイラギ先生から諸々の諸注意を聞いた。
他にも係や委員を決めた。
キキョウは国語係になった。委員はやるなとカトレア様に言われたので、まだ馴染のある国語係になった。
休み時間の鐘の音が鳴ったようで、ヒイラギ先生が出て行った。
「カトレア様、今日はもう終わりですか?」
「この後普通に授業がある。その辺は厳しいな」
入学初日から勉強しないといけないのか。一応筆記用具を持ってきてよかった。
キキョウはカバンから授業に必要になりそうなものを準備した。机にノートなどを置いていると、真横に人の気配を感じた。
「あの……どうかされましたか?」
生憎名前を覚えきれなかったので、誰が誰だかわからない。
しかしその人の行動にかなりの注目が集まっているのが分かった。多くの人が黙り込んでしまい、教室が静かになっている。
キキョウは妙なことになったと思いながら、精一杯対応しようと思った。カトレア様に恥をかかせることはできない。アンハーバン家の侍女として恥ずかしくない行動をしなければ。
「キキョウ……さん」
「は、はい。なんでしょう」
「失礼かもしれませんが、よろしいでしょうか?」
その人の後ろにいる侍女がハラハラしながら、手を動かしている。
隣にいるカトレア様が「ふふん」と笑った。かなりの上機嫌だ。とにかく、相手は身分の高い人だ。怒らせないようにしないと。
「内容が分からない事には、如何とも……」
「そ、そうですよね。すみません。あの……髪の毛触って良いですか……?」
キキョウは長くなった髪の毛を触った。また髪? そんなに珍しいだろうか。
しかし無下にも扱えない。この人は、確実に魔術師見習い級以上だ。第四階位の人のお願いを聞けないなどというのは無理だ。
「ええっと……。別に、良いですけど……。大したものじゃありませんが」
キキョウはそっと頭を差し出した。
後ろ髪で縛っているので、一旦解いた。元々長かったが、今はだいたい顎の辺りまである。女性にしては短いが、男としては長い。
「で、では、失礼して」
女子生徒はごくりと喉を鳴らし、キキョウの髪にそっと触れた。まるで壊れ物を扱うような手つきだ。
「うわっ……! すごっ……! サラサラだし、柔らかい……」
女子生徒は飽きることなく数十秒は撫で続けた。我に帰った時にキキョウに詰め寄った。
「どうやってケアしたら、こんな風になるですか? ぜひ教えて欲しいんですが」
「え、ケ、ケア……? 何かしたっけ?」
キキョウは困ってカトレア様の方を見た。
「いや、私を見られても困る。君が普段どうやって髪の毛を労っているのか教えてやればいいだけだ」
キキョウは頭を捻って、あれこれ考えたが特に思いつくようなことはない。あ、でも、あれは違う。
「最近シャンプーとリンスを使い始めました。あ、あとコンディショナーも」
「……それ以外には?」
「え、これ以外ですか?」
キキョウは振り返ってカトレア様を見た。
「だからこっちを見るな。君の髪事情は知らん」
なしの礫だ。キキョウは仕方なく、色々思い返した。だが、本当に特別なことはしていない。
「えっと……。すみません。カトレア様のご自宅にある洗髪料を使っているだけです」
「じゃ、じゃあ銘柄教えてくれない? 私もそれ使ってみたい」
キキョウは再度振り返った。カトレア様はため息を吐いた。
「“Advance”というのを使っている。値は張るが、良いものだ。まあキキョウレベルにはならないと思うがな。これはほとんど遺伝だ。まったく羨ましい奴だ」
女子生徒はそんな言葉は無視した。側付きの人に帰りに買っていくと興奮気味に伝えている。
「あの、もう一回触って良いですか?」
「え、良いですけど……」
キキョウはまた頭を差し出した。数回髪を梳かれると、満足したのか席に戻った。
これでひと段落と思ったが、続々とキキョウの席に人が集まった。
「あの、私も触って良い?」
それを皮切りに、教室の人ほとんどがキキョウの周りに集まった。キキョウが目を回していると、カトレア様が立ち上がった。
「お前たち、もう少し落ち着け。いくらキキョウが可愛いからと言って興奮しすぎだ」
カトレア様……。追い払ってくれるのですね。ありがとうござ――。
「一列に並べ。私の言う事が聞けない奴は、キキョウの髪の毛も肌にも触らせん」
……違うのですか。それに女子生徒達も並んでしまうのか。
「いい気分だ」
「……そうですか」
それからキキョウは授業が始まるまで、ひたすら髪を撫でられ続けた。
教室がキキョウの髪の毛を触るので、騒がしい中、その中に混じらない人物もいた。
「……うざいわね」
クロユリ・ダッチェルンはキキョウを凝視して、唇を噛んでいた。