四 キキョウの行く末
カトレアと一緒に進むこと数分。
ちょっと前に見た馬車が目に入った。所々装飾されていて、かなり豪華だ。馬車を引いている馬も二匹いる。
「アザミ、帰ったぞ」
その言葉に導かれた様に、馬車に備え付けられていた扉が勢い良く開いた。
出てきたのは侍女服を着た小さな女の子だった。また女だ。
雪の陰に隠れて判然としないが、かなりの小ささだ。十歳程度にしか見えない。
その少女が凄い勢いでこっちに来ている。
ぶつかるような勢いですっ飛んできて、急停止した。
「お嬢様。勝手にどこかに行かれると本当に困るっていつも言ってますよね!?」
「悪いな。アザミ。私はこういう性分なんだ」
「だからって、『何かが私を呼んでいる』とか言って、どっか行かないでくれます? 私だけに迷惑がかかるのは良いですが、今日はもう一人侍女がいるんですから。これ、あとから奥様にチクられますよ?」
「放っておけ。あの女は私をどうこうする事なんてできない」
アザミという少女は大きなため息を吐いた。そこになって、カトレアがキキョウを前に押し出した。
「なにするんですか」
「紹介だよ。紹介」
アザミさんが不審そうな目でキキョウのことを見上げている。
「あー、これが?」
「そうだ。私を呼んでいた」
いや、呼んではいない。何したわけでもないけど。
「紹介しよう。キキョウだ」
「は、初めまして……」
カトレアに促されるままに、挨拶をした。
するとアザミさんは、キリッとした顔になって侍女服のスカートの裾をつまみながら、少しだけお辞儀した。
「初めまして、キキョウ。私、アンハーバン家に仕える侍女長――アザミというものです」
侍女長……? それってかなり偉いのではないのだろうか。なのに、こんなに小さい……?
「なお、失礼なことを考えている輩は顔を見ればわかるので悪しからず」
「ご、ごめんなさい……!」
「……失礼なことを考えていたのですか」
「あ、え、お……?」
言葉が続かない。すると後ろにいたカトレアが助け舟を出してくれた。
「仕方なかろう。アザミは年齢の割に小さいからな。初対面の人間だったら、だれでも小さいなとか思うだろうに」
「お嬢様ぁ。要らない事言わないで良いのですよ? 私も重々承知しているので」
アザミさんはスカートから手を離して、背筋をぴんと伸ばした。
「それでは、参りましょうか」
「そうだな。キキョウ、行くぞ」
アザミさんは何事も無くキキョウの存在をスルーしようとしたのだろう。挨拶したので、はいさようならを決め込もうとしたのだ。
しかしカトレアがキキョウの存在をはっきりと認識しつつ、さらに同行させようとしている。
アザミさんはちょっとだけ表情を崩した。
「……やはり、連れて行くのですか……」
「ははっ。何を言っているんだ、アザミは。見ろ」
カトレアがキキョウの肩を叩いた。
「キキョウがどうかしましたか?」
「可愛いだろ」
「……それがどうかしましたか」
そうだろう。アザミさんの態度が自然だ。可愛いからなんだというのだ。それと繰り返しになるが、キキョウは男だ。
「見ろ。この艶姿を。白い髪の毛、赤い目に、細い体躯。これを見て、何か思わないのか?」
「……どうやら収容所の者のように思えますが」
「はっ。関係ない。キキョウは女だからな」
違う。
「それは見ればわかります」
分かっちゃうんだ。一目見るだけで、キキョウは女に間違われてしまうのか。
「絶世の美少女だ」
「そうですね」
やめてほしい。なにかとても気恥ずかしいものがある。
「愛でたい、守りたい、私のものにしたい」
「……つまり、我が儘という事ですね」
「フッ、端的に言えばそうだ」
アザミさんはキキョウをじろじろ見始めた。それは頭のてっぺんから、指の先まで全身くまなくだ。
キキョウは若干気後れした。まるで査定されているようだ。キキョウの存在価値を今現在計算されている様に思えた。
そして数秒が過ぎるころになって、アザミさんが「駄目ですね」と告げた。
カトレアが若干むっとしているのが分かった。語気が少し強いのだ。
「何が駄目だというのだ」
「第一に収容所にいたというのが駄目です。奥様が認められるように思えません」
「知るか。あの女のことなど捨ておけ」
「……第二に、学が無い」
キキョウはギクリとした。まさにキキョウが気にしている事だった。
「収容所にいたというのは、女としては不幸です。同情もしますよ、キキョウ。だけど、現在相当の地位にあるアンハーバン家に無学の輩が土足で立ち入ることなど、この侍女長である私が許しません」
凛として張りのある断言だった。だけど、それを余裕で断ち切ったのがカトレアだった。
「下らん。学など今から学ばせればいい。キキョウは今までやっていないだけだ。機会が無かっただけで、阿呆という訳では無い。今からでも十分に取り戻せる」
カトレアはキキョウの方を見て、「なあ?」と訊いて見せた。
いや、そんな風なこと訊かれても。だいたい、キキョウは今どういう立場になっているのか非常にあやふやではないか。
これではどっちの意見が正しいのかなんて、まったく判断できない。
キキョウが何も言わなかったので、アザミさんがさらに話を続けた。
「第三にただの第五階位――それも無学のキキョウが屋敷に入ることなど、奥様が許されるとは思いません」
「ふむ。まあ、それはあるな。あの女の事だ。利益にならないとなれば、すぐに追い出すだろうて」
アザミさんは否定も肯定もしなかった。立場の問題で、あまり断言する事も出来ないのだろうか。
「しかし、アザミよ。お前はキキョウが収容所出身で、無学で、さらには第五階位のただの女だから、同行を認めないという事だな?」
「そうですね。一番の問題は身分ですが」
アザミさんの一言はキキョウの中でかなり大きな意味を持った。やはり外の世界でも、身分制度は働いている。男は強制的に第六階位になり、最底辺を這いつくばるのだ。これは絶対にキキョウが男であることがばれてはいけない。
「それならば問題はない。キキョウは第四階位だ」
「……魔法が使えるという事ですか?」
「そういうことだ」
「本当に?」
「我が名に誓って」
静寂。風の音しかしない。途轍もなく重い雰囲気だ。
チラッとアザミさんが紫の髪の毛の間から覗く目で、キキョウを射抜いた。
「……最低でも魔術師見習い級はあると判断されたのですか?」
「そうだな。小さすぎて他の者は気づかないだろう。それほどに微弱な力だ。魔力量はあまり多くないだろう。こればかりは私の感覚を信じてもらう他ない」
「わかっております」
アザミさんが一歩前に来て、少しだけ頭を下げた。
「キキョウ、数々の暴言をお許し下さい。魔法使いたる魔術師見習い級に使う言葉遣いではありませんでした」
女性がキキョウに向かって頭を下げている。一大事だ。「あ、頭上げてください……!」
「では、お言葉に甘えて」
アザミさんはすぐに頭を上げてくれた。心臓に悪い。
「魔法使いを見つけてきたとなれば、あの女も納得するだろう。収容所出身であろうが、学が無かろうが、そんなものは関係ない。第五階位のあの女は、キキョウより立場が下なのだからな」
中々に外の世界もシビアのようだ。かなり身分制度がギスギスと渦巻いているように思える。
「話は中でしましょう。外にいても寒いだけです。魔術師見習い級だと分かれば、全ての前提は崩れました。アンハーバン家はキキョウを歓迎します」
アザミさんはにっこりと笑った。さっきまでとはまったくもって対応が違う。魔法が使えるか使えないかだけで、こうも態度が変わってしまうのか。
これで男だとばれたら、キキョウは死んでしまうだろう。絶対に殺されてしまうと思う。なにしろ、男は最底辺の第六階位だ。キキョウは二人に第四階と認識されているのに、男だとばれた瞬間、一気に二階位も落ちる事になる。これは大変恐ろしい事であるとキキョウは思う。
一階位ですらアザミさんの態度が急変したというのに、これが二階位も落ちたとなれば、男という事も相まって、抹殺されるのも視野に入れないといけない。
これはかなり面倒な事態になっている。
逃げ出したいが、カトレアはキキョウを迎え入れる気満々だし。猿人間を瞬殺したカトレアから逃げることなど、猿人間から逃げるより困難だ。
アザミさんは馬車まで移動して、中にいる人に話しかけている。
中から同じく侍女服を来た女性が出てきた。こちらはちゃんと年相応に見える。防寒具を着こんでいて、寒さ対策はしているようだ。
「御者をお願いします」
「はい、侍女長」
「それとこちらの方も同行する事になったので、そのように」
「分かりました」
簡潔なやり取りを経て、侍女が御者台に乗り込んだ。
アザミさんが扉を開けて、先にカトレアを中に招き入れた。
カトレアが先に入ると、アザミさんが「キキョウも入ってください」と先に入れてくれた。なんか、罪悪感がある。自分、男なんです。身分は一番低いんです。
キキョウに続いてアザミさんも中に入った。キキョウは押し込まれるようにして、カトレアの隣に座った。
うわっ。すごいフカフカだ。こんな感触初めてだよ。
アザミさんも乗り込んで、御者台の方の壁をコンコンと叩いた。
すぐに馬車が動き始めた。
「さて、まだ問題がございます」
アザミさんがすぐにそう言った。何が何やら。どんどんキキョウのあずかり知らぬところで、勝手に話が進んでいる様にして思えない。
「キキョウを迎え入れるにあたって、どういう立場にするかということです」
「食客で良いのではないか?」
また何を言っているのか。キキョウはそんなにすごくない。食客扱いされるような技能など持ち合わせていない。
「無理だよ、カトレア」
ぶちっと何かが切れた音がした。
「カトレア、だぁぁぁ!?」
アザミさんがぶるぶると震えながら、顔を真っ赤にしている。
「え、え、え……!?」
一体なんだというのだ。キキョウは何かへまをしてしまったのか。恐らくそうだ。こんなに怒っているのだから、キキョウはアザミさんの逆鱗に触れたのだ。
「落ち着け、アザミ」
「これが落ち着いていられますか! お嬢様を呼び捨てェ!? あり得ませんっ! これは一回調教する必要があるみたいですね」
「落ち着けと言っているだろう。私から呼び捨てして欲しいと頼んだのだ」
「なん……ですって……!?」
アザミさんは心底驚いているようだ。いや、落ち着いて。そうだよ。キキョウは悪くないんだ。それに謝る。なんなら呼び方を改めようじゃないか。
「い、いや……! お嬢様が認めても、このアザミが許しません。ぽっと出の小娘がいきなりお嬢様を呼び捨てなど、おこがましいです。キキョウ、すぐに改めなさい」
「分かりました。では間を取ってカトレア様で」
カトレア様がすぐに訂正を求めた。
「おい、キキョウ。なぜそうなる。どことどこの間を取ったら、カトレア様なんて堅苦しい呼び方になるんだ」
「いいえ、カトレア様で。お嬢様とカトレアを合体させた折衷案です」
「なるほど。キキョウ、良い考えです。お嬢様の名を呼びつつ、敬意を表しているのがひしひしと伝わってきます。良い着地点です」
「待て、待て待て待て。キキョウ。良く考えろ。年増の策略に嵌まっているぞ」
年増、という単語に強くアザミさんは反応した。それを無視して、カトレア様はキキョウに詰め寄る。
「だいたい私たちは同い年だろう。身分は若干違うが、関係ない。親しみを込めて、カトレアと呼んでくれていいのだぞ?」
「いえ、そうすると、アザミ――さんの方が良いですか?」
「どうとでも呼んでください」
「じゃあ、アザミさんで。――カトレア様、どうにも呼び捨てにすると、アザミさんが激怒するようなので、ぼくが困ります」
カトレア様は何を馬鹿なことを言っているのだという風な顔になった。
「私はキキョウにもっと困ってほしいんだ」
「カトレア様に決定です」
キキョウはにこやかにそう告げた。
カトレア様はただキキョウを困らせたいだけだったのだ。
たぶん、キキョウの困った顔が見たいという私利私欲に駆られた行動だったのだろう。
「名前問題はこれにて解決です。キキョウ、これからは敬意を込めてお嬢様を呼ぶように」
「分かりました」
なんだ、これ。なんかどんどんキキョウは変な方向に行っている気がする。
なんだか、勝手にキキョウの行く末が決められている。
「仕方ないか。アザミは厳しいからな。様付けで勘弁してやろうじゃないか」
カトレア様は明らかに残念そうな表情になりながらも、どこか満足そうにしている。「よろしく頼んだぞ、キキョウ」
「はあ……」
キキョウは頭を掻いた。どうにも把握しきれていない。
空気をぶち壊す事を確信しながらも、アザミさんに尋ねた。
「あの……ぼくってどうなるんですか?」
アザミは一瞬困惑しながら「お嬢様?」と若干困っていた。
「キキョウには何とご説明されたのですか?」
「私のものになれと言った」
「……阿呆なのですか?」
「アザミというものが情けない。私の成績は優秀だ。断じて阿呆ではない」
「いえ、阿呆でございます……キキョウもキキョウです。こんな適当な人に付いて来るなんて。世が世ならもう死んでますよ?」
カトレア様がフッと笑った。
「そこがまた愛らしい」
「……」
「……」
馬車の中が固まった。なんだろう、これは。とてもキキョウの脳みそでは、カトレア様の事を理解するなどできないのではないだろうか。
「分かっていないなら、改めて言おうじゃないか。キキョウ、私のものになれ」
「お嬢様、それが説明不足だというのです」
「……ふむ、そうか。仕方なし。どう説明すれば良い?」
アザミさんは若干考え込んだ。すぐに言葉を紡いだ。
「簡潔に言えば、アンハーバン家にキキョウを迎え入れたいと?」
「そうだな、そんな感じだ。才あるものを潰すのは惜しい。キキョウはこんな環境に埋もれていていい人材ではない――そう。これは後援だ。私はキキョウの後援者になろうじゃないか」
「後援者……」
カトレア様はそう言って、キキョウの白い髪を撫でた。
「そうだ。そうすれば、君を私のもとに縛り付けておける」
「……カトレア様、それが本音ですか」
「本音と建前というやつだ。中々に名案ではないか」
アザミさんは困ったような顔になった。
「しかし、キキョウには実績がありません。お嬢様の見立てで魔術師見習い級だとしても、それ相応の実績が無い限り、お金を出すことなどできないでしょう」
「可愛いからどうとでもなるだろう?」
「なりませんね」
「馬鹿な……」
カトレア様は心底驚いている。可愛いからって理由でキキョウに金銭的に支援をしようとしていたのか……?
いや、別にキキョウは男だから、可愛いとか言われても困るだけなのだが。
「それで、ぼくは一体どうなるのでしょう……?」
「食客は駄目。後援者もダメとなると、キキョウを縛っておけないではないか。アザミ。何とかしろ」
アザミさんは大きなため息を吐いた。心底面倒そうだ。キキョウのためにこんな心労をかけてしまってごめんなさい。
「……お嬢様、話は変わりますが、例の人材は見つかったのでしょうか?」
「ん? いや、駄目だな。なしの礫だ。どこに連絡しても、私の下に着こうなどという魔法使いは……」
ハッとしたような顔になって、カトレア様がキキョウを見た。
「そういうことです」
「……成程、名案だ。しかしそれだと、食客と変わらないのではないか?」
「確かにそうですね。キキョウには一人暮らしを……」
「却下」
「そうですか」
キキョウは完全に置いてけぼりになっている。話に割り込む余地も無ければ、上位である女性の会話割って入る勇気もない。
それでも議論が止まった一瞬を狙った。
「あの……どうなって……?」
「それを話し合っています」
「そ、そうですか……。お邪魔しました……」
一蹴されてしまった。キキョウは隅の方で小さくしていることにした。もう流れに任せよう。どうにでもなってくれ。どうせ、一度は死んだ命だ。勝手に使ってくれて構わない。
「――やはり、キキョウは手元に置いておきたい。これは譲れないし、その方が何かと便利だろう?」
「確かにそれはそうですね。いちいち連絡を取る手間が省けます」
「客として招くのが無理なら、いっそ身内にしてしまうか?」
「どうやってですか。無理に決まっているでしょう」
「流石に私も無理を言ったか――いや、養子というのはどうだ。私の養子」
「なんでお嬢様の養子なんですか。百歩譲っても奥様の養子でしょう。それに手続きにかなり時間がかかると思いますよ。その間、キキョウの立場は宙ぶらりんです」
「チッ、駄目か。私としてはキキョウを養うなど、とても容易い事なのだが」
「そこですね。タダでキキョウを迎え入れようとしているのが問題なのです」
「では給与が出ればいいと」
二人が揃ってキキョウのことを見た。「えっと……何ですか……?」
「キキョウ、侍女をした事は?」
「無いですけど……」
第一、キキョウは男だ。侍女には天地がひっくり返ってもなる事が出来ない。
「未経験ですか。まあ収容所にいたのに、経験がある方がおかしいですね」
「見習いとして雇うか?」
「それが現実的ですね。年齢はお嬢様と同じなのですよね?」
「ああ」
「それと教育もしましょう。それは私が教えます」
「助かる。では、決まりだ――キキョウ」
どうやら決まったようだ。この先、キキョウの未来はどうなるのだろう。
やらないといけないことは、絶対男だとばれてはいけないという事だ。それだけは分かる。
「アンハーバン家の侍女になれ。それですべて解決だ」
カトレア様はキキョウに手を差し出した。キキョウは慌ててその手を掴んだ。
「改めてよろしく頼む。これから色々あると思う。私の我が儘に付き合うことになる。それも仕方ないだろう。なにしろ、私は君の命の恩人なのだから」
ニヤッと笑みを浮かべている。なるほど。そういう手だ。それを持ち出されては、キキョウも首を縦に振るしかない。
「よろしくお願いします。カトレア様」
キキョウも、今後の事を考えていた訳では無い。何も持たないキキョウが生きていくには、この世界は酷すぎる。働き口があるなら、確保するべきなのだ。
――それに、カトレア様は確かに命の恩人でもある。
猿人間だって、カトレア様が倒してくれなければ、キキョウはどうなっていたか分からない。吹雪の中を一人歩けば、凍死していただろう。
すべてカトレア様がいたからこそ、キキョウは今現在もこうして生きているのだ。
感謝こそすれ、憎むことなどあり得ない。
第一、相手は女性だ。男性より位の高い女性相手に、キキョウがどうこうしたいと口にするのは、今までの人生観が強く拒否している。
命の恩人で、尚且つ女性であるカトレア様がキキョウのことを求めている。
ならば、付いて行くしかないではないか。
――卑屈だろうか。だが、キキョウはそうは思わない。
キキョウは一時間も前に、姿の見えないカトレア様の声を聴いて、もう一度声を聴きたいと思ったし、あわよくばお姿も見てみたいと考えていたところだ。
なんだ。全て叶っているじゃないか。
なんなら、カトレア様と一緒にいれば、ずーっとその声も容姿も見放題だ。
働き口まで用意されて、この好条件。断る理由はない。
問題があるとするなら、キキョウが男という一点のみ。
騙す形になって、申し訳ありません。
だけど、キキョウにも夢がある。
こういう形にはなったが、外に飛び出すチャンスだ。十五年の間夢想しつづけた世界が、キキョウを待っている。
確かに罪悪感はある。後ろ髪を引かれる思いもある。
だけど、キキョウは今まで何も満たされていない。今回くらい、キキョウが我が儘を言ったって、誰も咎めない……はずだ。
アザミさんだって、キキョウの境遇には同情すると言っていた(キキョウが女であることを前提にした発言だが)。キキョウが女ならば、キキョウは可哀想なのだ。可哀想な子には慈悲があって然るべきだ。
カトレア様とアザミさんが談笑し始めた。
キキョウは小さく「ごめんなさい」と謝った。
まったく、自分が嫌になる。