二 キキョウの身分
この世界――国では一番身分が低いのは男のようだ。
それは何度も聞かされた。『カントク』が何度も何度でも言い聞かせるのだ。お前は糞だ。第六階位のお前らは世界の最底辺だ、と。
キキョウがいるこの場所は、収容所と呼ばれている。
ここには数人の『女』とそれの何十倍もの『男』がいる。『男』は毎日消費されているので、毎日補充される。そして赤ん坊。
ここにいる奴らは全員、親を知らない。
この収容所では三歳から働く義務が生じる。三歳までは収容所の一角である程度大切に育てられるのだが、三歳を過ぎた途端、外に放り出されて、岩運びをさせられる。
まだ生き残っている奴らは全員その道をたどってきた。
岩運びは十歳まで続く。
キキョウも十歳までずーっと岩運びをしていた。その間は怪我らしい大怪我はしなかった。もちろん、生傷絶えない仕事なので、それなりに傷は多い。だけど、ある程度すると怪我をしないようになる。慣れてくるのだ。
怪我をすると、傷が膿んで、とても気持ち悪くなる。運が悪いと死んでしまう。
だから今結構な年齢になっている奴らは――キキョウも含め――ある程度要領がいい奴らだ。
キキョウは十四歳となっている。十歳を過ぎると、本格的に穴掘りをさせられるようになる。
キキョウは穴掘り歴四年のベテランだ。
今日も重いつるはしで穴を掘る。穴を掘ると岩が出るから、それを小さな男の子が運んでいく。キキョウが穴を掘る。運ぶ。掘る。運ぶ。
それを延々と繰り返す。何度でも繰り返す。一心不乱につるはしを振り下ろして、穴を掘る。
さぼると『カントク』の折檻が待っている。あれをやられると、最悪死んでしまうので、仕事の時間はせめて一生懸命に働く。
何時間経過したか分からないが、ピピーッと笛の音が鳴った。
「やっと休憩だ……」
へとへとになりながら、他の連中と一緒に言葉も交わさず、食堂に向かった。
あばら屋の食堂に入って、本当に適当で粗末な物を食べる。なんだ、これ。草? 草だよな。その辺に生えてたやつ。それを水で煮込んだだけ? またこんなのだ。
「…………我慢の限界だ」
向かい合わせの席のボルボルがそう呟いて、卓を思い切り叩いて立ち上がった。
「誰がこんなもん食えるかってんだ! 肉だ! 肉持ってきやがれ!」
「ぼ、ボルボル……!」
やめておけって。そんなの無理だよ。ぼく達男にそんな権利がある訳が無いじゃないか。それを分かっていないボルボルじゃない。伊達に何年もここにいるわけじゃない。
「どうしたんだよ! 糞女ッ! 俺様が肉を持ってこいって言ってるんだから、さっさと持ってこいやぁぁぁ!」
ボルボルは絶叫して、天井にその思いのたけをぶつけた。正直言えば、すっきりした。キキョウだって肉が食べたい。肉なんて、年に一回だけしか食べる事が出来ない。でも『カントク』達女は違う。毎日肉を食べている。今もこれみよがしに、同じ食堂でおいしそうな匂いを垂れ流しながら、食事をしているのだ。
「……ボルボルだな。お前には失望した」
『カントク』が立ち上がった。でっぷりとした巨体を揺らして、こっちを見た。
キキョウを見た訳では無いのに、心底震えた。やばい。あれはマジギレだ。
「つ、杖だ……!」
隣の男――生憎だが名前は知らない――が悲鳴を上げた。『カントク』が杖を抜いたのだ。ただの木の棒に見えるが、あれは違う。
あれは魔法を使うための道具だ。何度も見た。『カントク』は切れると魔法を使う。
「ボルボル。私が第四階位の魔術師見習い級だと知って、そう言ってるんだよな?」
「たりめーだ! 糞女! その脂肪どうにかしてから出直してこいやッ!」
それは禁句だ。『カントク』は太っているのを気にしている。過去それを口にして生きていた奴はない。
『カントク』のこめかみがヒクついている。駄目だ。謝った方が良い。今すぐにでも土下座して、許しを請うべきだ、ボルボル。
でも。駄目だ。ボルボルは完全に頭に血が上っている。鬱積した十年以上の恨みつらみが今爆発してしまった。
ボルボルは右手の中指を立てながら「たりめーだ、糞野郎!」と叫んで、『カントク』に向かって突撃していった。
キキョウ以下他の全員の男たちは、咄嗟に机の下に隠れた。ボーッとしていた奴は死ぬ。ボルボル。ごめん。
「超筋肉ォォォォオオ!!」
恐らくだが、『カントク』の筋肉が倍以上に膨れ上がったと思う。「うおおぉぉぉおおお!!」
ボルボルは怒りの雄たけびをあげながら『カントク』に突進したはずだ。
直後、ズガシャッと何かが潰れた音がした。すぐに食堂に赤い雨が降った。それと白い破片と黄色のぶよぶよとした肉片。
キキョウは目を瞑った。バタタッと机に降り注ぐ死の雨におののいた。そしてドンガラドガーンとボルボルだったものが机に降ってきた。ボルボルだったものは机を破壊して、無残な姿で戻ってきたのだ。
「第六階位のゴミが……! 第四階位であるこの『カントク』様に意見しようなど笑止千万。――おい。お前ら。その正真正銘のゴミを片付けとけよ。始業時間に遅れたら殺すからな」
『カントク』の膨れ上がった筋肉が収縮していき、そのまま女数人を引き連れて、食堂を出て行った。
後に残された男たちは、粛々とボルボルだったものを片付けるしかなかった。
同じテーブルに座っていた――キキョウも含む――で食堂を清掃した。
「あれが、『カントク』の魔法かよ……。おっかねえ……」
九歳程度の少年が体を震わせながら、モップで床を掃除している。キキョウも同じく床の清掃だ。
「君も今日のボルボルみたいに怒っちゃだめだ。従順に生きるしかない。分かるだろ?」
キキョウはこの十余年で覚えたことを少年に教えた。
だけど、少年は納得しなかった。
「けど、だったら、それじゃ俺たちはただの家畜だよ。俺は人間なんだ。人間らしい生活がしたい」
「でも、逆らうと、『カントク』が……」
「そうだけど……。だけどさ。キキョウは悔しくないのかよ。外に出たいと思わないのかよ」
キキョウは言葉を詰まらせた。此処にいる誰もが思う一つの夢。
ここを出たい。
ここの外は一体どういう世界が広がっているのだろうか。キキョウの世界はこの狭い世界で終結している。それは、とても虚しいと、キキョウ自身も気づいていた。
この目の前の少年の様に外の世界に憧れて脱走を企てた奴らもいた。でも、例外なくそいつらも捕まり、拷問された挙句、死体を晒された。
それを見るたびに、キキョウの心は萎えたのだ。無理だ。ここを出るなんて、とてもじゃないが不可能だ。
キキョウが黙っていると、少年は「ごめん……。キキョウだって分かってるのに……」と謝った。
「いや……。いいよ」
それからは少しだけ静寂の時間が続いた。ボルボルの残骸も一通り掃除した所だった。
少年が一つの疑問を呈した。
「キキョウってさ。男だよね?」
「なに、それ」
ちょっとだけキキョウはムッとした。表情に出して、この話題は続けないでと言ったつもりだったが、まだ小さな少年は普通に話を続けてしまうようだ。
「だってさ。キキョウの髪の毛、すっげーサラサラだし。肌だって滅茶苦茶白くてさ。女より女してるなーって。手も足もさ。スラーッて。『カントク』の方がよっぽど男っぽいよな」
「……それ、『カントク』の前で言わない方が良いよ」
「分かってるよ。そんなのよりさ、キキョウって本当は女じゃないの?」
折角話題を逸らそうと思ったのに。失敗している。
容姿の事でからかわれるのは、あまり好きじゃない。
これだけ体を動かしているのに、あまり筋肉もつかないし。まあ、提供されるご飯が貧相なので、それも仕方ないが。
「ぼくは女じゃないよ」
「……ま、そうだよな。此処にいる奴、全員男だしね。いるよね。偶に。顔が中性的な奴?」
「他に見たことあるの?」
「ない。キキョウが初めて」
「じゃあ、なんでそんな事言えるのさ」
「外の世界には絶対いるよ。キキョウみたいな奴」
キキョウはちょっとだけ驚いた。
そういう考えはなかった。キキョウの外の世界という感覚は、ただの冒険だ。見たことないものがそこにあるという未体験の感覚だ。
そこにキキョウの同類がいるとは思ってみなかった。
「いるかな。ぼくみたいな人」
「いるって。ちょっと女っぽい奴。ごまんといるね。俺はさ。色々みたいんだ」
少年特有のちょっと大きめの夢を聞きながら、キキョウたちはまた仕事に向かった。