十 キキョウの生還
運動場に煉獄の花が咲く。それは真っ赤で禍々しく、まるで散り際の薔薇のようだ。舞い上がった花弁のような赤黒い爆炎は、その見た目と相違なく、相当の威力を秘めているのを物語っている。
女子生徒たちは悲鳴を上げた。今あの爆心地には私の側付きがいるはずだ。いや、居たのだ。
カトレアは何をやっていたのだ。ボーッとみていた? 馬鹿な。そんな阿呆がこの世のどこに居る。いる。ここだ。紛う事なき、阿呆だ。死ね。くたばれ。あの世に行くがいい。
何が魔術師級だ。笑わせるじゃないか。こんな力があったところで、近しいものを守る事すらできなかった。
いや、違う。出来たはずだ。
完全に手順を間違ったのだ。
あの時、キキョウがブラストの脅威に曝され、一発目を雷で撃墜した所までは、ギリギリ評価しても良い。それでも、キキョウにあらん限りの爆炎の被害が降り注いでいた。それに加え、”炸裂火焔”が空中で爆発してしまい、爆炎とそれで舞い上がった土が、キキョウともう一発の”炸裂火焔”の場所を見失わせた。
そこで、カトレアは大いに慌てた。
第一にカトレアの雷魔法でブラストは完全に消滅させるつもりだった。それが出来ると判断していたし、そう信じていた。過信だった。驕っていたのだ。結局目論見は外れ、ブラストは空中で炸裂、劇的に視界を悪くした。
それによって、第二の障害。まあ、障害というか、それだ。視界が悪くなった。次善の手を打ったつもりだった。視界が悪くなっても、ブラストの軌道を予測して、二発目を撃墜できると思った。
ことはそうは簡単ではなかった。やはり見えない対象を落とすというのは、劇的に難度が上昇した。
撃っても撃っても、カトレアの雷魔法はブラストに命中しなかった。どんどん焦った。刻々とキキョウに向かって、致死レベルの魔法が飛んで行っている。魔術師見習い級とはいえ、魔法だ。しかも、あれだけ魔力を使っている。当のクロユリも相当へばっている。全魔力を使っているのだ。あれを食らっては、防御方法が無いキキョウでは、あるいは……。
カトレアは当たらなくても撃った。弾幕を張り、無我夢中で土ぼこりに向かって、そしてブラストに向かって、落ちろと念じながら雷魔法を力の限り撃った。
だが、当たらない。手応えが無い。
この間、一秒。とても長い時間に感じていたが、一瞬の出来事だった。
二秒目。次善の手だと思っていた雷魔法の乱打が、悪手だと気づく。カトレアは歯噛みしながら、第二の魔法を使い、土煙を吹き飛ばした。
「死――」
一陣の風が吹く瞬間、キキョウの目の前にはブラストが鎮座していた。もう数瞬も無く、直撃する。雷魔法も間に合わない。
カトレアがキキョウに向かって手を伸ばしたときには、キキョウに魔法が炸裂していた。
呆然として立ち尽くす。
周りの女子生徒はそれぞれ反応を示していた。カトレアと同じく呆然とする者。悲鳴を上げる者。大半が悲鳴を上げている。目を覆い、耳を塞いでいる者もいる。
目の前には破壊の跡。
熱風が押し寄せ、肌を焼く。チリチリと不快な感覚だ。
視界の端にいたクロユリが幽鬼のようにふらふらと立ち上がった。
カトレアは駆け出した。全速でクロユリの元まで突撃して、そのまま胸ぐらを掴んだ。
「貴様ッ、何故魔法を解除しなかった!?」
「……うっさいわね……。単なる事故よ」
クロユリにはまったく罪悪感というものを感じる事が無かった。こいつは自分が何をしでかしたのか分かっているのか。
「離しなさいよ。誰に向かってこんな暴力行為を」
クロユリがカトレアの手を強引にふり払った。
「たかが側付きの一人や二人。あんなの幾らでも補充できるでしょ? 魔術師級のカトレアさん?」
補充。補充だと……? 人をもの扱いだと。何を考えているんだ。こいつは。
「お前、人を殺したんだぞ。分かっているのか」
「はあ? 事故だって。故意じゃないし。どこにわざとやったっていう証拠があんのよ」
「殺した事実に変わりはない。全員が証人だ。貴様は……」
「はいはいはい。分かった分かった。わーかーりまーしたー。私が悪かったでーす。はい、これでいい?」
「もういい死ね」
カトレアの沸点は高くなかった。
カトレアが魔法を使う直前になって、ヒイラギ教諭の叱責が飛んできた。
「貴様ら何をしている! さっさと救護しないか! 遊んでいる場合じゃないぞ!!」
カトレアは形成した魔法を即座に霧散させて、クロユリから離れた。
こんなのに構っている場合ではない。
「誰が見たって終わってんでしょ」
クロユリの嘲笑が耳障りだった。アザミがいれば……。カトレアではどうする事も出来ない。とにかく、燃え盛る炎を吹き飛ばすだけでもしないと。
だが、その前にヒイラギ教諭がその任を行った。大量の水を消火活動に飛ばしている。
「熱っ熱っ熱っ熱っ……っ!!」
だが、その活動も全く意味なかったようだ。消火する前に、救出しようとしていた人物が飛び出してきた。
「……そんな……」
その言葉は、クロユリの口から洩れたものだった。
◇
確かに、キキョウにはブラストが直撃した。右手に着弾した後、炸裂し、詰まっていた炎が行き場を求めて、広い範囲に広がっていた。
逃げ場などない。避けれる可能性も無い。避けるなどあり得ない。むしろ喰らっていたのだから。
しかし喰らっていてなお、キキョウは窮地を脱した。
キキョウが見たものをすべて話す事は出来ない。なにより、本人が全く分かっていないのだから。
キキョウは確かに、それを見た。
目の前にブラストの球体が存在し、まっすぐ向かってきていた。回避は出来ない。防御の方法も無い。キキョウはただ、動物の本能として、頭を守るという行動を取った。ただ、手で頭を庇う。
その結果、右手に多くのブラストが当たった。
実をいうと、ブラストは右手には当たっていない。意図的かどうかは不明だが、当たる直前にブラストは爆発していた。
故にキキョウに当たる前から、ブラストは爆発し、キキョウの体の多くを焼いていた。
が、しかしだ。
キキョウはそれでも見た。
当たる直前、いや当たる前に爆発し、右手に炎が当たった時、その多くが消えた。
ブラストの軌道上には右手が存在しており、その数センチ手前で爆発。ほとんど直撃と変わらない。だが、それがブラストという魔法の在り方を変えたと、後にキキョウは知ることになる。
結局のところ、キキョウにも分からないのだが、右手にブラストが当たったが、当たらなかった。そう言うしかない。矛盾しているが、そう言う他無いのだ。
回りくどい事を言ったが、結局キキョウにブラストが直撃する事はなかった。そういうことである。
というのが、今回の結論であり、キキョウの考察である――終わり。
――って、滅茶苦茶熱いぃぃぃぃいいいい。
訳が分からないが、ともかくキキョウは渦巻く炎の中で突っ立っていて、呆然としている。右を見ても左を見ても炎に囲まれている。幸い、炎はどうやらドーナツ状になっていて、キキョウがいる範囲は、セーフティーゾーンだ。燃えているということはない。ただ、周りが燃えているから当然熱い。
そのうち、キキョウも丸焼きキキョウとなってしまう事も想像に難くない。
外側には水魔法らしきものを使うヒイラギ先生がいるし、燃えちゃったら消火してもらおう。それがいい。
キキョウは炎に囲まれているから、それを突っ切る様にして走った。
もちろん、炎を飛び越えることになるので、とても熱かった。
「熱っ熱っ熱っ熱っ……!!」
けど、相応に早く走ったので、あまり被害も無く、ほぼ無傷で脱出する事が出来た。
「危っなー。死ぬところだった……。あれは人生でもベスト3に入るレベルのやばい事件だったよ」
キキョウは体育着が燃えていないか確認して、服を払った。
ちなみに、人生で最もヤバかったのは、収容所内で発生した感染症にキキョウが感染した時だ。あれは本当に死を覚悟した。劣悪な環境下では、往々にしてそういう事が起こる。結局、あれによって収容所内の人口が三分の二になった時があった。致死率は六十パーセントを越えていたので、キキョウもそれ相応に覚悟していたのを覚えている。
あれが一番で、今回は二番か三番だ。いいとこ二番だろう。
というか、本当に危なかったな。瞬間最大風速だったら、文句なしの一番だ。
「キキョウ……」
びっくりしたような顔になったカトレア様がいた。なるほど。確かにあれをはたから見ていたら、キキョウが死んでいたとしてもおかしくはない。実際、何故生きているのか不思議なほどだ。
「えっと……まあ、はい。生きてるんで大丈夫です。御心配おかけしました」
「……聞きたい事はあるが、後にしておこう」
後ろからヒイラギ先生が来て、キキョウの安否を確認している。
「どこか痛い所はないか?」
「ちょっとヒリヒリします。まあそれ位です」
「そうか。無事ならそれでいい。それよりも――クロユリ!! お前は何をやっている!!」
ヒイラギ先生の大音声が生徒全員の耳に飛び込んだ。近くにいたキキョウの耳はキーンと変になっている。
「全開戦闘は避けろと言ったはずだ! それを貴様という奴は……!! 何故あんなデカい魔法を使ったか説明できるのだろうな!?」
クロユリ様は目に涙をためて、ひたすら頭を下げ続けた。
「……申し訳ありません。つい熱が入ってしまい……」
「だからと言って、あれは無いだろう。一歩間違えばキキョウは死んでいたぞ」
「はい。その、ですので、咄嗟に魔法を解除しました。それでもあのような事態になってしまい、キキョウには申し開きようもありません」
カトレア様が「外面の良い奴だ……」と呆れたように言った。
「君の処分は追って伝える。とりあえず、今日はもう帰れ。ダッチェルン家に連絡を寄越すようにしよう。停学も覚悟しておくことだ」
「はい。本当にすみませんでした。ポピー、行きましょう」
カトレア様は皆さんに頭を下げ、「今日は失礼します」と言って、側付きのポピーさんと一緒に姿を消した。
◇
クロユリはとりあえず、臓腑沸き立つ思いを抱きながら教室に戻った。着替えをして、そのまま学校を出る。
「……お嬢様、何故あのようなことを……」
ポピーが何か言いやがった。滓が。貴様に何が分かる。
「なんでもねーよ。マジで。何故も糞もねーっつの。目障りだから消そうとしただけだ」
「えっ……。な、え。何故。何で……」
「はあ? 理由なんてどーでもいいだろうが。ムカつく。以上。それだけ。強いて言うなら、この私より目立ってるから」
腸煮えくり返る思いだ。
誉れ高きキャメローの新入生代表として、最初の一歩を踏み出し、誰もが一目置く存在となり、また筆頭としてミナを率いる立場になったというのに、あの金髪と白髪は。
「お嬢様だって大変目立っておいでです」
「お前本当にそんなこと思ってんのか?」
クロユリはポピーを壁際に追い詰めて、上から威圧した。
「……そ、それは……。その。あの……」
ポピーは完全に怯えきり、萎縮している。これが本来の姿なのだ。このクロユリ・ダッチェルンを目の前にして、あれだけ不遜な態度を取る忌々しいアンハーバンとその側付き。
「ああー。腹立つ。何が魔術師級だ。あんなの才能に胡坐掻いてるただの糞女だろ。魔法は創意工夫だ。やりようでどうとでもなるんだよ。あの白髪が魔法使いだからって調子こきやがって。おい。今すぐあの白髪殺して来い」
「えっ……」
ポピー本当にポカンとした表情になった。その頬を思い切り叩いた。
「あぅっ……!」
ポピーは情けなくも、頬を押さえて、地面に転がった。
「えっ、じゃねーんだよ。殺して来いっつってんの。やれんだろ? 私の命令だぞ。今すぐナイフでも持ってぶっ殺して来い」
「そ、そんな……。そんなことしたら、捕まってしまいます……」
「お前の人生なんか知るか。主である私の命令が聞けないなら、側付き辞めるか? うん?」
「そ、そんな……。お願いですから、それだけは……」
ポピーは、まあ、貧民にすればいい方だ。頭脳明晰だし、運動能力も悪くない。殺そうと思えば、割と簡単に実行するのではないか。
「か、仮に、私が殺してしまったら、ダッチェルン家に迷惑がかかってしまいます……。お嬢様も奥様に叱責される可能性もあるかと……」
本当にこの糞女は。妙なところで頭が回る。そう言われると、クロユリとしても行動できなくなる。
まあ及第点だ。クロユリは自身が暴走しているのを自覚しているし、そのストッパーとしてこの娘を付けたのだって、間違いではないのだろう。
「じゃあもういい。分かった。殺すのは無し。忘れろ。そして口外するなよ」
「は、はい。慈悲深い心に感謝致します」
「ふん」
クロユリは家路につき、ポピーはその後ろ三歩を歩く。
「それよりも、本当に大事にならなくて良かったです。まかり間違って、お嬢様が魔法を解除なされていなかったら、キキョウさんは本当に死んでいたかもしれません」
クロユリはプッツーンとキレた。
だが、ここは往来。人の目もある。叱責することはあっても、激怒する事はできない。
「解除なんかしてねーよ……!! なに勘違いしてんだ、アホ。私は最初から殺す気だった」
ヒイラギがクロユリに対して問い詰めたときは、咄嗟に自分は精一杯行動したとアピールしたが、あんなものは嘘だ。
だが、問題なのは、解除しなかったブラストをどうやって防いだのかという事だ。あの白髪は直前まで何もしていない。クロユリには何がどうなったのか全く分かっていない。
「そんな……本当に……?」
「最初っから殺すつもりだったんだよ。ちょっとした事故だって言えば、なんとかなんだろ?」
「な、なると思えませんが……?」
「ダッチェルン舐めんな。一応名門だからな。揉み消しくらい余裕。そこんとこ勘違いすんな。この国の根っこは相当に深いんだ。第五階位のお前にはわかんねーだろうけどな」
ポピーが息をのんだのが分かった。多少誇張したかも分からないが、それでもダッチェルン家がクロユリの不祥事を隠さないというのは、あまり考えられない。
「今回は失敗したけど、次はは決める」
「次、ですか……?」
クロユリは今後の計画を立てた。
確実に潰す。今回は突然の事でクロユリも焦った。まさかこんなに早く機会が巡ってくると思わなかったのだ。突発的にブラストを使ってしまった。流石にあれはまずかった。模擬戦闘だと言っているのに、あの威力を出すのはマズイ。だが、チクチク削っていてはその内止められるのがオチだ。
そう言う考えの下、クロユリは自身の最大威力を使った。
クロユリより目立つ奴は排除する。
偏屈した自己承認欲求型。
クロユリは暗い未来に胸を躍らせながら、家に帰った。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
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