『ブタはブタ箱へ』
フォーゲルハイツ王国の王とは、国内貴族の承認を受けた王族がなる、謂わば貴族が選ぶ王の事を言う。
これは王の独裁、暴走を防ぐ為であり、民意が国政に影響を与える事を明確にしており、貴族が王族に、国へ忠誠を誓っていることが前提とされる。
城内にある議事会室には国内貴族の当主達、少数ではあるが当主の名代が詰めかけ、議会の開始を待っていた。
議会の開始には王の宣言が必要となるが、今回の議会ではそれが不可能ということをここに集まる者達は知っており、彼等が待つのは国王の名代としての役割を持つ者、宰相の登場を待っていた。
「陛下の容態はそこまで悪いのか?」
「ああ、どうやらそうらしい。
今日はその事が議題だ、…ランカスタ侯爵の思う通りになるだろう」
「そうだろう、今回の臨時議会もかの人の派閥が申し立てたらしいからな」
貴族が集まれば、そこかしこで今の王国で起こっている事の噂や、信憑性のある話、様々な情報がやり取りされる。
そのなかでも今の話題は現在の王であるベルトランの容態、そしてランカスタ侯爵とその彼の派閥の動向だった。
今日の議題は今、何時死んでもおかしくないベルトランに変わって誰を王に立てるかといった物だ。
現在の王がまだ亡くなった訳ではないのに、次の王の話をする貴族達の本音は自分達にとって都合の良い者を王に着けること、自分達の富と権力を守ること、または大きくしてくれる者を選ぶこと。
彼等にとっては王への忠誠心も、国への愛国心も自分達、貴族の繁栄があってこそなのだ。
そんな貴族の中でも自身の繁栄を望む者、ランカスタ侯爵はニヤニヤとした笑を隠すことなく自身の派閥貴族が集まる場所で余裕の笑みを浮かべていた。
彼は王女の暗殺が失敗した後、直ぐに王都に集まる有力貴族に声を掛けて回り、今回の臨時議会の開催を促していった。
一部の貴族は現国王が存命のうちに次代の王を決める事に難色を示したが、殆んどの貴族がこれを承認し、その日の内に議会開催を王城へ申し立てる事が出来たのだった。
これに彼は自分にはまだ運がある、議会さえ開けば派閥貴族が圧倒的に優る自分の意見が通り、ヨハンを国王にする事が出来ると踏んでの、余裕の笑みだった。
議事会室に貴族が集まり、随分時間が経ったとき、奥の扉が開いた。
議事会室の奥の扉、そこは普段であれば王が入場してくる場所で、その扉からは5人の人間が議事会室に入場してきた。
貴族達は5人の顔に疑問の顔を浮かべる者、驚愕する者様々だったが、一様に近くに座る貴族仲間に話し掛けては彼らの事を聞いていく。
1人は鋭い眼に身体は細く、冷たい印象を受けるこの国の宰相、そして2人の男女は金の髪にどこか似た雰囲気を持つ、王女のルチアナと王弟のヨハン。
そして白地に金の刺繍が所々施された近衛隊の制服を着た黒髪の若い男と、桃色の髪の少女の見た事がない男女2人。
見た事がない男女2人に関しては近衛隊の制服を着ていることから護衛の人間である事は想像出来る。見た事がない点を除けばだが…。
しかし、王女と王弟の2人が一緒に入場して来た事に貴族達は驚きが隠せなかった。疑問の顔をする貴族はここ数日に城内で見かけるようになったヨハンの事を今だ把握していない者達で、彼らは驚愕している貴族に話を聞くと、同じ驚愕の表情を浮かべて、次に何故彼ら2人が一緒に入場したのかを考える。
議事会室がにわかに騒々しくなっていた所に、冷静な声が響き渡る。
「静粛に、これより臨時貴族議会を開催いたします。
そして、今回のこの臨時議会に置いては、王女殿下と王弟殿下が御一緒に臨席される事をここに通達致します」
宰相、ボルフハイン伯爵の宣言に議事会室はまた直ぐに騒がしくなるが、ルチアナとヨハンは真面目な顔で、元々準備されていた王が座る筈の豪華な椅子の両隣りに設置されている椅子へ腰掛ける。
その彼らの後ろには近衛隊の制服を着た男女…フーリとありすがそれぞれ護衛として立つ。
彼らが所定の位置に着いた事を確認した宰相は小さく頷くと、列席する諸侯を前に一つの爆弾を落とす。
「今回はルチアナ=フォーゲルハイツ王女殿下の立太子と、ヨハン=フォーゲルハイツ王弟殿下の王位継承権の返還についてこの場で宣言し、そして承認を皆様にして頂きたい」
寝耳に水とはまさにこのことで、出席していた貴族達は一瞬唖然とした後には直ぐに声を荒げて、宰相に真意を問いただした。
「どういうことか!?
王女殿下の立太子?それに王弟殿下の継承権の剥奪だと!?
今日の議題はその立太子する、次代の国王を決める会議ではなかったのか!?」
「ボルフハイン卿!詳しく事情を説明してくれ!」
「王女殿下が立太子するなど…!女王政権は王国の歴史に未だ生まれた事はないのだぞ!!
王族の男児が王位を継承すべきだ!!」
貴族達の言葉が宰相に飛んで来るが、宰相はそんな貴族達の言葉に涼しい顔をして何も答えようとしない。ただ黙ってその冷たい眼を貴族達に向けるだけだった。
「黙れ!!」
ひときわ大きな声が議事会室の中を響かせる、その声を発した者は大きな腹を抱えてゆっくりと席から立ち上がり真っ直ぐに宰相を見ると言葉を発した。
「宰相と言えど、議会の承認がないのに立太子候補を決める事は出来ないはず、…これはどういうことか説明して頂きたいですな」
大きな声を出した貴族、ランカスタ侯爵は肉ではち切れんばかりの腹を抱えてボルフハイン伯爵を睨みつけて質問する。
そんな彼をとうの宰相、ボルフハイン伯爵は冷たい眼で見返す。
「私と伯父上が申したことです。特に伯父上の継承権の返還については自身の意思により行う事が可能なはずですが、…ランカスタ侯爵はその事も御存じの筈ですね」
無言で睨みあいを行っていた2人に横から声が掛かる。その声はルチアナの物で、彼女もランカスタ侯爵の事を睨みながら言ったのだった。
「…そのような事、王弟殿下は言わされているのやもしれません。
殿下が望まずして王宮の奥で過ごされていた事はここにいる全ての者が知っていること。
そのような方の意見が聞かれるのでしょうか?」
ルチアナの言葉にランカスタ侯爵は下種な笑みを浮かべて、ヨハンに存在する噂を本当の事のようにして言う。彼の派閥の貴族達もそれを援護するように声を上げて王女であるルチアナを否定する。
しかし、ここで彼らにとっては以外な人物が発言をした。
「私が王位継承権を放棄するのは、私の意思だ。
私は王位を望んでいない、そしてここで正式に継承権の返還を行い、1人の王国貴族として王女殿下であるルチアナ殿下の立太子に賛同させて頂く」
その言葉に議会はまた騒然とする。しかしそんな貴族を見てもヨハンの言葉はさらに続いた。
「ランカスタ侯爵、貴殿は私が望まずして王宮の奥で暮らしていたと言ったが、それは誰が言っていたのだ?そしてこれはこの場にいる全ての諸君に聞きたい、私が何時何処で自身の境遇を嘆いた?私が王宮の奥から出てきたのもつい最近のことだ。それまで一度として諸君らの誰とも会ったことはない。
さぁ、誰が私の事を虎視眈々と王位を狙う簒奪者に仕立て上げたのか?
…私は今王位の返還を宣言したが、この場ではまだ承認を受けていない。それはまだ王族であるということだ。その意味が分からない諸君ではないな?」
「その話を行った者は殿下に謀反の疑いがあると言ったということですな」
今まで実しやか、いやむしろこの議事会室に集まった貴族の殆どが、その噂を真実として見ていた。
そしてその話を信じ、今まで行動して来た者達へ他の貴族が視線を向ける。そしてその視線を向けられた貴族も1人の貴族へと視線を向けていた。
「…ランカスタ侯爵、そなたが言いだしたことらしいが?
これは王族に対しての侮辱と取っていいのだな?」
王を貴族が承認して決める事がこの国のシステムだが、このシステムは貴族が王族に対して忠誠心を持っている事が前提とされる、そして国王や王族は、そんな貴族を監視、監督する義務を持っている。
貴族が王族を侮辱する、その意味する所は自分たちよりも上の身分の者を蔑にしたこと、不敬罪として処断されても文句は言えない。
今になり、事の重大さに気が付いたランカスタ侯爵は身体を震わせ、顔を青くしていた。
「しょ…証拠はあるのか!?ワシが王族を侮辱したという証拠はどこにある!?
誰がそれを言ったかなどわかる訳がなかろう!!」
顔を青くしながらもランカスタ侯爵は自分に噂を流したことの証拠を求め唾を撒き散らしながら喚く、しかし彼の周囲の貴族達は彼を助けようとはしない。
そこへ新たな人物が議事会室に入ってくる。
「…証拠ならある。
貴様が王族を侮辱したという証拠、そしてワシに毒を盛り、ルチアナを亡き者にしようとした証拠がな」
ルチアナ達が入って来た扉が再び開き、そこから姿を現した人物、この国の国王であるベルトラン=フォーゲルハイツの姿を見た貴族達はみな唖然とする。
驚き目を限界まで開いたランカスタ侯爵は「そんな…」、「何故…」とブツブツ呟くことしか出来ず、顔には脂汗を滲ませていた。
「…連れて参れ」
ベルトランが短く言うと、今度は貴族達が座る側の扉を開きバルバロイと近衛隊の鎧を纏った者たちに引き摺られて、2人の男が議事会室に入ってきた。
全ての貴族がその姿を見て首を傾げるなか、ランカスタ侯爵のみが泡を食った顔をして2人の男達を見ていた。
「きっ貴様ら!?」
「ラインハルトよ、貴様はそうとう大きな買い物をしたようだな?その者達は全て吐いたぞ」
バルバロイに連れてこられた男達はランカスタ侯爵の家令と侯爵お抱えの商人で、彼等の顔は赤黒い痣が幾つもあり、服装も元は仕立ての良かった物が今では薄汚れてしまっていた。
明らかに一方的に暴行を受けた後が見られる彼等は下を向き小刻みに体を震わせていた。
「その者達に見覚えがあろう?貴様の家令、そして贔屓にしておる商人の男だ。
優秀な者を雇っていたようだな?貴様が何を"買い"そして、どこに"流した"かを事細かに記録しておったわ」
そう言ったベルトランは手元に持っていた資料を宰相に渡すと、彼は細かく記録されている金の動きについてその場で読みあげていく、襲撃者達に渡したと思われる金額から、彼らが襲撃に使った餓狼の取引内容、そしてベルトランに使ったとされる毒物の取り扱い。全てがそこに記されていた。
宰相が読みあげる一言一言を聞いていたランカスタ侯爵の顔色は既に青を通り越して白くなっており、他の貴族達も彼の行った所業を顔を青くして聞いたいた。特にランカスタ侯爵派の派閥貴族達は自分達にも責任が追及されるのではないかと戦々恐々としていたが、彼らは見ている事しか出来ないでいた。
「ここまで証拠があって、まだ申し開きする事があるか?」
ベルトランは宰相が資料を読み上げ終わるのを待って、ランカスタ侯爵へ声をかける。それはある意味で有罪と確定している、そう言外に言っている言葉だった。
「へ、陛下!
全てはこの者達が勝手にしたことです!私は何も知らなかったのです!!」
往生際悪く、彼は罪を他人へ擦り付けようとしたが、ベルトランはそんなランカスタ侯爵を冷めた眼で見た後に「連れていけ」と言ってバルバロイ達により議事会室から連れ出されていくのだった。
連れ出されるその瞬間まで自分は無実で、他の者が行ったことだと喚き散らしていたが、議事会室の扉が閉まる時には悲鳴になっていた。
ルチアナの護衛でこの議事会室に入っていたフーリの隣に立つありすからは、扉が閉まった瞬間…。
「ブタはブタ箱へ」
ニヤニヤとした笑いと一緒にボソリと呟くのだった。
今回、フーリ達が行ったのは簡単な事だった。
朝の段階でランカスタ侯爵が登城したと同時にバルバロイと近衛兵士数人、そしてコイル、リグリット、謎謎が一緒にランカスタ侯爵の屋敷を強襲し制圧。その時に家令を捕縛した後は裏帳簿などの不正や襲撃に関する資料を探し出し、他の関係者を捕縛した後に議事会室に連れて来るといった物だ。
何故、警邏などの国軍を動かさなかったのか?軍を動かせば相手に動きが知れてしまう可能性が出来、逃げられてしまう可能性があったこと。そして国軍へ命令を出せるのは国王のみなので、その時点で国王が毒から解放されているのを知られてしまうため。
かなり強引な作戦ではあったが、短い時間で館を襲撃し制圧するのもコイル達にとっては雑作もないことだったようで、一応国の者が同行しなくてはならない、そして情報の真偽をその場で見極める為にバルバロイ達近衛兵が同行することになった。
その間、王族であるルチアナ、そして国王の警備が手薄になるといった問題があったが、警備の穴はフーリとありすが埋めることで何とかしたのだった。
国王であるベルトランが言うには、「ワシはまだ毒に犯されておることになっとるからな、警備もあまり必要ない」と言ってルチアナ達が議事会室に入った後は備え付けられている待合室で侍女数人と一緒に警備の者もなく過ごしていたのだった。
証拠の書類を届けにきたコイル達は驚いていたが、彼は気にした様子はなかったという。
そして今回の機会を利用して王国内で燻っていた継承者問題もどさくさに解決してしまったベルトランをフーリ達、ルチアナまでも呆れて見るのだった。