誕生日には花を抱いて
今日は私の誕生日。
本来なら遠い地で働く彼に会いに行くのが通例だったが、多忙な日々が続き、どうしても休みを取る事ができなかった。
相手にそれを告げた時、彼は残念そうに、だけど優しく
『仕方ないな。でも無茶はするなよ』
と言ってくれた。
共に時を過ごしたかったのに、簡単にそれができないのが遠距離恋愛。
我知らず溜息が漏れる。
───次の瞬間、部屋のインターホンが鳴った。
「お届け物です」
宅配業者が渡したのは、細長い箱。
不思議に思いながら受け取ると、中からは控えめなリボンのついた一輪の花が現れた。
「!」
そして、添えられたカードを見て瞠目する。
『誕生日おめでとう 君の王子様より」
贈り主は、たった今まで想いを馳せていた相手。
サプライズの贈り物に胸の奥が熱くなってゆくのを自覚し、花を潰さぬよう細心の注意を払いながらも抱きしめる。
自分はきっと幸せだ。
金にあかせた高級品より、このささやかな一輪で心が満たされるのだから。
沈んだ気持ちが消え、素のはにかんだ表情で微笑した。
共に過ごせない誕生日でも、これだけで耐えられるだろう。
そんな己の単純さに笑い、身支度を整え始める。
職場に到着すると、先輩から声をかけられた。
「おはよう。今朝早く取引先から連絡があったんだけど、危急の接待で通訳が必要らしいのよ。10時に迎えが来るから、行ってもらえないかしら?」
「10時?突然ですね」
「ええ…でも、急いだ方が良いわよ。余裕を持って行かなきゃね」
「……?わかりました」
四角い部屋を出るとホッとする。
社屋のエントランスまで来て息をついた。
待ち合わせの時間まではまだ余裕がある為、手持ち無沙汰についスマホを見てしまう。
時計と併べて表示されている日付に、一層この日を実感させられた。
――― せめて声だけでも……
そう思うのと、指先が短縮ナンバーを叩くのは同時だった。
呼び出し音が心音と重なる気がする。
『――― はい?』
「……私」
毎日のように聞いているはずなのに、愛しい声に胸が詰まった。
耳元で響くそれを、まるですぐ近くで聞いているかのように錯覚してしまう。
『よう、どうした?こんな時間に』
「…花のお礼をと思って」
『いいって事よ。で、今度いつ会える?』
「……わからないわよ」
『冷たいなぁ。そんな可愛くない事言うと、浮気するぞ?』
(!!)
冗談まじりに言ったとは百も承知だが、それでも不安と戸惑いで途端に心臓が
跳ね上がる。
『…おい?怒ったのか?』
黙ってしまった彼女に困ったような声が呼びかける。
「……好きにすれば?」
『は?』
自分自身、澱みなく言えた事に驚いてしまう。だが傍に行ってあげられない身を
思えば、そのくらい許してあげなくてはならない気がした。
「どうぞお好きに。欲求不満の解消に何をしようと私は怒らないから、適当な
ところで抜けばいいじゃない」
『…………』
電話の向こうは驚いたように無言である。特に最後の一言は、本人も何を言ったか
よくわかっていなかった。
「…じゃあ、また」
『おい、ちょっと待て』
引き止められたけど、一方的に通話を切る。
これ以上話していたら、更にわけのわからない事を言ってしまいそうだったから。
――― ラブコールのはずだったのに。
自分に嫌気がさし、溜息をついて立ち尽くす。
次の瞬間、不意に背後から何者かの手が伸びた。
「!?」
驚いた拍子に、反射的な肘鉄を入れる。同時に覚えのある声が聞こえた。
「いってー!」
(え…!?)
背後で尻餅をついたのは、誰あろう―――
「…よっス」
まさかという思いで凝視するが、よもや彼を見間違うはずも無い。
ずれた眼鏡の下から、愛しい瞳が見上げて笑う。
「久しぶりの挨拶がコレかよ?手痛いなぁ」
そうされても仕方ない真似をした自覚は無いようだが、そんな事より驚きの方が
勝った。
「ど……どうしてここに?」
彼は立ち上がると、スーツの裾の埃を払い 改めて向き直る。
「ヌキに来た」
(・・・!!)
満面の笑顔で言うセリフだろうか。
臆面もなく言い放った彼に、みるみる顔が赤くなる。
「お前が来れないって言うから、じゃあオレが行けば良いって思ってさ」
「…………」
「電話だけじゃ、やっぱ寂しいもんな」
と言う事は、先刻の電話は、わずか数メートルの距離で話していたのか。
再会の喜びで涙が出そうなのに、恥ずかしさが邪魔をして、足が動かない。
そんな様子に気づき、彼は優しく笑って言った。
「誕生日、おめでとう」
「……わ、私は、仕事が」
そう言いかけて、はたと気づく。
先輩は今朝、何と言っていた?
確か『迎えが来るから』と―――
見れば予定の時間を過ぎているのに相手は現れない上、連絡の一本も無い。
そして取引先からの急用なら上司が何を言おうが、優先して外出できる。
ようやくわかった。
これは彼が先輩を拝み倒したバースデープレゼントなのだと。
「欲求を解消する為に何をしようと、怒らないんだろ?」
勝利のVサインを向ける彼に、降参して微笑する。
きっと今朝届いた花は彼の悪戯だったのだ。
今日という特別な日の為の先触れ。
ならば有り難く従おう。
「会いたかった」
「オレもだ」
二人は人もまばらなエントランスの真ん中で抱き合い、口接けをかわした。
───誕生日には、花を抱いて過ごそう。
終




