第8話 朝鮮戦争③
(だが、こっちも半分シロウトだしな。一番効率のいい相手を選らばねえと)
車の中でブツブツ呟いていると、運転手の金田が恐る恐る声をかけた。
「あのう、親分。新井組というのは川口の新井組ですか?」
「なんだ。金田知ってるのか?」
「あ。いえ。そこに知り合いがいるんス。張本修平という幼馴染みの」
「てことは、そいつも在日朝鮮人か?ああ、聞いたことがあるな。金田はキム、張本はチャンの日本名だそうだな」
「はい。張本は幼馴染みなんです。ただ、今は、あんまいい付き合いはしてなくて」
話し渋る。どうやら、朝鮮人同士のいろいろな因縁があるのだろう。個人的なことは聞かないでおく。
「ほかに新井組について、わかることがあるなら話せ」
金田によると、新井組は埼玉県内に初めて連発式パチンコを導入した組だそうだ。さらにそれまで出玉を菓子や洗剤などと交換していたものを、特殊なメダルと交換させて後で買い戻す方式をとった。打ち手は現金が手に入るのだから、熱くなる。これがブームとなって荒稼ぎをした。その豊潤な資金があったため、浦和会への参入を許されたようだ。金田はその程度のことしか知らないようだった。
(金で代紋を買った、か。戦後はそんな話ばかりだからな)
物思いにふけっていると、金田が意を決したように話し始めた。
「親分。実は俺の妹が、そのう、張本と恋仲でして、ですが、俺はあんな野郎とは縁を切ってほしくって…」
なんだ。青春談義でも始める気か?と鼻で笑ったが、このことが今回の戦略の大きな肝となっていった。
妹のキム・ミンジ、日本名・金田文子が、兄に連れられて赤羽の大衆キャバレーに面接に来た。面接官は潤一だ。
「ほう。なかなか別嬪じゃねえか。採用だ。この娘は人気が出るかもな」
金を欲しがる妹に、兄がホステスのアルバイトを紹介したのだ。
チマチョゴリを着させた。朝鮮人の娘だとわかるようにした。他のホステスと差別化できる。指名してみようという気になるだろう。だが未成年なので酒を飲んだことがない。
「ジュースを飲んで、適当に客と話を合わせればいい」
潤一自ら、業務内容を説明する。
「え。それだけで月給2万円ももらえるんですか?」
公務員の初任給が4千円の時代だ。
「ああ。ウチの従業員の身内だ。特別だから、他のホステスには内緒だぞ」
「ありがとうございます。社長さん」
ほっとしたようだ。出されたオレンジジュースに口を付ける。
「中には絡んでくる酔っ払いもいる。おめえが責任をもって、妹を守ってやれよ」
ウェイターの制服を着た兄をその場に残した。ふたりは韓国語で話す。
[よかったな。ミンジ。親分は優しい人だからよ]
[親分?中沢工務店の社長さんでしょ?]
[ああ。だけど社長は、親分って呼んでほしいんだって]
[ふうん。イスンもなんかヤクザみたいなことやってたって、オモニ(母)が言ってたけど。スンミンはそんな馬鹿な真似をしないでね]
ミンジがうるんだ瞳でスンミンの手を握る。離れて暮らす兄を心配しているようだ。
[安心しろ。俺は荻原興行っていう会社の正社員なんだからよ。ジュース、もっと飲むか?]
[うん。これ美味しいね]
数日後。その金田勝敏がキャバレーで女の取り合いになり、浦和会に属する新井組のチンピラを斬りつける事件が起きた。
殴る蹴るは日常茶飯事だが、刃物となると組の問題になる。
潤一は田口とともに新井組に出向いた。
応対したのは浦和会新井組の組長・新井勇だ。
「こりゃ驚いた。こんな田舎に、明王会のお偉いさんが足をお運びになるとはな」
「いやあ。俺はこの荻原潤一とは妙に馬が合っちまっててな。たまたま遊びに来てたらひと悶着が起きたってわけで、会とは全く関係ないんだよ」
そんなわきゃないだろ。新井はふんと鼻を鳴らす。
「この度はウチの若い者が無作法な真似をして、まことに申し訳ない」
潤一は素直に頭を下げた。それが余計新井には気に入らない。
(ふん。後ろ盾ができて、余裕の謝罪かよ)
「で、どう落とすね?」
関係ないと言った男が、さっそく横から口を出す。
「示談金だ。百万ほど包め。それとドスを抜いたチンピラは破門にしろ」
ことさら大きく出た。
潤一がゆっくりと頭を上げる。
「俺は今、頭を下げた」
潤一が昂然と言い放つ。反省している目ではない。噛みつく寸前の獣だ。
「そ、それがどうした?」
「足りねえってんだな?三代目荻原組の頭は百万より安い、つってんだな?」
「てめえ。何開き直ってやがる。やるってんなら、やってやんぜ!」
睨み合い。
頃合いで田口が間に入る。
「まあまあ。たかが商売女の取り合いで戦争なんて、渡世の恥になるぜ。ここは、どうだ。件の女はそっちの若い者に渡す。そんでチャラにしてくれねえか?」
「はあ?ふざけんな!」
「じゃなきゃ、はなから鉄砲玉のつもりで因縁ふっかけてきた、って判断されるぜ。だいたい浦和の者が、なんで赤羽で遊んでたんだ?荒川越えるにはよ、通行手形が要るんだぜ」
田口が新井の顔を覗き込む。
「明王会の手形がよ」
五分前に言ったこととは真逆。これがヤクザのゴリ押し。
だが、新井もヤクザだ。ここで引けなかった。
「上等だ。受けたるわ!」
帰りの車の中で田口は言った。
「潤一、上出来だったぜ。ただ今回はウチの会は動かせねえ。大吉と揉めてる最中だからな。だが、浦和会も腰は上げねえだろ」
きょう田口が同席したことは、強烈な牽制になったはずだ。
「つまり、ウチと新井組とのサシの喧嘩になるわけか」
「ああ。見事打ち勝ったら、俺がおめえさんを親父に紹介する」
「いや。俺はぐっさん、あんたと杯を交わしてえ。関東一の大組織は敷居が高いからな」
明王会直参は確かに大きな箔が付く。シノギもやりやすくなる。だが、組織の一部にされる。
その点田口との兄弟縁組なら、親子ではなく親戚筋で済む。
「いいように言っているが、要は一本(単独)でやりたい。首に紐は付けられたくない、ってことか?」
「どうとでもとってくれていい」
今の東京は明王会に就くか大吉に就くかの二択だが、潤一は第三極にいたいと考えていた。
「まあ。あの戦車花火がまぐれかどうか、世間に見せるこったな」
田口は楽しそうに笑った。
潤一は組の者を集めた。
「これから、埼玉の新井組と戦争を始める」
元愚連隊の連中がごくりと唾を飲む。今まで小競り合いこそあったが、本格的な抗争は初めてだ。
「組同士の喧嘩ってのは、互いの命と金を奪い合うことだ。やつらは俺らのシマを襲ってくる。そのときおまえらは…」
当然応戦だろう、と誰もが思う。
「守れ。相手が何をしてきてもよけろ。戦うな。できるだけ早くサツを呼べ。これは親の命令だ。守れねえやつは破門だ」
失望が拡がる。
警察当局が中に入ってきて聴取しても「一方的にやられた。全く心当たりがない」と言うよう重ねて命じた。
(サツなんかに助けを求めたら、渡世中にナメられるだろうが)
納得がいかない。
「ここ数年見てきたが、おめえらに足りねえのは忍耐と根気だ。俺はこれを機に試験をする。今後も荻原組の一員としてやっていきてえなら、忍耐と根気を俺に見せろ」
組長はそれだけ言って、あとを若頭の大宮に任せた。
これでいい。以前田口に相談した時言われた。
「30人全員を組員にしてるのか?そりゃ無茶だ」
「いや。盃交わしたのは3人だけで、他は試用期間ってやつだ」
「ならいいが、正式な組員は10人までだな。あとは準構成員、三下だ。使えなきゃすぐ捨てろ」
と助言された。
不条理と思える命令でも親の言うことが聞けないやつは捨てる。いい機会だともいえる。
さっそくシマ内の飲食店が荒らされた。荻原組直営のスナックだ。
数人の新井組構成員が従業員に乱暴した挙句
「婆あばっかりじゃねえか。もっと若いオンナを出せ。なんだ、このくそスナックは」
と、店内を壊して回った。
その店を仕切る元愚連隊は、頭に血が上りビール瓶で相手を殴りつけて、乱闘になった。
マネージャーは言われた通り通報し、全員が警察に連行された。
手を出した元愚連隊は、潤一の宣言通り即日破門された。