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第5話 地の下⑤


 深夜四時。荒川に沿った夜の堤防道路。まだ街灯やガードレールは設置されていない。

 ヘッドライトを消したトラック二台が徐行する。官憲に見咎められないようにだ。

 手に刀や拳銃を握った50人ほどが、徒歩でトラックを先導する。荷台に数十人が乗って、そのあとから鉄パイプを持った百人ほどがついてくる。

 狭山は先頭集団に混じり、ドスを懐にしのばせる石橋と自動拳銃をベルトに差したキムを窺う。

(潤ちゃん。いざとなりゃ、こいつらふたりだけでもオイラが殺るからよ)

 ゾーリンゲンのナイフはポケットと足首に隠してある。

「お。見えてきたぞ。ん?何だ、ありゃ」

 道路沿いに3メートル高の塀が建っている。その塀には「荻原組事務所」の看板が掛けられ、その脇に垂れ幕。村井が垂れ幕の文字を読む。

「‥歓迎‥愚連隊御一行様?ああん!」

 俺等はお客様ってことか。ナメんのも大概にしろ。いきり立つ。

「おい。車を突っ込ませるぞ。前空けろ」

 この喧嘩の指揮官の指示に、先頭集団が道を空ける。荷台に乗っていた兵隊たちも我先に降りる。エンジン音が高鳴り、砂利が飛び散る。

「いいか、てめえら。赤胴会の力をどヤクザどもに見せつけてやれ!」

 おおー、と呼応の歓声。

「おい、村井。ちょっと落ち着けよ」

 石橋は何か、違和感を感じている。

「あん?何か文句あんのか?これは俺の喧嘩だぞ。助っ人は黙ってついて来いや」

 沸点に達している。

「いや。カチコミかけるのは構わねえが、突っ込ませるのは1台にしとけよ」

「あん?」

「大型車両は攻撃だけじゃなく、弾除けの防壁にも使える。念の為1台とっておけ」

「弾除け?特攻魂はどこ行ったんだよ、この腰抜けが!」

 特攻の無意味さを石橋は知っている。村井ががなり立てる精神論の無意味さも。

 ふたりが言い合ってるうちに、トラックは組事務所めがけて疾走した。

 塀の手前で運転手が飛び降りる。

 轟音とともに事務所の正面玄関が弾け飛んだ。

 表玄関は全壊した。だが、トラック自体も完全停止した。

 砂煙が収まる。石橋が覗き込む。

(何だ?この事務所、ペラッペラじゃねえか)

 違和感の正体。

 夜の闇と高い塀で奥行きが見通せなかったが、組事務所と称する建造物はただの掘っ建て小屋だった。

 さらに小屋の床下には巨大な落とし穴が掘られており、トラックの運転席と前輪が嵌っている。

(やっぱ、罠か)

 と、背後でドーンという爆発音。

 頭を抱え、地面に伏せる。戦時中のトラウマ。

 視界の端に閃光。

 爆撃?

 パラパラパラ。

「おい。ただの花火だ。見ろ」

 誰かの声に振り返ると、数発の打ち上げ花火が夜空に昇っていくのが見えた。

 安堵。

 だが、なぜ花火が?

 大輪の光が河原を照らす。

 対岸の物体が浮き上がる。

 石橋の脳裏に、またフラッシュバック。

 あのシルエットには見覚えがある。恐らくは、帝国陸軍の九七式中戦車。

「砲撃だ!総員、退避しろ!」

 叫び終わる前に、戦車砲の砲口がオレンジ色に光った。


「帝国陸軍の虎の子、改良に改良を重ね完成した芸術品、九七式パンツァー。搭載砲は47ミリ戦車砲。57ミリより貫通力に秀でていて‥」

 陸軍の一等整備士だった男が、ブツブツと念仏のように唱えながら砲身を撫で回している。

 潤一は中沢の提案を思い出す。

 

「あんたらは兵器のことを何もわかっちゃいない。大宮とかいう大男が持ってた拳銃。あれは九四式といって、銃身の横に衝撃を受けるとすぐ暴発する『自殺銃』と呼ばれるガラクタだ。俺は、陸軍で車両全般と重火器、銃器を整備してきたんだ。銃身が凹んでんのを一目見て『さっさと撃て』って思ったぜ」

 だが大宮は拳銃をしまい込んで、中沢の目元に頭突きを食らわせた。命拾いしたわけだ。

「で、おめえの強みってなぁ何なんだ?」

「8月15日、玉音放送が流される前。進駐軍から軍事機密を守ろうと、一部の陸軍幹部が戦車や機関銃を市ヶ谷駐屯地から持ち出して、さる所に隠したって話は聞いたことあるかい?」

「あり得る話だが、すぐに進駐軍があらゆる兵器を押収、接収して鉄屑にしたとも聞いたな。それがどっかにまだ隠されてるってのかい?」

「そいつを見せたら、俺を若頭にするか?」

「ただ見せるだけじゃダメだ。そいつをぶっ放して、俺を喜ばせろ」


 ぶっ放した。


 47ミリ砲弾が、残しておいたトラックに命中した。衝撃で荷台に乗っていた者らは吹き飛ばされる。さらに貫通した弾丸の余熱がガソリンに引火する。

 爆発音。

(花火は、こいつをごまかすためか?)

 元特攻隊員が腑に落ちた。標的を照らす目的もあっただろう。

 だが、何より演出効果だ。

 荻原組は古臭い博徒集団ではない。喧嘩の場に戦車も持ち出す、ぶっ飛んだ暴力団だ。花火を打ち上げるとはこのことだ―恐らくこの噂は関東、いや全国を駆け巡り、荻原組は一目置かれる存在となるはずだ。

「愚連隊のガキども。俺達が荻原組だ!」

 掘っ建て小屋の裏に潜んでいた集団が飛び出して来る。潤一が秩父から連れてきた素人の軍勢だ。

 追い討ち。愚連隊が這々の体で四散する。

 手に改造銃を持っている者もいれば、鎌や鍬を振り回す者もいる。銃で撃たれるより、鎌で襲われる図の方が視界的恐怖が増大する。

(拳銃を撃ってるあのメガネ、きのうウチに廻状を持ってきた奴だ)

 松山に潤一と同じことをさせた。気が変わったのだ。この際一網打尽にしよう、と。

 砲撃の次は白兵戦。もはや愚連隊に戦意などない。撃たれてはのけぞり、斬られては身悶えするばかり。さっきまで一緒に行進していた人間が実は敵だった。もう何も信じられない。同志討ちまで始まる。

 阿鼻叫喚の地獄絵図に、指揮官の村井は腰を抜かして呆然としている。

 勝負あった。

「おい、キム。無事か?」

 石橋が仲間を振り返る。

「ああ。これがヤクザの喧嘩ってんなら、俺達のはおままごとだな」

 同じことを考えていたようだ。

「荻原潤一、か。こっちから頭を下げて、将来の大親分の下につかせてもら‥」

 背後に人影。

 キラリと光るものが、キムの喉に直線を描く。

 赤い飛沫。

「き、キム〜!」


 対岸の火事とはこのことだな。

 九七式中戦車によりかかり、潤一はゴールデンバットという安いタバコを吸った。

 まさかこんなものが目と鼻の先、荒川の防空壕の中に眠っていたとはな。整備士の中沢は暇を見てはこの玩具を手入れしていたそうだ。ちゃんと動くし、ちゃんと撃てたのは僥倖だろう。

 それにしても、自分が思いのほか冷静なのに驚いている。もしかするとあの日以来、感情というものを失ったのかもしれない。

 喧嘩が始まる前には少しだけ高揚感があったが、今は勝利の喜びも達成感もない。セックスのあとの気怠さに似ている。

(ああ。それに、平気で嘘をつけるようになったな。忠誠を誓えば許してやる、とか。俺を喜ばせれば若頭にしてやる、とか)

 戦車の中から、人が暴れる音が聞こえる。

 中沢は砲弾を発射させて恍惚となっていた。こういう変態も使い道があるかと考えたが、ここまでの大騒動を官憲もGHQも見逃してくれまい。自首させて余計なことを喋られても困る。死人に口なし。まぁ、そういうことだ。

 音が止んだ。

「おやっさん。終わりました」

 車体を拳でゴンゴンと殴って応答する。

 終わったんじゃねえよ。始まるんだ。

 歩きながら、まずいタバコを投げ捨てる。

(組長らしく見栄張って、葉巻でも吸うかぁ?)

 闇が白んできている。

 47ミリ砲身が黒く淀んでいる。

 白と黒が、希望と欲望が混ざり合う。

 砲口の先を見る。

 明けの星というのだろうか、じりじりと灼ける赤い星が見えた気がした。


 



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