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第3話 地の下③


 昭和二四年

  

 昭和二四年(1949年)春。東京・北区赤羽の実家兼荻原組事務所に向かった。無論、博徒集団の組長宅は跡形もなくなっていた。

(まあ、そうだろうな。さて、どうするか)

 戦争は潤一のバックボーンを奪っていた。博徒系の組織は解体されて兵隊として招集された。荻原組の正式な組員はわずか八名。うち五名は戦死している。生き残った者も故郷なり別の街での仕事を選ぶだろう。なにせ、組長である潤一の父・潤蔵もまたサイパンで玉砕しているのだから。

東京は焼け野原からの復興を着実に進めていた。のし上がるなら今なのだ。だが都内に信頼に足る仲間がいない今、喧嘩を吹っ掛ければ大組織の肥やしにされることは目に見えていた。

 ただ、この年荻原組で金庫番を務めていた松山耕作という男が満州から復員していた。松山は戦前と同じ場所に建てた、掘っ立て小屋の組事務所で潤一を迎えてくれた。

「ぼん。お久しぶりで。本当にご立派になられて。ただ、姐さんのことは残念です」

「ああ。俺もだ」

 松山には、静江は戦後まもなく病死したと伝えてある。

 組を再興したい旨を伝えると

「さすがです。おやっさんの遺志を継がれるわけですね。微力ながら、あたしもぼんをお支えします」

 と、感激しきりだった。

「松山。ぼん、はやめてくれ。他のモンに示しがつかねえ」

 他のモンを紹介する。大宮、狭山、それに十人ほどを秩父から連れてきていた。

「おめえらは旅館に戻ってろ。俺は松山と仕事の話をする」

 この人数を掘っ立て小屋に止めるわけにはいかなかった。


 松山は武闘派ではない。経理の資格を持ち組の金庫番を担当した、眼鏡の似合うインテリやくざだった。彼の戦前からの人脈や経済の知識は、きっとこれからも役に立つだろう。

「先代の荻原組は力一辺倒の組織でした。でもGHQが統治するいまのこの国で、それは通りません。今日からヤクザやります、じゃ誰も相手にしてくれません」

「具体的にどうすりゃいいんだ?」

「まず荻原組を会社組織にするんです。興行会社として登記し、表向きは堅気の体裁をとります」

「資本金はどうする?少しくらいなら仲卸で稼いじゃいるけど」

「それを法務局への見せ金に使いましょう。それとぼん…潤一さんに権利がある不動産の相続手続きをします。その証書を担保に金融機関から運転資金を調達しましょう」

「そのへんの手続きは任せるよ。俺は表じゃねえ方を進めてえんだが」

 経理係は、わが意を得たりと微笑む。

「そう来ると思って、情報を集めておきました。まずは現状分析です」


 終戦直後の反社会的勢力には三種類ある。①荻原組のような博徒集団 ②全国の露店を仕切る的屋テキヤ組織 ③愚連隊…である。

 この時点で戦前からある博徒集団と的屋組織は戦争によって弱体化しており、愚連隊が幅を利かせている。

 博徒集団の主なシノギ(収入を得る手段)は、肉体労働の人材あっせん・スポーツや演芸興行・非公認ギャンブルなどである。

 対してテキヤは、祭りやイベントの出店を取り仕切って利益を得る。この二組織は棲み分けもできている。

 だが、愚連隊は自らの行動を律しない。

 人材派遣や博打にも絡むし、出店からショバ代をたかることもある。さらには窃盗・脅迫・暴行・詐欺・人身売買・麻薬、必要とあれば委託殺人も請け負う。彼らに「仁義」などという縛りはない。

(戦前みたいな気分で抗争を仕掛けても、今の俺等は愚連隊に勝てねえんじゃねえか?)

 国同士の戦争もヤクザ者の抗争も変わりゃしない、と潤一は思う。

(八紘一宇。大東亜共栄圏。欧米に虐げられているアジアの同胞を救う聖戦…日本を敗けさせたのはその中途半端な正義感、仁義のせいだ。ヤクザは悪に徹しないと強くなれねえ。周りもビビっちゃくれねえ) 

 ここ東京北部では、戦前の子どもの英雄・赤胴鈴之助をもじった「赤鈴隊」という愚連隊が息巻いているらしい。最初のうちは、略奪や女たちを暴行し続ける不良米兵に対する自警団として発足し、しばらくは英雄として市民の喝采を浴びていた。

 だがやがて、赤鈴隊自身が窃盗や暴行を犯す愚連隊化した。

「そいつらのシノギは何なんだい?」

「大半はゆすりたかりですね。飲食店にショバ代をたかったり、通行人や車に当たりに行って因縁つけたり」

「その場シノギってか?ただのチンピラじゃねえか」

「ただ幹部の連中は、賭博に手を染め始めています」

 博打は麻薬だ。胴元になれば安定した金脈になる。博徒集団が弱体化している今のうちに、この金づるを奪うつもりだろう。

「どの程度のことをやっているのか、この目で見てみてえな」


 まず駅前の裏路地にあるパチンコ屋を覗いてみた。

 バラック小屋に数十台のパチンコ台が並んでいた。平日なのに満員だ。

 客は立ったまま、咥え煙草でレバーを弾いている。ひと玉ひと玉穴に注ぎ込んで、一発ずつ打っていく。なんとも気の長い、のんびりした博打に見える。

「これで、いくら儲かるんだい?」

「いや、金にはなりません。出玉をチョコレートや洗剤なんかと交換するだけです。博打というより、暇つぶしの遊戯ですね」

 やりようによっちゃ旨味のあるシノギに化けるかもしれないが、当局の規制がある今は手を出す代物ではない。

「次は府中に行きます」


 東京競馬場は盛況だった。ゲートが開いた瞬間にうおおという歓声が飛ぶ。誰もが数枚の馬券を握りしめている。

 戦時中一時中断されていた日本の競馬はこの前年(1946年)、畜産業の復興とインフレ対策のために再開された。

 競馬開催は浮動貨幣を吸収して新紙幣に切り替える国策の一つだった。そのため戦中はひとり一枚しか買えなかった馬券制限もなく、配当金も百倍まで許可されていた。

(当たれば百倍か。そりゃ熱くもなるわな)

 すごい熱気だ。

博打というのは陶酔感だ。行き詰っているとき、沈み込んでいるときほど利く麻薬だ。肉親との別離、復興の苦労、将来に希望を見出せない空虚感を埋めてくれる。だから、いくらでも金を払う。

(その儲けを、国が独り占めかよ)

 見ろ。相も変わらず国は、国民から掠め取る。搾る。心を犯す。

 世間じゃデモクラシーだの民主化だのと騒いでいる。まるでこれまでが黒い闇の中で、ようやく日の目を見れるかのような幻想を抱いている。

 日の目を見たからどうだと言うんだ。白日もまた闇だ。眩しすぎて先なんて見通せやしない。白い闇なんだ。黒い闇の方が、光を探せるだけマシだ。

「潤一さん。出ましょう」

 松山に促されて我に返った。


 競馬場の外には、怪しげな天幕が林立していた。

「よう。あんちゃん。次のレース、張ってみねえか?三番の馬が中穴で5倍だが、俺はぜってえねえと思う。もし来たらウチは5.5倍払うぜ」

 公営の主催者は25%の控除率と必要経費を支払うため、配当金はその分を差し引く。だがノミ屋はその必要がないため、配当金を割り増しできる。より儲かる馬券を買いたいと思うのがばくち打ちの性だから、この商売はなくならない。

松山が耳打ちする。

(こいつ、赤鈴隊の三下です)

 心得た。

「悪いな。もうオケラなんだ。だが、旨い話だな。ここでしか買えねえのかい?」

「あんちゃん、どこに住んでんだい?」

「赤羽から電車乗り継いで来てんだ。もっと近くで買えりゃあいいんだが」

「赤羽?あんたラッキーだぜ。ほれ」

 安っぽい名刺を差し出してきた。

「ウチは王子でサロン構えてる赤胴倶楽部ってグループなんだ」

「サロン?」

「おっと。おめえさん、田舎の出かい。ハイカラじゃないねえ。競馬やら麻雀やら、みんなでワイワイ楽しくお遊びする場だよ。気軽に覗いてみてくんな」

 その男と別れると、ふたりのやりとりを見ていた別の男が寄って来る。

「おい、あんちゃん。あんな奴の口車に乗らねえが身のためだぞ。イカサマ博打に引き込まれてケツの毛まで抜かれんぜ。遊びてえんだったら、ほら、北千住まで来いよ」

 また、別の安っぽい名刺。こっちは「真正赤鈴隊」とある。

「おや。同じ赤鈴隊のグループなんじゃ…」

「け。なわけあるかい。あの連中は、俺らの真似をしてる下衆どもよ」

 




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