第2話 地の下②
田舎での噂。あっという間に、荻原の戦争後家と元憲兵が密通したことは広まった。その多くは、女の方から誘ったことになっている。
それから体錬教師は潤一に手を出さなくなった。そのことがよけいに腹立たしかった。
潤一にとって静江は自慢の母親だった。美人で着物の着こなしも粋、何より優しいひと。この年頃にある恋慕の感情もあったはずだ。
それが、一変した。
嫉妬ではない。メンツを潰された、という感情だった。尊敬する父親のメンツですらない。自分のである。
(母親が股の緩いバカ女じゃ、俺が恥をかくんだよ!)
ヤクザならどうするか?
無論、ふたりとも殺す。
昭和20年(1945年)8月15日。国民学校の校庭で玉音放送を聞いた。天皇陛下のお言葉の意味はわからなかったが、教員や保護者たちの悔し涙で日本が戦争に敗けたことは理解した。
(ち。くっだらねえ。負ける喧嘩に今まで我慢させられたわけか)
「欲しがりません、勝つまでは」という戦時中のスローガンのことだ。勝つ予定だから欲しがらなかっただけだ。これからは、無能な大人どもが何を言おうと我慢なんぞするものか―そう誓った。
その後も鴻巣と静江の関係は続いた。
潤一は終戦後もしばらく秩父に留まった。東京に戻っても食料難だったからだ。
その間金を稼いだ。米や野菜を闇市に卸す商売だ。飛ぶように売れたが、問題はインフレだ。田舎者は戦時中の価格に慣れていて安値で手放しかねない。
潤一は東京にいた頃の伝手を介し最新の情報を仕入れた。そのうち周りの農家から仲買いを頼まれるようになった。高額の手数料を払っても潤一に仲介してもらった方が儲かるからだ。
(軍資金も貯まったこった。そろそろ東京に戻るか。だが、その前に‥)
やっておくべきことがあった。
ケジメをとる、だ。
昭和二十二年。17歳の潤一は、物知りの大人から刑法が大改正されたことを聞いた。戦前は年齢を問わず死刑もあり得た殺人罪が、18歳未満であれば軽い刑になると言うのだ。
(捕まらねえように殺るつもりだが、万一の保険にはなるな)
誕生日は10月だ。それまでに行動しようと決めた。
潤一が仕事で出歩き食事も外食一辺倒だったため、母親もやることがなくなった。そうなると静江は鴻巣と頻繁に逢瀬を重ねることになり、ついには疎開先とは別の密会用の別宅を持つようになった。
酪農家の使われてない小さな小屋を、生活ができるよう鴻巣が改築した住居だ。村の集落から離れていたため密会に好都合だが、それは潤一にとっても好都合だった。
国民学校から村立中学校となった勤務先から密会の場に向かう鴻巣を大宮が拉致した。
背後から利き腕を捻り、喉を絞め上げる。
「騒いだら、首へし折るぞ」
既に大宮は村一番の大柄で、野菜運びのおかげで筋骨隆々だ。鴻巣は抗う術もなかった。
潤一が運転する野菜運搬用のトラックに乗せる。
「よう。どこへ帰るつもりだ?あんたの家は反対方向だろうが」
潤一を見て、鴻巣は自らの危機を察知した。
「荻原‥の坊っちゃん」
「気持ちわりい呼び方すんなよ。憲兵なんだから『おい、こら』って言えよ」
小屋の中には、狭山に縛り上げられた静江がいた。
鴻巣を女の前に転がす。足の爪を剥がしてあるので、すぐに逃げ回ることもできまい。
「あんたら、いつもここで何やってんだ?ちょっと俺達に見してくれよ」
「じ、潤一。違うの。母さんはあなたの将来が心配で。就職のことで、先生にご相談を‥」
息子が遮るように頬を張る。唖然とした母親が、ここでようやく自分も許されないことを悟った。
「そうか。心配かけてたか。じゃあ俺も先生にご相談だ」
間男の腹を蹴り上げる。呻く。転げ回る。
「先生。俺まだ童貞なんだよ。オマ◯コの仕方をこの売女で見してくれよ」
目一杯に涙を溜めた恩師が首を振る。
「坊っちゃん。勘弁してください」
「やれ、つってんだよ!」
ふたりは全裸にされて布団の上で重ねられた。
だが、どちらも固まったまま微動だにしない。
「大宮。まず、どうすんだっけ?」
「はじめは、接吻ッスかね」
「アメ公の言うkissだな。やれ」
ふたりとも震えながら唇を合わせる。
「それから、ベロを舐め合うみたいッスね」
「やれ」
観念したように鴻巣の舌が伸びる。電光石火に潤一が男のうしろ髪を掴んて引き倒す。
「おい。汚ねえベロでお袋を舐めてんじゃねえ。クソが。狭山」
性行為に興味のない手下は、隣の部屋で退屈そうにしていた。
「引き出しに羅紗鋏があんだろ。こいつのベロ、切っちまえ」
鴻巣が脱兎のごとく逃げ出す。
だが、腰に結んだ拘束ベルトが阻止する。大宮が足を払ってうつ伏せに倒す。
「お、俺にやらせてくれんのかい?潤ちゃん」
厚物を裁断する鋏を手に、破綻者は嬉々として抑えつけられた鴻巣の顔の前にしゃがみ込む。
「猫の耳や犬の尻尾はあるけど、人間のベロは初めてだなぁ」
背中に跨る大宮が口をこじ開ける。
「や、やめて。潤一さん。止めて」
「なんだ?まだあんた、あのベロが恋しいのか?よっぽど気持ちよかったんだな。穴っていう穴舐め回されてよ」
「‥」
親を見る目ではない。いや、人を見る目ではなかった。
狭山が舌を引っ張る。
ゴリッという音。
「うがああ!」
顔中を血塗れにした男が七転八倒する。
愛人だった女は絶望の表情だ。
(次は‥私‥)
狭山は鋏を握りしめたまま恍惚となっている。
潤一が苦悶する男を見下ろす。
「憲兵殿。教官殿。戦争ん時は俺達をボコボコ殴ってたのに。大和魂とか神国とか言ってたのに。こんな見苦しいんじゃ、天皇陛下‥」
直立してからの敬礼。
「に、申し訳ねえんじゃねえのか?」
「らまれ!ひ、ひさまらのような」
愛国主義者の最後の意地。
「え、何?黙れ?貴様らのような?何?」
「ひほふみんが」
「非国民が?」
「てんひははのらを」
潤一が狭山から鋏を奪い取る。
「こりゃ難しいな。ええと‥天子様の名を?」
剥き出しの陰茎を引っ張り上げる。
今度はシャキンという乾いた音。
「グオ!」
泡を吹いて男は失神した。
「口にすんじゃねえよ‥おめえらがな」
楽しみを横取りされた狭山が、傍らで泣きそうな顔をしている。
「あとは好きにしろ。今日は殺していいぜ」
鋏を返された変質者は興奮を隠せない。
「うわあー。ありがとうございます。潤ちゃん。あんたはやっぱオイラの親分だぁ」
水を得た魚は、動かなくなった人体を切り刻みはじめた。
(バカと鋏、か)
潤一は男にはもう興味がない。不浄の女に向き直る。
「あんたのおもちゃは壊れた。代わりがほしいだろ?」
「私‥私は‥あなたの母さん‥よね」
泣きながらの哀願だ。
「その前に、売女だがな。大宮」
もうひとりの手下は、さっきからずっと股間を押さえている。今までの流れに性的興奮を覚えているのだろう。こいつも変態だ。頼もしい。
「この女をお前にやる。腰が抜けるまで犯しまくれ」
ふたりは嬲り殺されたあと、秩父の山に埋められた。地の下、にである。