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第1話 地の下①


 防空壕の中。

 自分のいる場所は、いつも地の下だ。

 ヤクザの組長の息子として生まれ落ちたときからずっと。

 人生の転機になるかもしれない、今いるこの場所も。

 

 帝国陸軍が誇る九七式中戦車。

 搭載砲は47ミリ。

 撫でてみる。氷のように冷たい砲身だ。

 滾る欲望のように、黒く淀んでいる。

 地上はどうだ。

 白日の下にさらされた地上は明るいが、闇だ。

 白い闇なのだ。

 男は目を瞑る。

 地の下に差し込む光を探して。







 昭和五〜二二年


 昭和五年(1930年)10月8日、荻原潤一は東京都北区に生まれた。父親の潤蔵は、二代目荻原組という博徒一家の親分だった。幼いころから潤一は、両親や組の若い者に大事に育てられた。いずれ跡目を継ぐ者として。

 ただこの前年には、アメリカ合衆国のウォール街で株価大暴落が起きていて、日本にも世界恐慌の波が押し寄せてきていた。資源の少ない日本は深刻な不況に陥り、農村をはじめ大衆の困窮化が進んだ。11月には国際協調派の浜口雄幸首相が襲撃され、翌年の柳条湖事件、満州事変に向かう不穏な情勢だった。


 昭和一六年(1941年)12月8日、太平洋戦争が開戦した。

 半年後には父親や組の若い者が徴兵された。すでに三十歳を超えていた潤蔵が早期に兵役にとられたのにはわけがある。のちに暴力団と呼ばれる的屋テキヤや博徒といったいわゆるヤクザ者は国に置いておくと悪さをするため、早い段階で軍隊に入れてしまえ、という国策のひとつだったのだ。

 もともと国に逆らっているのがヤクザ者だ。潤蔵もまた自分が出征する前から、妻・静江と潤一を田舎に疎開させる手続きを取っていた。縁故疎開というものだ。

 出征前、父親は潤一に言った。

「いいか、潤一。国なんてものを信じるんじゃねえぞ。旗色が悪くなりゃ、今度はおめえら子供まで戦争に駆り出すだろう。万一赤紙(召集令状)が来ても、おめえは逃げろ。逃げて田舎に隠れて戦争が終わるのを待て」

「とうさん。でもそれじゃ、お上に捕まるんじゃ…」

「こちとらヤクザなんだ。捕まっても勲章だぜ。俺が戦死したら、頃合いを見て三代目荻原組を立て直すんだ。いいな」

「わかったよ、とうさん。でも、ちゃんと帰ってきておくれよ」

 父親は「たりめえだ」と、笑って息子を抱きしめた。

 

 潤一自身は小学校に入る前から喧嘩の仕方を学んでいたし、血筋なのか肚も座っていた。おかげで級友や周りの大人さえも一目置く存在だった。そのまま順調に育っていけば三代目を襲名したことだろう。

 だが、戦争は彼の行く末を変えた。

 

 疎開先は埼玉県秩父の村だった。そこで潤一は喧嘩の腕を磨いた。いや、腕よりも頭を磨いたと言うべきかもしれない。

 正直タイマンは面倒だった。だが隣村との国民学校同士の喧嘩では、自ら指揮を執ることで本領を発揮した。軍師、あるいは番長として自校を圧勝させた。

 戦い方はこうだ。

 まず、相手校の情報をくまなく集める。主力を洗い出す。主力の弱みを握る。脅す。喧嘩には参加させない。

 リーダーのいないガキの集まりなど敵ではない。事前に「主力の連中は裏切った」とデマを流して混乱させる。

 そしてこちら側の主力には用意周到に木刀を持たせ、弱い者には大量の石を投げさせた。ものの十分で決着はついた。

(喧嘩は自分でやるもんじゃねえ。ひとにやらすもんだ)


 この手法は大人になってからも続いた。情報を集める。弱みを握る。圧倒的武力を誇示する。相手は戦う前に士気をなくして圧勝する。味方の力(金)は温存されて次の勝負に挑む。そしていつも、自らの手を下すことはなかった。


 秩父では、何人かの手下ができた。中でも大宮と狭山というふたりは、始終潤一について回る用心棒のような存在だ。

 大宮は潤一の一学年先輩でありながら「兄貴」と呼んだ。大男でケンカは強いが頭は悪い。学校対抗戦では、主戦力として重宝した。勝ったあとは飯を腹いっぱい食わせ、村の女を抱かせた。女たちはわずかな金を掴ませればついてくる戦争後家で、潤一には日常の性処理の道具でしかなかった。だがデカい上に醜男だった大宮は、それを恩義に感じたようだ。

 対照的に狭山という男は陰湿で、喧嘩では必ず刃物を使う。手加減を知らず何人も殺しかけるのを潤一が止めた。

「俺は毛唐どもの喉を掻っ捌いて、英霊になるつもりだ。今のうちに訓練しといた方がいいだろうが」

 戦時教育の賜物か。敵を殺す=正義と信じた憐れな男だった。

(だがイザってときゃ、こういう奴が使えるな)

 刺客として、だ。

 潤一は狭山にも女を抱かせようとしたが、断られた。代わりに薬物を教えてやると気に入ったようだ。以来、狭山はヒロポンと潤一に依存した。

 まだ潤一と同じく14歳だったが、遅かれ早かれだったろう。


 昭和一九年秋。荻原潤蔵の戦死の報せが届いた。サイパン陥落だ。

 このことが潤一の環境をガラリと変えた。それまでは都会から来た、しかもヤクザの息子ということで腫れ物に触るような扱いだった。だが、これを機に反動が始まった。

 子ども同士の喧嘩が強いと言っても、大人とは比べ物にならない。さらに戦時中に児童虐待という概念は存在しない。子どもは殴って教育するものだった。

 東京から来たヤクザの息子は、教育者にとって恰好の見せしめだった。登校する。挨拶が悪い、と殴る。授業中。姿勢が悪い、と殴る。弁当は取り上げられた。下校時は思い切り尻を蹴られた。

 

 その男は鴻巣という元憲兵で体錬科の教師だった。特に潤一を目の敵にした。体錬科は軍事訓練を兼ねているため、教練の名の下にいたぶり放題だった。

 しばらく潤一は耐えた。だが四月の高等科に上がる頃、潤一は鴻巣から

「お前の家の身上調査をする。母親と面会してお前の素行不良について相談するから、事前に話しておけ」

 と言われた。

 その日、潤一はいつも通りの授業を受けた。

(家庭面談ってのは、俺抜きでやるものなのか?)

 ふと疑問に思い他の学徒に聞くと、やはり三者面談が一般的だと言う。

 学校を抜け出した。

 疎開したての頃から母親の静江は都会育ちの垢抜けた美人だと評判だった。そして夫は戦死している。

 疎開先の家屋は広い古家だ。間借りさせてくれている松山家は、父・潤蔵の子分だった男の実家だ。家人は昼間、畑仕事で外に出ている。


 玄関を開けようとした時、元憲兵の声が聞こえた。

(ガキがどんな目に合うかは、あんた次第だ。わかるだろ?) 

 そんな声が母親のすすり泣く声に重なる。

(なるほど。あの野郎はコレのために、俺に目をつけたわけか)

 冷静に思考する。俺を材料にするためには、交渉を蹴った場合にどうなるかを知らせておく必要がある。だからぶん殴り続けたわけだ。

(先生。堪忍。堪忍してくださいまし)

 蚊の鳴くような声。

 衣擦れの音。

 暴れ回る音。

 頬をはたく音。

 観念した女の声。

(先生。後生です。潤一を守ってください。お願いします)

 そのあとは、身体同士がぶつかる音が続く。

 

 土間を見渡す。稲刈り用の鎌が立て掛けてある。相手は頑強な大人だが、行為をする間は隙だらけだろう。背後から喉に当て、こう引く。よし、勝算はある‥。

(潤一と‥私のことも‥お願い。ね、先生)

 さっきまでとはうって変わった猫なで声。

 ひとり息子は鎌を取り落とした。

(‥ち。売女が)

 潤一は踵を返して学校に戻った。




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