28 海だ
何だここ。
海だ。
海なんて俺が住んでいる街にはない。
何だか空が暗い。
朝だったよな、晴れてたよな。
俺は柳と待ち合わせをしていて、柳に会えて、そこに車が突っ込んできて。
あ、俺、死んだのか。
死んだら人間は海に来るのか。
ここがあの世なのか。
何だか実感がない。
お祖母ちゃんいるのかな。
柳に結局言えなかったな。
昨日言っとけば良かった。
どうしてこう何もできないんだろう。
話したい事がいっぱいあった。
聞いてもらいたい事も、聞きたいことも。
時間はいくらでもあったのに。
違う、あると思っていたからだ。
人間はいつ死ぬかなんてわからないのに。
それを知っていたはずなのに。
もっと一緒にいたかった。
笑う柳をずっと見ていたかった。
笑ってなくてもいい、柳なら何でもいい。
柳の声の聞こえる所にいたい。
俺幽霊になったりしないかな。
バサラみたいに。
あれ、バサラか?
あの白い髪、バサラだよな。
俺は歩く、バサラも歩いているので差が縮まらない。
俺は立ち止まって欲しくて名を呼ぶ。
「バサラ」
振り返った顔を俺はよく知っていた。
親より見た顔とはよく言うが、本当にその通りだった。
間違いなく父よりも母よりも見た顔だ。
俺とそんなに変わらない子供の顔。
白い髪をした戦国の忍びで、家康を暗殺したかもしれない男。
四百年以上同じ女性を待ち続けた男。
会えるなんて保証はどこにもなかったのに。
それしか知らない。
白くなった髪のことも、忍びとしての過酷も、何も知らない。
でもずっと傍にいてくれた。
父よりも母よりも寄り添ってくれた。
俺に星空を近くで見せてくれた人。
「バサラ」
「千紘、お別れだな」
「ここ、あの世か?」
「嫌、違うな」
「じゃあここどこだ?」
バサラが笑う。
何だろう、その笑い方、知らない気がする。
こんな風に笑う男だっただろうか。
微かに、誰にも気づかれないような。
「千紘、ありがとうな。お前のおかげですっげ―楽しかったよ」
「バサラ…」
「お前のおかげで美味いもんたらふく食った。生きてた頃よりずっと楽しかったかもしんない。ありがと」
「お礼言うのはこっちの方だろ」
「千紘、姫様にちゃんと告白しろよ」
「本当に俺でいいのか?」
「選ぶのは姫様だろ。俺じゃねぇよ」
「お前だって柳のことずっと好きだっただろ?四百年も待ってただろ?」
「俺はただ星を待っていただけだ。俺はいつだって姫様の傍でただくるくる回っていたかっただけだ。お前は違うだろ?千紘」
「俺?」
「お前は星を掴みに行けよ、千紘」
「バサラ…」
「俺のことなら気にするな。もうお前から貰いすぎた。返しても返しきれねぇ」
「返さなきゃならないの俺の方だろ」
「千紘、俺は四百年以上ずっとボーナスステージを生きてたんだぜ。辛いことなんか何にもないな。俺はあの時代に生きた人間で一番長くこの世に留まって楽しんだんだ。もう何にもねぇよ。姫様に会えた。あの姫様がまた俺の目の前に現れてくれたんだぞ。もう一生会えないと思っていた姫様があの時と変わらない綺麗な姿で、俺は二人の姫様に出逢えた。俺ほど幸せな人間いねぇよ」
「大人になった柳が見たかったんだろ?」
「もう十分だよ」
「俺だけ幸せになっていいのか?」
「は?何言ってんだ。俺はずっと幸せだったって言ったろ」
バサラが腰に両手をやる。
そういえば、こんな風に向かい合ったのは初めてかもしれない。
だってバサラはいつも雲のように浮かんでいたから。
「俺はずっと幸せだったよ。姫様に会ってからずっと。姫様がいなくなった後も幸せだった。姫様の記憶があったからだ。俺だけの姫様という宝物があったからだ。何度だって取り出してはそれを眺めていられたんだぜ。ずっと忘れなかったから。絶対に忘れたくなかったから。四百年以上幸せが続いたんだぜ。人類最長だろ。これ以上なんかねぇよ。ありがとな」
「バサラ…」
「お前はこれから幸せになるんだよ。大丈夫、姫様が傍にいたらずっと幸せだよ。長生きして美味いもんいっぱい食え。笑って別れようぜ、千紘。あーばよー」




