5話
ダの本名は存在しない。
魔王軍に拾われた時、名前を問われ、「ダ」とだけ名乗った。
本当は名前があったかもしれない。けれど記憶はなく、語る者もない。
彼は魔王軍幹部として、常に冷徹な顔をしていた。
それは演技ではなく、正真正銘の“無感情”だった。
なぜなら──ダにとって「世界」はずっと“他人事”だったからだ。
転生によって与えられたのは、指揮権。戦略。命令する側の力。
だが、彼は知らなかった。兵士たちの心の動かし方も、恐怖をどう癒すのかも。
ただ与えられた通りに、機械のように命令を下し、戦局を動かした。
そして、彼は失敗する。
敗北の原因は彼が人の情動を知らなかったから──そう記録されている。
だが実際には違う。
作戦の終盤、彼は自ら命令を捻じ曲げ、部下の撤退を優先した。
敗北と知りながら、兵士たちに“生き延びる選択”を与えた。
この時、初めて彼は「他人を想う」ことをしたのだ。
魔王軍はそれを裏切りと見なし、彼を処刑した。
その最期、彼は一言も発さず、ただ空を見上げていた。
──あの空の先に、勇者がいる。
──あの空の向こうに、自分の“もう一つの役目”があったかもしれない。
彼は本来、勇者軍との最終決戦で交差するはずだった。
そこで勇者の言葉に触れ、“選ぶ”はずだった。
自分を、未来を、世界を。
だが転生によってルートは断たれた。
それでも、彼の死は無意味ではなかった。
彼を逃した兵士の一人が、その後勇者軍に降り、革命派の一翼を担う。
ダの命令は世界を変えなかったが、“誰かの心”を変えたのだ。
そして彼の心残りは、後に“最終勇者”の意識へと引き継がれていく。
不器用で、誰も救えなかったが──それでも。
あの空の向こうを目指した魂だけは、決して失われなかった。