最終話
リアに初めて出会ったのは、学園最初の授業だった。
各自好きな席に座っているけど、当然僕の隣に座る人間などいない。
「ここ、空いてますか?」
笑顔で人に話しかけられたのなんて、何歳ぶりだろうか。
人と話すことを忘れていた僕が言葉を紡げずにいると
「すみません。予約席でしたか? 仕組みがわかってなくてすみません」
慌てて立ち去ろうとする彼女の手を思わず掴んでしまった。――しまった。どんな反応が返ってくるか僕は知っている。
だけど彼女に返されたのは「座っていいんですか?」という笑顔だった。
ただそれだけだ。ありきたりなよくあるきっかけ。でもそれだけのことが僕には眩しく、僕は彼女こそ聖女なのだと思った。
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僕を見て嫌な顔をしない人を初めて見た。不吉な子、悪魔の子。黒は不浄で不吉なもの。そう信じられているこの国で僕は忌み嫌われていた。
ブリンデル公爵家の長男という立場にいることと、潜在的な恐怖から表立って何かを言われることはないけれど。恐怖、侮蔑、嗤笑、僕に向けられる視線に好意的なものは一つもなかった。
いくら公爵の血をわけた一人息子だからといって、僕を追い出さないのには理由がある。
巫女である母の血を引いた僕の魔力を分け与えると、フレイヤに浄化の力が生まれることがわかったからだ。
そうして離れて暮らす病気の母を脅しに、フレイヤに魔力を与える存在としてブリンデル家に飼われていた。家族としては扱われない。ただの道具だ。
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リアは普通の女の子だ。飾り気なく僕に話しかける。だけどその普通が僕にとって何より求めていたもので、僕は自分が悪魔ではなく人間だったことを知った。
彼女は本物の聖女だったから、周りを惹きつけた。
身分が低いからと嘲笑う人間は彼女の光を知らない。
王子を始めとする学園の中心人物だけが彼女に吸い寄せられていく。
でも、彼らはリアのことを本当に理解しているのだろうか。
彼女の持つ魔力に引き寄せられているだけだ、僕だけがリアのことを理解している。
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僕から魔力を受け取った後、いつもフレイヤは血を吐いて地面に這いつくばっている。
惨めな姿を見下ろしながら「私は大聖女にはなりたくないのよ」と微笑むリアを思い出した。
だからフレイヤが彼女を憎んで恨むのは当然とも言えた。
まがい物が本物に敵うはずなんてないのに。
フレイヤはくだらない虐めまで始めた。僕はこっそり防ぎ続けたけど、それを遥かに上回る回数のくだらないことを繰り返した。
花瓶や劇薬を頭上から落としたのをなんとか防いたが、フレイヤの憎しみが徐々に燃え上がっていくことを感じた。
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誰もが彼女から一定の距離を保って、僕も彼女に触れてはいけないと思っていた。彼女はそんなことには気づかず「私と普通に話してくれるのはラーシュだけだわ」と笑う。
フレイヤが階段でリアを突き落としたあたりから、周りが彼女と距離を縮めていった。ただたゆたうだけだった水面が急速に流れていくように。
王子はリアを大聖女に推すだけではなく王妃に据えようと考えている! フレイヤは両親に泣いて訴えた。
それはフレイヤの妄言ではなく、僕も気づいていたことだった。
リアの光に吸い寄せられていた生徒たちは、聖女の力に無意識に惹かれているだけなのに、王子の瞳だけは欲を感じた。
フレイヤが大聖女になれず、王妃になれないことに一番焦りを感じたのは両親だ。
自分の立場のために、自分の夢のために、彼らは何が何でもフレイヤを大聖女にしようとした。
そして、彼らは一線を超えた。
「どうしてフレイヤはあの少女を上回れないのかしら」
その日、僕はたまたま家に戻ってきていた。僕がいないと思っている母親モドキは今日も喚いている。
「巫女の力を全て注いだというのに! 息子も結局役にたたないじゃない!」
母は巫女の力でなんとか生き長らえている人だ。その瞬間、僕がここに飼われている意味は何もなくなった。
僕はただ普通に生きたいだけだ。
リアのこともただ遠くから見て、たまに話しかけてくれて、それで十分だ。何も望まなかったのに。
もしかして何も望まないから、こうなったんだろうか。
奪うものだけが得をする。望まないと奪われるだけだ。
僕が望むもの、それはリアしかない。
■ 最終話 悪役令嬢の弟の愛と復讐
その日も僕の下で這いつくばっていたフレイヤを見下ろしていると「あんたもあの女が好きなんでしょう」と吐き捨てるように言った。
巫女の力を全て注いでもフレイヤはまがい物のままだった。
「でも残念ね……このままだと貴方の聖女は……殿下の女になるのよ」
「……」
「……なんとかいいなさいよっ……!」
僕はフレイヤの顔の近くに屈んだ。
「お姉様、悔しいですか? 本物になりたいですか?」
「……」
「僕がお姉様をリア・ソルネにしてあげましょうか?」
「……そんなこと、あんたに……」
「できますよ。僕は悪魔ですから。僕と契約しませんか?」
フレイヤは地面から僕をギロリと睨みつけた。
「心配しないでください。僕も殿下に彼女を奪われたくないんです。利害が一致しているんですよ」
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母の国は魔術ではなく呪術を使う。その中で禁忌とされるのが呪いだ。
フレイヤはリアに呪いをかけることに決め、僕が術者として呪詛を唱えた。
思わず笑ってしまうほど簡単に。
殿下の目が届かない場所に、僕の手の中に彼女は落ちてきてくれた。
望んだら手に入る。手に入れたら憧れは冷めてしまうかと思っていたがそれは杞憂だった。彼女への気持ちはすぐに憧れから恋に変化した。
そしてこれが独占欲というものだと僕は初めて知った。
二人が入れ替わったことはすぐに気づかれるかと思ったが、王子は相当盲目だったらしい。まがい物のリアを大切に大切に扱っている。そこにリアはいないのに。
僕はリアのことをなんでも知っている。
リアは大聖女になんてなりたくないし、王妃の立場だって嫌がってる。
それなのに王子はそれしか与えようとしない。
リアには、選択肢を与えなくては。
選び取らせて、そして僕のすべてを欲しがってくれなくては。
何度も確認する。僕でいいのかと。頷くたびに僕を好きになってくれる可愛い人だ。
それにしても、フレイヤには驚いた。
僕は期限なんて何ひとつ伝えていなかったのに、自分がリアでいられるのは永遠だと思ったらしい。くだらない罪を重ねて情けないことだ。
くだらない罪さえ重ねなければ、僕たちがこの国から逃亡した後に初婚の優しい辺境伯のもとで穏やかに暮らすことが出来たのに。
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今日もリアは僕の前で笑っている。
あれから国がどうなったかは知らない。
大聖女からまがい物に戻ったフレイヤは、王族を欺いたと罰が増えるのだろうか。
リアの捜索に入った警備隊は、書庫に残された魔法陣をすぐに見つけるだろう。
ブリンデル家は殿下の愛しい妻を消してしまったのだ。愛した妻がまがい物だったと知った王子はどのような処罰を下すのだろうか。
それとも一度は愛した女だからと大切にするだろうか? 数年も立てばフレイヤには呪いの代償も訪れるけれど。
そんなことは全てもう知らないことだ。僕はリアのことだけ知っていればいい。
「そろそろ落ち着いたし、君の両親に会いに行かないか?」
僕の言葉に、リアは花が開いたように笑った。
リアが本当に求めているものを僕は知っている。
大丈夫、リアの嫌がることは決してしないよ。