07 悪役令嬢とヒロインの明日
大変なことになった。
ウエディングドレスに浮かれていた夫人は天国から地獄に突き落とされて、私を抱きしめながら大声で泣き叫び、ひとしきりわめいたあとに気を失ってしまった。
公爵はいつものように怒鳴ることもなく、ただ震えて青ざめてそれ以上なにも言えなくなった。娘が処刑されてしまうことへの不安か、ブリンデル家から犯罪者が出ることへの不安かはわからない。
「殺人未遂とはどういうことでしょうか」
処刑予定の私が一番泣きたいのに、彼らの騒ぎっぷりを見ていると冷静になるしかない。
酷い状態のリビングルームで立ちすくんでいると「お姉様!」と愛しい人の声がした。きっと話を聞いたであろうラーシュが、息を切らして帰ってきたところだった。
「二人は……話ができる状況じゃないな」
ラーシュは周りの使用人にテキパキと指示をすると「お姉様を部屋に連れて行くよ」と宣言した。
ラーシュは私の手を引いて早足で歩いていくけど、フレイヤの部屋には向かっていない。
「私はもう国に連れて行かれるの?」
「一応フレイヤは公爵令嬢だ。家の立場があるから支度の時間は許されてる。でも事情の聞き取りにはもう来るかもしれない」
「ねえ、ラーシュ今どこに向かっているの?」
ラーシュが進む先には書庫がある。ラーシュに強引に奪ってほしいと思ったけど、こんな強引さは嫌だ。私はラーシュと一緒にいたい。
「行かない」
「リア?」
「もとに戻らない」
ラーシュは少し考えると、私を抱き上げてそのまま歩きだした!
「待って! 私は戻らない! あなたと逃げ――」
「しっ」
ラーシュは私の唇に指を当てて微笑んだ。こんな時なのに悔しいけれどその仕草に照れてしまう。
「大丈夫。リアの嫌がることは決してしないよ」
そう微笑むけどラーシュがたどり着いたのはあの書庫だった。
「ねえラーシュ、私入れ替わりは――」
「リアが僕のことを求めてくれるのに、誰にも渡さないよ」
ラーシュは部屋の中を進み、先日見つけた魔法陣の上に私をそっとおろした。
「この部屋は物を隠しやすいから、逃亡用の魔術を組み込んでいたんだよ。なんとか間に合ってよかった」
「それじゃあ!」
「うん、一緒に逃げよう」
運命をともにしてくれる。それが嬉しくて、ずっと触れたかった愛しい人の胸に飛び込んだ。
「リアって結構熱烈だよね。嬉しいけど、すぐにいかなくちゃ」
「転移魔法ができるの? 屋敷は制御されてるんじゃ」
「うん。でも僕は天才魔術師だからね」
ラーシュが私を抱きしめ返してくれて、詠唱を始める。
床から強い光に照らされてぎゅっと目を閉じる。
「大丈夫だよリア。しっかり捕まっていて」
光が強くてもう前は見えないけど、穏やかなラーシュの声が私を落ち着かせた。さらに光は強くなり――。
・・
目を開けなくてもわかる。ラーシュの匂いと体温が包みこんでくれている。ラーシュがいてくれるなら大丈夫だ。
「リア、目を開けて」
そこにはラーシュの笑顔があって、安心したと同時にラーシュの顔がにじんでいく。不安は涙になってこぼれて消えた。
「ここならもう大丈夫だよ」
「ここは……?」
周りは知らない土地だった。のどかな田園が広がり、王都から離れていることだけはわかる。
「僕たちが今まで住んでいた国からすると隣の隣の国だね」
「そこまで転移しちゃったの? ラーシュの魔術って本当にすごい」
「そこに座ろうか」
ラーシュは大きな木を見つけるとその下に座って、私も隣に腰をおろした。
「この国まで来てしまえば、もう大丈夫だよ。僕たちの国と敵対しているんだ」
「そんな国に来てしまってよかったの?」
「うん。僕の母はこの国の人間なんだ。知らない国は怖い?」
「ううん、ラーシュといられるならどこでもいいわ!」
あぜ道を親子が通っていくのが見える。――彼らはラーシュと同じく黒髪だ。そしてきっと黒い瞳をしているんだろう。
「さあ、何から説明しようか?」
「ええと、フレイヤ様が処刑だって本当?」
「本当だよ」
「でもどうして? もう処遇は決まっていたじゃない」
「リアの中にいるフレイヤが欲張ったんだよ」
「……?」
「ただの虐めではない。殺人未遂だと言いはったんだ」
罪から逃れて、なすりつけただけでは足りずに罪を増やしたというの……? 想像の遥か上をいく非道さに私は言葉を失う。
「まさかそこまでするなんて……!」
「リアが黙っていた、階段からの突き落とし、薬品をかけた、上から花瓶を落とした、物置に閉じ込められたなどと証言したんだよ」
「待って。階段からは突き落とされたけどその他のことは覚えがないわ!」
「それを見た証人と証拠も見つかったんだよ」
「……どうやって? 偽装でもしたの……?」
酷い。そこまで大事にならないように、そう思って証言しなかったことを。私の想いをいとも簡単に踏みにじるのか、私を追い詰めるために。
「私は王都から追放されたし、大聖女候補からも外れた」
やり場のない怒りから唇から漏れていく。
「でも殿下からの愛は君へのものだからね。余計に憎くなったのかもしれない」
「証拠って何かしら?」
「フレイヤは物置に閉じ込められたと証言した。それは我が家の庭にある物置だ」
「それって……」
「うん。自分でその物置に証拠を残していったんだろうね。証言通り、物置からは劇薬や鞭なんかが見つかった」
彼女の計画的な犯行に再度言葉を失ってしまう。許せない。でも怒りではなく、諦めに近い失望だった。
「全部言ってしまってごめん。傷つけた」
私の頬をラーシュは優しくなでてくれる。
「ううん。知らないといけないことだわ」
「とにかくそこまでいけばもう虐めではない。リアの皮を被ったフレイヤは殿下に泣いて訴えていたよ。『フレイヤ様がいつ襲いに来るかわからなくて恐ろしい』と」
「それで、殺人未遂の罪に変わったのね」
「うん。極刑になるかは今後の取り調べ次第だけど、投獄されるのは間違いない。殿下の愛しいリアを守るためだし、終身刑になる可能性が高いかな。さすがに警備が厳重な牢獄では僕も難しいから間に合ってよかったよ」
冗談交じりでラーシュは笑ってくれるけど、手が震えてしまう。だって、ラーシュの準備が間に合わなかったら私は無罪の終身刑になっていたのだ。
「まあ僕は愛しいリアのために牢獄でも助けに行くけどね」
ラーシュは私の髪を一房掬って口づけた。
……あれ?
ラーシュの手にあるのは美しく流れるような銀髪ではなく、十六年私と過ごしたストレートの茶色い髪の毛だったのだ。
ラーシュを見上げると、目を細めて手鏡を渡してくれる。
そこにいたのは、リア・ソルネだった――!
「ラーシュ! これは?」
「僕は天才魔術師だからね。逃亡準備と一緒に元に戻す方法も探していたんだよ」
「ありがとう……!」
思いっきり抱きつくと「ごめんね。不安にさせてた?」と潤んだ瞳が問いかける。
「少しね」
「ダイニングでリアの熱い視線は受け取っていたけど」
耳元でクスクス笑うからくすぐったくて私も笑った。
「僕は中身がリアなら、外見はフレイヤでも父でも何でも良かったんだけどね」
「本当に公爵でもよかったの?」
「やっぱりそれはちょっと嫌かも。でも僕も欲張りだったみたいだ。外見も含めて殿下に渡したくないと思ってしまった」
ラーシュにずっとこうやって言ってほしかったんだ。
私自身を愛してほしかったし、私を丸ごと奪ってほしかった。
「あ、」
リアの姿に戻れたことが嬉しくて、考えに至らなかった。
「ねえ、私がリアに戻ったということは……フレイヤ様は?」
「自分の姿に戻っているだろうね」
「じゃあ……」
「うん。自分で増やした罪を償っていくことになるだろうね」
予想していなかった結末に口をつぐむ。
「リアが気に病むことじゃないよ。リアはフレイヤをかばっていた。そこから罪を増やしたのは自分だ。丁寧に証拠まで作ってね」
「そうね」
婚約破棄されると聞いた時、正直ざまぁみろと思った。王妃にふさわしくないとも思っていた。今だって怒りも失望も消えない。
でも自身で破滅に向かっていった彼女になんとも言えない気持ちが残る。自分自身が増やした罪をこれから幾度となく後悔するのだろうから。
それともこの胸の痛みは数週間フレイヤ・ブリンデルとして生きた同情か。
「今頃、王城では大騒ぎだろうね」
「なぜ?」
「なぜって、そりゃ王妃となるリアが消えたからだよ。せっかちな殿下はもう『リア・ソルネ』を自分の部屋に住まわせていたらしいから、突然リアがフレイヤに変わったら驚くだろうね」
なんだかそれはちょっと面白い。いや、面白いのかしら? 話だけ聞くとギャグに思えるけど、大変な騒ぎになることは間違いない。
「でも妬けるなあ」
ラーシュは腕を肩に回し、私のことをじっと見た。
「なにが?」
「中身がフレイヤだとはいえ、リアのファーストキスを殿下に奪われてるから」
ラーシュがこわごわと私に触れるから。私は目を閉じて、本当のファーストキスを待った。
「嫌なことは全部忘れていいんだよ。今回大変だったことは僕が全部覚えておいてあげるから。何も気に病まなくていいんだ、目を開けたらこれからの幸せだけ考えよう」
優しい言葉が私を包んで、優しいキスがそっと落とされた。
fin?
読んでいただきありがとうございます!
乙女ゲームのモブに転生したヒロインの連載もしていますのでよろしければどうぞ
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