04 悪役令嬢ファミリー
今夜もラーシュは私の部屋に来てくれた。
貴族の屋敷は防犯のために転移魔術が使えないようになっているから、自分の部屋から外に出て浮遊魔術で私の部屋までたどりつく。
ラーシュは学園について話をしてくれるだけでなく、小さな魔術を教えてくれるようになった。さすが魔術の成績一位! ラーシュは教え方もうまい。
「先生よりラーシュが教えてくれるほうがわかりやすいわ」
「僕から教わりたい奇特な人はリアだけだよ」
小さな灯りのなかで、ベッドのふちに腰掛けて二人で一つの魔術書を覗き込む。緊張する一日の中で唯一の穏やかな時間。
魔術書を指し示すラーシュを見ると、視線に気づいて柔らかく微笑んでくれる。
「どうかした?」
オニキスのような瞳に部屋の光が入り込んで揺れる。
「あと二週間もすればこの時間も終わっちゃうと思うとちょっと切なくなっちゃって。もう魔術が学べなくなるのは嫌だなあ」
「リア。僕も一緒に――」
「フレイヤ! 部屋にいるかしら?」
ラーシュの言葉をかき消したのはノックの音でキンキンとした声は夫人だ。
私は急いでラーシュの手を引っ張って、二人で布団に潜り込んだ。自分だけ上半身を起こして「いますよ。どうかしましたか?」と尋ねる。すぐに夫人は部屋に入ってきてベッドの前で足を止める。
「あらもう眠るところだったの?」
「ええ。どうかしましたか?」
「特に何か用があるわけではないんだけど、貴女がこの家から出ていくと思うと落ち着かなくて……」
「そうでしたか」
「まだ記憶は戻らないのかしら? こんな他人行儀の状態でお別れなんてあんまりだわ」
夫人はそういって涙をこぼし始めるけど、落ち着かないのは私だ。まだラーシュの手首を掴んでいたことに気づき慌てて離すけれど、そこにある温度は変わらない。
「ごめんなさい」
「貴女に謝らせてしまうなんて母親失格だわ。貴女を王都から出してしまう情けない母親でごめんなさい」
また夫人のヒロインモードが始まった。いつもは適当に相槌を打ってやり過ごすが、今日は一刻も早く出ていってほしい。
「申し訳ありません。今日は調子が優れず休みたいのですが」
「まあ! どうしたの、顔をよく見せて」
まずい、夫人が近づいてくる。彼女の足音に気付いたラーシュがさらに身を近づけてくるのがわかって私の心臓は跳ねた。
「だ、大丈夫です! 眠いだけなので!
……そうだ、明日は一緒にドレスをみませんか。そのためにも今日は休みます」
私の提案に、泣いていた夫人はくるりと表情を変えて少女のように微笑む。
「一緒に見てくれるのね? じゃあ楽しみにしているわね」
辺境地で着る用のドレスを新しく仕立てると連日夫人はうるさかった。辺境地できらびやかなドレスなど何の意味もなさないのに。
先程まで私を心配していたことが嘘のように夫人は機嫌よく部屋から出ていった。
「ラーシュ、もういいわよ」
小声で布団の中のラーシュに声を掛けると、真っ赤な顔をしたラーシュが這い出てきた。
「ごめん、苦しかったでしょ」
「そうだね。色んな意味で」
ラーシュは這い出ると私の隣にそのまま見下ろす。ラーシュといると安心するのに、こうして間近で見おろされるとどこか緊張してしまう。
何か話さなくてはと思うけど言葉が出てこず、無言で見つめ合う形になってしまった。
「……また明日も来るよ」
ラーシュの顔はまだ赤い。でもきっと私の顔だってそうだ。
こんな状況にならなければ、仲のいい頼れるクラスメイトのままだったかもしれない。
ラーシュがいなくなったベッドは寂しく思えた。
・・
翌日たくさんの生地に囲まれた夫人は上機嫌だった。
彼女がデザイナーに描かせた豪華なデザインは、確かに見目麗しいフレイヤ様にはよく似合う。だけどこれは王都で開かれる舞踏会で着るものだ。
「田舎で着るには少し豪華すぎませんか?」
「フレイヤの美しさに負けないドレスにしないと」
このドレスの費用だけで、五年は余裕で田舎暮らしができてしまいそうだ。
私の困っている様子を見て、デザイナーはシンプルなドレスを描いてくれる。それでも普段使いは全くできない物だけど、もしかしたら田舎でも貴族の集まりがあるかもしれない。そんな時には使えるかも、まあいらないけど。
だけど夫人はそのデザイン画を横目で見た途端、激昂しデザイナーから奪い取りビリビリに破り裂いた。
「あなた、二度と来なくていいわ!」
いつかラーシュに鋭い瞳を向けた時のように、デザイナーを睨んでいる。デザイナーは平謝りで申し訳ありませんと繰り返すから
「私がこのようなドレスを希望したのです!」とおさめようとするけれど
「あなたはこんな地味なドレスをフレイヤに着せると言うの!?」とデザイナーに叫んでいる。
「しかし私は王都から離れるわけですし……」
「どうして! どうしてフレイヤが辺境に向かわなくてはいけないの! あなたは王妃になるのよ! 王妃になるために生まれてきた私のかわいいフレイヤ」
ヒステリックヒロインモードが始まってしまい、泣き始めたらもうどうしようもならない。
デザイナーも茫然と夫人を見ている。困ったな……。
「わかりました。最初にお母様が提案して下さったドレスにしましょう。私、あれが気に入りましたから」
「本当!?」
涙を浮かべたまま夫人は笑顔になり、最初に描いてもらったデザイン画のお気に入りポイントを語り始めた。
「やっぱりフレイヤにはロイヤルブルーが似合うと思うのよ。花に見立てたスパンコールをもっとつけてもいいわね」
あまりの豹変ぶりにデザイナーは呆然としているけど、私と目が合うと気まずそうに笑顔を見せてくれる。「なんとかなったね」と目で通じ合っていると、玄関ホールからドガッと何かを蹴る音が聞こえた。
ああ、公爵が帰ってきた。しかも機嫌がだいぶ悪そうだ。足音はこちらに向かってくる。
「くそっ!」
予想通り、荒げた大声を出して公爵が部屋に入ってきた。散乱したデザイン画を見て彼は顔を真っ赤にして怒鳴り始める。
「なんのためのドレスを作るんだ! 誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ!」
何の罪もないのに当たり散らされる理不尽さをなんとか飲み込む。目の前で少女のように笑っていた夫人は、公爵が入ってきた途端に顔から表情をなくした。
聞こえないようにしていても男性の怒鳴り声というのは不快だ。
さっさとデザイナーを帰してあげて、私も理由をつけて自室に戻ろうと立ち上がったところで、公爵は私を睨みつけて言葉を吐き出した。
「殿下と、あの男爵令嬢との婚約が決まった」




