03 ヒロインになってしまう苦悩
それから数日が経った。私は屋敷内であれば出歩く許可も出て、フレイヤ・ブリンデルとしての日々を過ごしていた。
使用人の中には私の言動に違和感を感じる人もいたけど「まだ頭がぼんやりしていて……」で大抵のことはなんとかなる。
怒鳴り公爵は常に機嫌が悪くて使用人に当たり散らしているし、いつヒステリックを起こすかわからない夫人と毎日お茶をしなくてはならない生活は本当に息が詰まる。
ラーシュが毎日顔を見せに来てくれる時だけがほっと一息つける時間だった。
「リアの元にあまり来れなくてごめんね」
ラーシュは今夜もベランダから私の部屋を訪れていた。弟なのに堂々と部屋に入ってこれないのは、確実に夫人のせいだろう。
「ううん。毎日ありがとう」
ラーシュは毎日学園に通いフレイヤ様のことを報告してくれる。
でも報告よりもラーシュが顔を見せてくれることがありがたい。ただ一人私のことを「リア」と呼んでくれる人だから。
「今日も特に変わりなかったよ」
フレイヤ様はパーティー翌日からリアとして普通に元気に登校しているらしく、私の身体が無事だったことには安心した。
ラーシュが言うにはリアの姿をしたフレイヤ様は毎日王子の傍にいるそうだ。「助けていただいた殿下といると安心するのです」など甘えているみたい。
酷い虐めを受けていた少女は周りから見ると哀れに見えるらしいし、王子直々の断罪劇があったのだからこれからリアのことを虐める人は現れないだろう。
自分がしてきた虐めを材料にして、悲劇のヒロインを演じられるなんて心臓が強すぎないか? したたかにもほどがある。
「誰も中身が変わったことに気づいていないのね」
「……うん。でも婚約破棄の後だし。ショッキングな出来事が起きて大人しくなったと解釈してるんじゃないかな」
「ありがとう、気遣ってくれて。でも私に友人はいないから、わかっていたことよ」
想定していたことだ。でも、そうか。私だった『リア・ソルネ』は学園の中で本当にいなくなってしまうのだ。
王都の上級貴族が集まる学園に、一人特例で田舎から出てきた下級貴族。
大聖女候補は五名と決まっていて、その少ない椅子に身分の低い人間が座っているのだから、フレイヤ様でなくても面白くないし嫌われる。
実際私に聞こえるように暴言を吐いてくるのは、フレイヤ様とその取り巻きだけではなかった。
乙女ゲームのヒロインの現実なんてこんなもんだ、夢がない!
だけど強制的に入学させられた学園も。一年耐えてノーマルエンドを迎えることができれば実家に戻れる。国の大聖女で働き続けるのも嫌だけど、王都に住み続けるのも絶対に嫌だった。
穏やかに田舎で暮らしているだけでよかったのに国の都合で無理やり連れてこられて。妬みと蔑みで孤立させられて。最終的に処罰を受けるだなんて。今の状況はあんまり過ぎない? フレイヤ様に人の心はないのか。
「ラーシュだけだったのよ、友達は」
あとは無意識に『ヒロイン』に吸い寄せられてくる攻略対象だけだ。リア・ソルネを見てくれたのは、攻略対象でもないのに私を見下せずに親しくしてくれたのは、ずっとラーシュだけだ。だから今もラーシュだけが私を「リア」と呼んでくれる。
「僕も友達はリアだけだよ。……だから、本当はずっとここにいて欲しいよ」
ラーシュはいつも一人でいた。私といないときは一人魔術書を読んでいる。人と話すのが好きではない一匹狼だと思っていたけれど、そういえば。ブリンデル公爵家の長男でこんなに美男子だというのに、女生徒に囲まれるところを見たことがない。
「私の行先はそろそろ決まるのかしら」
「父が今日国王と面会しているみたいなんだ。明日何か話があるかもしれない。僕も明日は同席できるようにするよ」
・・
私の処遇が決まった。
ラーシュと予想していた通りの「ブリンデル家から除籍、婚約破棄に学園退学、大聖女候補から除外」だ。
「それから王都からの追放だ」公爵からそう告げられた時、夫人は泣き崩れた。私からすると気味が悪い人だけど彼女はフレイヤ様を愛しているんだろう。
私はブリンデル家が管理する辺境地で暮らすことになるそうだ。
ブリンデル家が所持している屋敷もあるし、その地にある小さな教会で聖女として仕事ももらえるらしい。大聖女でなければ激務でもないし、屋敷と仕事があれば何とでも生きていける。
私は安らかな気持ちでそれを受け入れた。
辺境地側での準備もあるし、まだフレイヤの記憶が戻っていないと医者が診断し(まあこれは戻ることはないんだけど)ひと月ほどブリンデル家で静養を続けることになった。
王都への心残りはないはずだった。
学園は忌まわしい思い出しかないし、不機嫌を撒き散らす公爵は見ているだけで気分は悪いし、いつ泣き出すかわからない夫人とのお茶は心臓に悪い。早く田舎に行ってのんびり自由に過ごしたい。
でも、ラーシュを残して去ることだけは胸を小さく傷ませる。
一刻も早くここを立ち去りたいと思っていないのに、ひと月の猶予が与えられたことを嬉しく思う自分がいた。




