02 悪役令嬢の弟は名無しのモブ
「僕です、ラーシュです。お姉様入ってもよろしいでしょうか」
「ラーシュ! どうぞ入って!」
処罰が通告がされるのかと思って身構えたけど、柔らかい声は私のよく知るラーシュの声だった。
「体調いかがですか?」
そっと部屋に入ってきて優しく問いかけてくれると、それだけで涙が出そうになる。知らない家で沙汰を待つだけのなか、見知った顔がいるだけでどれほどホッとするか。
ラーシュは美しい顔をしているけど、このゲームの攻略対象ではない。ゲームでは登場することもなく、フレイヤ様に弟がいるという情報すらなかった。二人は全く似ていないから言われなければ気付かないけれど。
だからこそ安心して仲良くできたクラスメイトでもある。
ノーマルエンドを迎えたい私にとって、攻略対象との会話はとても気を遣う。間違って好感度をあげれば大聖女として働かなくてはならない。ラーシュの好感度はエンディングに影響はないから気兼ねなく親しくすることが出来た。
「まだ頭も身体もぼんやりしていて」
私はそう言ってから曖昧に笑った。それくらいしか言う言葉も見つからなかったのだが、ラーシュはひどく真剣な顔をして尋ねた。
「ねえもしかして、君はフレイヤではなくリアなんじゃない?」
「どうして……」
そんな言葉が降ってくると思わなかった私はそう絞り出すのが精一杯だった。
「昨日のお父様への反応と、二人がパーティーで同時に倒れたことでまさかとは思っていたんだけど……笑い方で確信したよ。リアは困ったときはいつもそうやって笑うんだ」
ラーシュはそう言って笑いかけてくれる。彼の瞳にうつっている姿は間違いなくフレイヤの姿なのに……私を私だと気づいてもらえた。
「リア、泣かないで」
そう言われても無理だ。
今まで自分に言い聞かせるように、明るく色々考えていたけど。自分が自分でなくなったことへの恐怖がお腹の中にずっと燻っていたんだから。ラーシュが私のことをいつものように「リア」と呼んでくれる。それだけで涙がぽろぽろとこぼれ出た。
「そう、リアなの。私はリア・ソルネなの」
そう吐き出すと止まらなくなって。子どものように泣いてしまった私の背をラーシュが優しく撫でてくれた。その優しさが嬉しくて余計に泣けてしまったのだけど。
ラーシュは部屋の外に控えていた者に指示をして紅茶を用意してくれた。温かいお茶を飲み終える頃には落ち着いて涙も止まっていた。
「ごめんなさい。ずっと感情が忙しくて、自分でも驚くほど泣いてしまったわ」
「気にしないで。こんなことになれば誰でもそうなるよ」
ベッドのふちに座ってラーシュは気にすることなく言ってくれた。学園生活でも、ラーシュには何度も助けてもらった。そうそう、階段から突き落とされた時だってラーシュが咄嗟に防御魔術をかけてくれたんだ。
「それで、どうしてこうなったか心当たりはある?」
ようやく話せる状態になった私にラーシュは切り出した。
「ううん、全く」
「あのパーティーで一体何が起きたの?」
「……わからないの。あのパーティ会場で、突然目の前がぐるぐる回ったかと思ったらもうここにいたわ。一体何がどうなったのか私が知りたいくらい」
「あの時はリアがまず倒れて、その後すぐにお姉様が倒れた。リアのことは殿下が抱き上げて医務室に運んでいったよ。お姉様は弟の僕がひとまず連れ帰ってきた」
二人ほぼ同時に倒れた。その時に入れ替わりがあったと考えるのが自然だけど、逆に言えばそれしかわからない。
「それからすぐに我が家に婚約破棄の通達が届いて、父はカンカン。これ以上恥をさらさないようにすぐに退学の手続きを済ませた。その後にお姉様――リアだったけど――が目覚めて、そこからは知っての通り」
「これって入れ替わりの魔術なのかしら」
私の言葉にラーシュは難しい顔をして首をひねる。
「入れ替わったのは確かだろうけど、こんな魔術は普通は不可能だ。あったとしても禁忌魔術なのは間違いないだろうね」
魔術の成績が一番のラーシュでも思いつかない魔術のようだ。それもそうだ、こんな魔術が誰でも扱えたら大変なことになる。
「フレイヤ様がこんな魔術を……?」
「お姉様は聖女として素質はあるけど、こんな魔術どこで……そんな魔術が本当にあるのだとしたら悪魔と契約したとしか思えないね」
ラーシュは冗談めかしてそう言うが、本当に冗談のようなことが起きてしまっているのだ。
「つまり元の姿には戻れないってことね。入れ替わりに関しては手がかりはナシ」
私の言葉にラーシュは押し黙った。嘘がつけない彼の精一杯の優しさだとわかる。
「はあ、明日になれば元の姿に戻れたりしないかしら」
「そうなれば一番いいけどね。ひとまず記憶が曖昧なふりをしながらフレイヤとして過ごすしかないか」
最後に見たフレイヤ様の笑顔を思い出すと身体が冷える。あれは勝利を確信したそんな笑みだった。一生リアの身体には戻れない、そんな予感がこみ上げてくる。
「リアは自分の身体に戻りたい?」
「それはそうよ。このままだと何か罰が下るんでしょう。してもいないこと、なんなら被害者だったのに罰を受けるなんて嫌よ」
「それはそうだ」
「どんな処罰が待っているのかしら」
私が聞くと一瞬ラーシュは困った表情を浮かべたが正直に話してくれた。
「昨日の今日だからなんとも言えないけど。まずブリンデル家としての話。ほぼ確実にフレイヤはブリンデル家から除籍される」
「父親の立場を守るために?」
「うん。殿下との結婚と同時期に父の宰相就任は内定していた。
でも今回の件で難しくなるだろうね。王の後ろ盾もなくなるし、政敵からすれば今回のスキャンダルは突きやすいネタさ。
娘を除籍して関係ないと言い切りたいだろうから除籍はほぼ確定だ」
フレイヤ様自身は罪を逃れたというのに、父親は失脚するのか。昨日の中年男に同情が湧く。
公爵は哀れだと思うけど、私自身はブリンデル家に愛着などないから除籍されることに関しては特に問題はない。
「問題は国からの罰よね……処刑されたりしないかしら!?」
悪役令嬢に転生した人間が一番恐れることナンバーワン、処刑。
ヒロインに転生して真面目に生きていたというのに死を突きつけられるなんてあんまりだ。
「ねえ処刑されたりしない?」
「あはは、大丈夫だと思うよ」
きっと私は必死な顔で迫っていたのだろう。ラーシュが笑い飛ばしてくれるから少し胸につかえた重りが取れる。
「リアが殿下に進言してたじゃないか、そこまでひどい虐めはされていないと」
「そうだわ!」
王子から虐めについて聞き取りがあった時もあまり大げさに語らないようにしていた。階段から突き落とされたことは黙っていたし、罰もそこまで与えなくていい、ただ虐めをやめてくれるだけでいいと言ったのだ。
王妃としては失格だから婚約破棄にはなっても、言葉責めと器物破損くらいなら処刑にはならないだろう。
過去の私、本当にありがとう! あそこでフレイヤ様の罪をモリモリにしていたら、今大泣きしてるところだった。
「リアの優しさがリアを救ったね」
「こればっかりは自分に感謝よ!」
私に聖母の心があるからではなく、あまり目立ちたくない保身でしかなかったけど自分を救うことになった。まあ結局婚約破棄で目立つことにはなったけど。
「ブリンデル家から除籍、婚約破棄に学園退学、大聖女候補から外れる。それだけで十分な罰だと思うよ」
「そう、そうよね!」
「フレイヤは両親にとても愛されている。父も昨日は気が動転していたけど落ち着いてきたし、王都から出る事になってもブリンデル家の領地で過ごさせてもらえるんじゃないかな」
「本当に? それならありがたいわ! 私、王都での生活って実は合わないし」
学園退学、大聖女候補から外れることは元々狙っていたことでもある。
すべてがフレイヤ様の思い通りになって、彼女がするりと幸せになるのはちょっと癪だけど。私側の条件はわりと良いんじゃないかしら?
もう王子や攻略対象の好感度を気にしなくてもいい。
自分の両親だけが気がかりではあるけど、落ち着いたら一度会いに行けばいい。きっと話せば、姿が違ってもリアだと気づいてもらえるはずだ。
「落ち着いてきたみたいだね」
「ありがとう、ラーシュ。さっきまで本当に絶望していたのよ」
「僕はフレイヤ――見た目はリア――ってややこしいな。とにかく彼女の様子も確認してみるよ」
本当にフレイヤ様の弟がラーシュで良かった! 頼りになりすぎる!
「フレイヤ、入ってもいいかしら。貴方の好きなお菓子を買ってきたのよ」
ノックの音と女性の声が聞こえる。この声は多分フレイヤ母だ。
「しまった」とラーシュの口から言葉が漏れたと同時に、何度か顔を合わせた中年女性が入ってきた。
優しい笑みを浮かべた夫人は、私たちに目を向けると表情をガラリと変えて
「ここで何やっているの!」とヒステリックに叫んだ。
……え? なに? もしかして私の見た目がリアに戻った? と思ったけど、夫人はラーシュに鋭い視線と言葉を投げているようみたいだ。
「学園の話を伝えていただけですよ」
ラーシュは落ち着いた口調で言うと、ベッドから立ち上がる。
「出ていきなさい! フレイヤの部屋には入るなと言っているでしょう、穢らわしい!」
夫人の豹変ぶりに、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
ラーシュは私にだけ見えるように「ごめん」と口を動かすと「失礼しました」と部屋から出ていってしまった。
「貴女の好きなお店のレモンパイを買ってきたのよ」
夫人は今の出来事がなかったかのように柔らかい雰囲気に戻り、少女のようにじゃーん! と紙袋を見せて微笑んだ。
うまく反応できずにいると「記憶があやふやなのよね。レモンパイのことも覚えていないかしら? そうだ! きっと食べたら思い出すわ。お茶を入れさせるわね」
得体のしれない夫人とのティータイムなんて恐怖しかないけれど断って叱られるのも怖い。私は仕方なくお茶に付き合うことにした。まだしゃっきりしない頭と身体のなか、レモンパイのザクザクした食感はやけに気持ち悪く感じる。
ああ、もう早く王都から追放してほしいわ!