あの子もきっと心細いでしょうから
しばらくの間、この場を静寂が支配しておりました。モゾモゾと交信していらっしゃったポヨがようやくこちらに向き直ります。
「待たせたポヨね。話を掻い摘んでまとめるポヨ。……ポヨしょっと」
私の肩からガラス窓の縁へと降り立ちなさいました。柔らかく弾むように着地なさいます。
「お願いいたしますの」
私の言葉に、彼はコクリと頷きを返してくださいます。
「……あれから、茜は一度として目覚めていないそうポヨ。脳波的にはいつ目覚めてもおかしくないらしいのポヨが、何か別の要因があるのか……現在調査中だそうポヨ。
魔法少女は思いの力を原動力に変換しているポヨ。これは生命力の方にもある程度影響を与える行為ポヨ。もしかしたら茜は――もう、戦いたくないのかも知れんポヨ」
「なっ……アナタ、それって茜さんが現実から逃げていると、そう仰りたいんですの?」
まさか茜さんに限ってそんなこと……! だって誰よりも平和を願っていた方なんですよ!? カボチャ怪人を撃破して一番嬉しかったのは彼女のはずなのです。
それに奴を倒した直後に気を失われているのですから、搬送後のフルーツ怪人の来襲だって知るわけがありません。
彼女の中では平穏を勝ち得たところで止まっているはずです。だというのに、戦いたくないから目を覚まさないだなんて、そんな理由信じられるわけがありませんの……!
「まぁそうカッカするなポヨ。今のはあくまで本部の推察の一つだポヨ。本当に精神によるものなのか、もしかしたら目に見えないところで人体に不調があるのか……こうなってしまった原因が分からない以上、少しずつでも仮説を虱潰しして解明していく他ないのポヨ」
やれやれと体を振って、こちらを落ち着かせるような口調でポヨが続けます。
「幸いここは先進医療の宝庫ポヨ。今は見ての通り現状維持できているポヨから心配は要らないポヨ。
……が、しかし、これ以上状況が暗転してしまった際にどうなるかは誰にも分からんのポヨ。一応頭の片隅では最悪の事態も覚悟しておくように、と本部からの通達ポヨ」
「そんな……」
ガラス越しに横たわる彼女を見つめながら、思わず唇の端を噛んでしまいます。やり切れない思いをどこにもぶつけられそうにありません。
彼女の表情を見る限り、決して穏やかとは言えませんが、そこまで苦悩に歪んだ顔にも見えないのです。きっと気力側ではなくて体力側の問題ですの。溜まっていた疲労がついに暴発してしまっただけですの。絶対そうに違いありませんのっ!
……しかし、私が地団駄を踏んだところで事態は何も変わりません。そんなことは重々に承知しておりますの。けれど、目の前に居るのに何もしてあげられないこのもどかしさが、どうしようもなく私の胸を締め上げるのです。
今は彼女の姿があまりに遠く……霞んでみえてしまいます。今はもう、せめてもと側に駆け寄って、頭を撫でて差し上げることも叶いませんの……?
ただ機械の一部のように胸の上下を繰り返す彼女を見ては、やるせない気持ちが私を支配してしまいます。
「……美麗。凹んでいるところ申し訳ないポヨが、あんまり落ち込んでいる暇はないポヨよ。新手の敵についてポヨ。本部曰く、やはりこれ以上の増援は寄越せないらしいのポヨ。どこの地域も手一杯で、戦える人員が全く足りていないのが現状ポヨ。
頼れるのはお前だけポヨ。ポヨも力を貸してやるから、なんとかこの危機的状況を乗り越えるポヨ。それが何よりの茜の為でもあるのポヨ」
「……もちろん、そんなの分かっておりますの」
彼女と二人で安心できる未来を手に入れるには、今を乗り越えるしかありません。全部私の手でカタを付けて、本当の意味で平和を取り戻して差し上げてから、ゆっくりと安全に茜さんに目を覚ましていただけばよろしいのです。
最新医療の揃っているここなら安心して預けられますわ。背中を気にする必要はありませんもの。仮に何かあってもすぐに駆けつけられる距離ですし、今は我が家のメイドさんにもご協力いただける状況なのです。
ごくり、と決意の唾を飲み込みます。
「それともう一つ。相棒のプニはここに残っていてもいいらしいのポヨが……どうするポヨか?
専属の変身装置として、眠っているあの子の潜在意識に外側から働きかけられるかもしれんのポヨ」
「本部がそんなことを? こっちに直接言ってくれればいいものをプニ……」
プニが肩の上で体を傾げていらっしゃいます。
「まぁ上手くいくかはこの際別にしても、色々と試してみるメリットはありそうポヨね」
「私からもお願いいたしますの。側に居て差し上げてくださいまし。アナタが近くに居てくださるなら私も安心できますの。それにほら……こんな空間にお独りでは、あの子もきっと心細いでしょうから」
怪人たちと戦っていたときと同じように、アナタのお力を茜さんにも分けてあげてくださいまし。元より適合率の高いアナタ方なら変身前でも上手くいくと思いますの。眠っているあの子に、私たちの思いを届けて欲しいんですの。
「……そうプニね。了解プニ。ここはプニに任せろプニ。何かあれば連絡するプニから朗報を待つプニよ」
「ありがとうございますの」
なんだかんだ言って、いつも私たちの味方でいてくださるアナタのことです。頼りにしておりますの。何かがあってもなくても、気軽にご報告くださいまし。
お互いに頷き合います。
「……それじゃ、美麗は名残惜しいだろうポヨが、今日はここらでお暇するポヨよ」
「……ええ、分かりましたわ。茜さんも私たちにずっと寝顔を見られていてはお休みになられないでしょうし。それに、下にメイドさんもお待たせしていることですの」
「うむポヨ」
ポヨを回収して肩に乗せ、代わりにプニを縁に降ろして差し上げます。
横たわったままの茜さんを一見、透明なガラス窓を指で触れ撫でます。冷たくて固い感触だけが指先に返ってきました。
「……茜さん。また来ますの。早く目を覚ましてくださいまし」
また屈託のない笑顔を見せてくれることを信じて。彼女が安心して起き上がれる日を取り戻すために。私は一足先に日常へと戻りますの。
後ろ髪引かれながらも踵を返し、先ほどのエレベーターの場所まで戻ります。
ゆっくりと扉開閉のボタンを押しました。階移動はしていなかったのか、すぐさま扉が開かれます。中に乗り込みますと自動的に扉が閉まりまして、そのまま下へと降りていきました。
地上に到着した際も近くには誰も居らっしゃいませんでした。誰ともすれ違うことなくまた来た道を辿って病院の出口へと向かいます。
裏口の無機質な扉の前までやってきました。軽くノックをいたしますと、外側から警備員の方が開けてくださいます。
「どうか、茜さんをよろしくお願いいたしますの」
警備のお二人に一礼し、私は小走り気味に自家用車へと戻りました。