無垢
車に乗り込みますと、すぐにメイドさんが発進してくださいました。住宅街の隙間を縫うようにして、法定速度ギリギリのスピードで器用に車を走らせていらっしゃいます。ただでさえ曲がり角をを通しにくい車体だといいますのに、絶えず絶妙な車間感覚を維持しておりますの。慣れた手付きに惚れ惚れいたしますわね。
つらつらと流れゆく窓の外を眺めておりますと、街並みが徐々に変わっていくのが手に取るように分かります。もちろん見慣れない景色に切り替わるから、というのもあるかもしれませんが、なんかこう……段々と温かみが薄れていくといいますか、どこか無機質で冷たい灰色の建物ばかりが増えていくように感じるのです。
灰色と申してみたものの、目に映るのは決して高層ビル街のような都会的な風景ではございません。けれど私の住む町よりはだいぶ高めの建物も多く、スーツ姿で外を出歩く大人の姿も少なくありません。おそらくは住んでいらっしゅる人の層自体が違うのでしょう。
「お嬢様、あちらの建物でございます」
運転するメイドさんの声に、私は正面に向き直ります。フロントガラスの左上部分、小高い丘の上にポツンと一軒白い外観の建物がございました。深い木々に埋もれながらも、壁面に赤十字のマークがしっかりと強調されております。あれが大学附属病院ですのね。
囲む森の緑、聳え立つ建物の白、掲げるマークの赤、とここだけは辺りの風景からだいぶ浮いてしまっております。いかにも後から作られたというような、環境に馴染む気概さえ見えてきません。
「こんな近くに、連合関連の施設があったんプニね。プニらも初めて知ったプニ」
「ちなみにその本部から、来着の際は裏口の警備員らにその旨を伝えよ、とのお達しがあったポヨ」
「なるほど、かしこまりました」
いくつかの交通信号を通過していき、少しずつ小高い丘までの距離を縮めていきました。大学附属病院へはこちら、という道案内の書かれた看板も増えてきましたの。さすがこの町周辺の医療を一挙に担っているだけはありますのね。
程よく整備された登り坂を過ぎますと、施設の正面玄関に到着いたしました。いざ実際に近付いてみるとかなりの威厳と大きさを感じさせます。いかにも最新鋭の設備が揃っていそうな雰囲気で、円柱状の自動ドアがそんなハイテクさを更に助長しておりますの。
ですが今回の目的地はこちらではありません。来客用の駐車場を通り過ぎ、そのまま大きく迂回するようにして建物の裏側へと回り込みます。
えっと、裏口……裏口……ああ、きっとアレのことですわね。人一人分の小さめなドアの前に、屈強な警備員が二人ほど立っていらっしゃいます。いかにも装備ガッチリなボディーガードですの。ただの病院にしてはやけに警備が厳重ですわね。連合本部のいう裏口というのはこの場所で間違いないでしょう。
近くの少し開けた場所には内部のお医者様や関係スタッフのモノと見受けられる乗用車が何台か停まっておりました。私たちのリムジンもその空いているスペースをお借りいたします。
一足先に車から降りまして、裏口のドアへと駆け寄ります。
「私、蒼井美麗と申しますの。小暮茜さんの面会にやってまいりました。ご案内いただけまして?」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
「ありがとうございますの」
ぺこりと一礼し、後ろで待つメイドさんを手招きいたします。
しかし、もう片方の警備員に遮られてしまいました。
「申し訳ありませんが、同伴者の方の入場は許可されておりません」
「この方は私の付き人ですの」
「ですが、決まりですので」
んむう、融通が効かないお人ですのね。いいじゃありませんのお一人増えるくらい。決まりだか手毬だか何だか知りませんが、握っている情報だって私とあんまり大差はないはずです。機密保持の為だとは思いますが、私なんかよりもずっとお口の固い人ですの!
抗議の目を向けてみましたがテコでも動きそうにありません。プニポヨにも目線を移してみましたが、こちらも申し訳なさそうに体を左右に振るだけです。
「お嬢様。私はここで待機しておりますから、お気になさらず行ってきてくださいませ」
「すみませんの……。なるべくすぐに戻りますから」
深々と一礼し、もう一度扉側に向き直ります。警備員が片手を上げると、一人でに扉側に開きました。前を歩く彼の後ろに続きます。
殺風景な廊下を抜けますと、少し開けた場所に出ました。こちらはエレベーターホールでしょうか。何台か設置されているようですが、特に中央のモノが厳重に整備されております。ボタン部分には大きく〝関係者以外利用禁止〟の示し書きが付いておりますの。いかにも万人遣いはされていなさそうな雰囲気です。
もしかしてこれに乗るのでしょうか。そう思ったのも束の間、予想した通り警備員がボタンを押して扉を開きます。
「我々はここまでしか入れません。最上階に到着しましたら奥へお進みください。そうしましたや肩の装置に連絡が入るかと思われますので、その指示に従ってください」
「わ、分かりましたわ」
促されるままにエレベーターに乗り込みました。扉が閉まる前、深々と頭を下げる警備員の姿が目に映ります。
どれだけ厳重体制でVIP待遇なんですの……と思ってしまいましたが、自分が財閥のお嬢様であることを忘れておりました。実家に帰ればこれ以上の待遇が待っておりますもの。そういえば、お父様を始め、家の者は元気にしていらっしゃいますでしょうか。
音も鳴らない高性能な宙吊りの箱の中で微かな重力を身に受けながら、私は物思いに耽ります。
そうこう考えているうちに、エレベーターが停止いたしました。階層表示がどこにもないので正しく到着したかは分かりかねますが、おそらくは目的の最上階に着いたはずですの。
両開きの扉が開き、外側の風景が一気に私の視野に映り込みます。
眼前に広がっているのは白を基調とした空間です。床も壁も天井でさえも、まるで色という汚れを嫌ったかのような無垢さを感じさせます。
唯一、壁側に畳一畳分くらいのガラス窓が設置されておりました。その先に映っているのが――
「茜さん!?」
口に呼吸器を装着され、規則正しく胸の上下を繰り返す、茜さんのお姿でした。ウグイス色の病衣を身に纏い、力無くベッドに横たわっていらっしゃいます。
よく見てみれば袖口や胸元には何本かのケーブルが伸びております。それが近くの機器に繋がれているのです。ベッドの傍に設置されたモニターには規則正しい波形と心拍数のような数字とが交互に映し出されております。耳をすませばガラスの向こう側から微かな電子音が聞こえてきますの。
最悪な事態にはなっていないようでホッと一安心いたしましたが、眺めていても彼女は微動だになさいません。やはりあれから意識はお戻りになられていないのでしょうか……。
こんなに目の前にいらっしゃるのに、何故だか茜さんがとても遠くに感じてしまいます。ガラス窓の他に、意識という壁さえもが私たちの間に隔ってしまっているような、そんな孤独さを感じさせますの。
「ポ、ポヨ!?」
「えっと、本部からの連絡ですの?」
肩に乗るポヨが震え出しました。時折ふむふむと頷いていらっしゃいます。
「そうポヨ、ちょっと待つポヨね……」
伝令というのが電話のような同時双通行なのか、メールや手紙のような一方通行なモノなのか、それは私には分かりません。
今はただ、静かに彼を見守るだけですの。