自分自身への嫌悪
しばらくして、メイドさんがお立ち上がりになりました。
「少々席を外します。小暮様の親御様にも状況をお伝えせねばなりませんし、この後の準備をしなければいけませんから」
「色々苦労をおかけいたしますの。よろしくお願いいたしますわ」
綺麗な一礼と共に客間をご退室なさいます。静かにドアを閉じられまして、私と茜さんの二人きりにしてくださいました。
彼女の退室を見計らって、プニとポヨが布団の片隅に姿を表します。それぞれ私の両膝の上に乗って、心配そうな面持ちで茜さんの顔を覗き込んでいらっしゃいます。
彼女を気遣う心は皆同じですの。
額や首筋を伝う汗を拭って差し上げながら、ただただ一刻も早い回復を祈るばかりです。1分が10分にも20分にも感じられます。まるで不安と焦燥によって私の体内時計が狂ってしまったかのようです。
そんな心苦しい最中のことでした。
「……美麗。プニは今から独り言を言うプニ。決してお前に話しかけてるわけではないから、絶対に気にするなプニ」
私に背を向け、茜さんのことをじっと見つめたまま、赤色のプニがボソリと小さく呟きました。
「なんですのこんなときに」
「いいから黙るプニ」
やけに語勢の強い制し方でした。その気迫に押され、言おうとしていた抗議の言葉も喉の奥に引っ込んでしまいます。
「……これは、茜からは内緒にしろと言われていたことプニ」
「……?」
独り言と仰るからにはお返事はしない方がよろしいのでしょう。本来ならば語られることもなかった話なのかもしれません。どうせなら聞いておきたいですの。どうぞお話お続けくださいまし。
「実は、怪人たちが襲って来ているのは、何も日中や夕方だけの話ではないプニ。美麗がぐうすかスヤスヤ夢の中に居る時だって、奴らは幾度となくこの町を襲撃しに来ていたのプニ」
「そんな、私聞いてませんわ!?」
だって、魔法少女になってから今日この日に至るまで、怪人の反応は朝か昼か、遅くたって夕方までにしか知らされたことはございませんでした。
思わず拳を握り締めてしまいます。
「……夜の間は知らせるなって、茜から口止めされていたのポヨ」
「んなっ!?」
酷く後ろめたそうにポヨが呟きました。
ようやくプニが振り返ってくださいます。熱意に篭った目には、もっと近くで喋りたそうな、そんな力強い意気のようなものを感じさせました。彼の体を両手で掬い上げて顔の前まで持っていきます。
見つめ合い数秒後、一言一言を噛み締めるかのように、プニはゆっくりと語り出しなさいました。
「これは茜の台詞プニ。〝私は授業中に居眠りしたって只の笑い話で済んじゃうけど、きっと美麗ちゃんはそうもいかないよね。優等生さんだし、生粋のお嬢様だし。お家に帰るまで、ううん、お家に帰ってからも、眠る時間を削ってまで沢山お勉強頑張ってるんだよ。
こんな生活に巻き込んじゃったのは、多分私の責任だと思うの。だからさ、夜くらいは、美麗ちゃんにしっかり眠ってもらいたいなって〟……事ある毎にそう釘を刺してきたプニ」
何度も聞いてきたことを象徴するかのように、スラスラと正確に、その言葉を紡がれました。
「それじゃ茜さんは……!?」
「こんな状況だから正直に話すプニ。ここ最近は昼も夜も、美麗に内緒でずっとずっと撃退に明け暮れる毎日だったのプニ。倒れてしまったのも、言ってしまえば必然の結果なんプニ」
「……っ!」
その身を削ってまで、私のためにご無理をなさっていたなんて。それだというのにこの私は、こんなことになるまで一切気が付かず、ただ能天気に物思いに耽っていただけと。何も知らされず、ただ悠々とこの日々に不満をぶち撒けていただなんて。
もはや恥ずかしさを通り越して、自分自身に対して怒りや苛立ちが湧いてきてしまいます。
「……茜さん。どうして、そうなる前に仰ってくださらなかったんですの」
「当の本人は全く気付いてないプニが……ホントに不器用な奴プニからね。弱みも痛みも何もかも、全部そのまま抱え込んでしまう子プニ」
「ええ。私もよく存じておりますの。繊細で、真っ直ぐで、少しも引くことを知らない……ただの一人の女の子ですわ」
苦しそうに顔をしかめる彼女の、汗で貼り付く前髪を優しくたくし上げて差し上げます。梳き上げた手でそのまま頭も撫でてあげますの。ごめんなさいね。今の私にはこうして貴女の側にいてお支えすることくらいしかできませんから。
「ポヨヨっ……!?」
「…………来ましたのね」
突然、膝の上のポヨがピクリと震え出しました。いつも近くで見ていたから分かります。いつもの合図です。
「……こんなときに申し訳ないポヨが、たった今、怪人の反応を感じ取ったポヨ。そう遠くない場所からポヨ」
時も場所も考えない、本当に不愉快で鬱陶しくて忌々しい怪人の方々が、茜さんをこんな風にした何よりの元凶が、またこの街に訪れたのですね。
申し訳なさそうにポヨがこちらに視線を向けてきます。
「……言われなくとも行きますわ。プニ、少しの間茜さんを頼みますの。すぐに片付けて戻って参ります。何かあったらお知らせくださいまし」
「……任せろプニ」
ポヨを肩に乗せ、静かに立ち上がります。ドアをくぐったところで、正面にいらしたメイドさんと目が合いました。
察しの良い貴女なら分かってくださるはずです。こんな状況で私が退室する理由など一つしかございません。
メイドさんは私の肩に乗るポヨを見つめ、一瞬動揺したかのような素振りを見せましたが、特に何かを仰るようなことはございません。私の行動の意図を察してくださったのか、道を開けて小さくお辞儀を向けてくださいます。
「ご武運を。どうかお気を付けて。小暮様のことはこの私めにお任せくださいませ」
「……すみませんの」
横を通り過ぎ、振り返ることもなく、ただただ靴を履いて我が家を後にします。
今やこの身を動かすのは正義感や使命感ではございません。もはや悪人方にお灸を据えるとか懲らしめるとか、そういうレベルのお話ではないのです。
自分自身への嫌悪と、怪人への憎悪。それぞれ同時に沸き立って、今にもおかしくなってしまいそうですの。怪人に八つ当たりしきれないもどかしさがこの胸の内を更に狂わせますの。
「……場所はどこですの?」
「廃工場の辺りからポヨ」
「まったく。いつもながら芸がありませんわね」
変身するのは後です。こんな不安定な心持ちでは適合率も落ちてしまうでしょう。体を動かせば少しは頭もスッキリしてくれるはずですの。
深く考えることを止め、私はただただ現場に向かって走り出しました。