ずっとですの
お父様のお顔、最近目にした中では一番に優しげなご表情になっていらっしゃいます。
厳格な父でも仕事人でも研究者でもない、亡き妻を愛する、一人の夫のお顔ですの。
ふと気が付けば、ちょっとだけ目元の小皺が目立つようになっておりました。
……月日が経つのはホントに早いものですわね。
それもそのはず、私がひだまり町にお邪魔するようになってから五年もの月日が経っているのです。
それはお父様だって老けてしまいますわよね。
ただでさえ常人には考えも及ばないほどの沢山の気苦労をお抱えなさっているんですもの。
まして娘が敵対組織へと亡命して、毎夜ソッチのほうにヨロシク励んでいるだなんて耳にしてしまえばそれはもう……眉間と額のシワが増えるのも仕方がないですの。
実際のところ、娘を実家に戻そうと思う気持ちも分からないでもないのです。
私は誰よりもワガママではありますけれども。
それと同じく、歳相応の分別は付いているつもりです。
キチンと善し悪しを分かってしまっているからこそ。
尚更にタチが悪いはずなのでございます。
ちなみに直す気も変える気もサラサラありません。
あくまで私は今のままを貫かせていただきます。
「ホント、一寸先は闇の世界でしたわね。またの名を事実は小説より奇なりってヤツですの。
まさかお母様のたった一人の忘れ形見がいざ魔法少女になって、その後に魔法少女を辞めて、挙げ句の果てには気のゆくまま足のむくままに過ごしているだなんて。
……気苦労のほど、娘の身ながら心中お察しいたしますの」
「…………まったくだよ」
ふぅむ。苦笑を浮かべていただけるだけ、私のことをお認めていただけていると思ってもよろしいでしょうか。
勝手にそうさせていただきますの。
「……監督不行き届きと責められるほど、私は誠意に基づいた人間ではありませんの。
……それでも。もう少しくらい構っていただけていたら、私も素直な子に育てていたのかもしれませんわね」
今更に理想論を語るつもりはありませんが、それこそ一分一秒片時も離れられないほどに溺愛してくださっていれば、私だって家を出ることも魔法少女になることも悪の秘密結社のお世話になることもなかったと思いますの。
もしかしたら世の中の面白さを全く知らずに、井の中を本当に世界の果てと認識していたのかもしれません。
ふふっ。でも、そんな狭っ苦しい人生なんて。
きっとつまらなかったと思います。
味付けを忘れたトコロテンよりも無味無臭に違いないんですの。
「私、ずっとずっと、寂しかったのです。温もりが欲しかったのです。お父様もきっとそうだったのだと思わせてくださいまし」
「…………好きにしろ。俺も、お前の母さんから託されていたはずだったのにな。いつから――」
「――おおっと。勝手に話題を振っておきながら、それ以上は懺悔はストップですのっ」
「……ほう?」
別に私は貴方一人に責任を押し付けたいわけではありません。お父様独りのせいにしたいわけでもありませんのっ。
というより誰が悪かったとかそういうお話をしたいわけではないのです。
今はただふんわりと過去を振り返って、憂いて嘆いて、そして前を向いて現在を見つめ直して、より気軽で身軽な未来を歩むために蠱毒も溜め息も全て綺麗に吐ききってしまおうではございませんか、と。
今からの私たちに重っ苦しい空気は要りませんの。
未練も後悔も過去に置いてきた、と。
それでいいではございませんか。
「過ぎたことは仕方がないとか、これからイチから積み上げ直していけばいいとか、そういうテキトーな慰み文句で片付けるつもりもありませんのっ。
大いにぶっちゃけますと私ぃ、お父様がどんなに厳格に躾けていたとしても、いずれはきっと全てを放り投げていた気がするのでございます」
私、そこまで優れた人間ではないんですもの。
あえて意気揚々と続けさせていただきます。
本質的にワガママなんですもの。
拘束も責務もぜぇんぶ知らんぷりしてポイしていたはずですの。
責任感がなかったからこそ、魔法少女を辞めてしまったのです。
もしも私が蒼井家の正式な跡取り娘として扱っていただけていたとしても、きっとのしかかる重圧に耐えきれずにダメになっていたと思いますの。
遅かれ早かれ、結局は今の私にたどり着いていると思うのです。
これは私と貴方、両方の過ちですの。
贖罪の要らない、真綿のような罪ですの。
「だから。あまりご自分を責め過ぎないでくださいまし」
己の選択に後悔などはしておりませんから。
齢二十歳かその前後かという若輩者ではございますが、こう見えて私だって辛い経験も苦い思いでも沢山味わってきましたの。
それら全てが自らを形作る糧になっているのです。
どんな些細なことであっても忘れたりはいたしません。
それにほら、限りなく人の是の道から外れていようとも、私は今、とっても幸せなのですから。
それ以外に何を望めばよろしいんでして?
己の気の済むように自由に生きられておりますし、毎日のように全身に愛を受けて、そして愛を振りまいて過ごせているんですもの。
今更、他に何が必要なんでして?
……もちろん、親からの愛情だって。
今こうして再確認できたから充分ですの。
むしろこんなお父様の小っぽけな背中を見て付けられてしまっては、否応無しにヒシヒシと感じられ過ぎてしまいましてよ。
きっと私が素直じゃないのは貴方譲りなんですの。
一番にお父様に似てしまった部分だと思われます。
お父様はお母様をどこまでも愛していて。
そしてまた、お母様の遺した私も、同様に愛してくださっていて。
お母様がいない寂しさにずっと震え続けて、つい意固地になってしまっていただけで。
残念ながら私はお母様の代わりにはなれません。
他の誰にでも真似出来るようなモノでもないのでしょう。
少しずつ時間が解消してくださるのかもしれませんし、案外ずっとこのままなのかもしれませんし。
私もお父様も、失った〝時間〟を見つめながら、それでも前を見ながら生きていくしかないのです。
ああ。人生ってとっても辛くて理不尽で。
けれどもちっとも、退屈いたしませんわよね。
私、最近になってようやく知ってしまいましたの。
「…………そう、かもしれんな。美麗」
「ふふっ。やっと私の名前を呼んでくださいましたわね。ずっと待っていたんですよ? 数年もの間、ずっと……ずっと、ずっとですの」
「………………ああ」
何故でしょうか。少しだけ、ふっと。
心が軽くなったような気がいたしました。