蛇に睨まれた蛙、変態に睨まれたか弱き乙女
私の真後ろに、カボチャ頭の大男が立っていたのです。
「……ッ!」
咄嗟のことに後退りしてしまいます。
「おや……気付かれてしまいましたか」
2メートル近い背丈に妙にスリムで猫背な立ち姿、おまけに黒いマントを羽織っていて何とも不気味な雰囲気を醸しております。
ハロウィンにしてはあまりに時期尚早ですし、コスチュームプレイだとしても何故こんな場所で、いったい何の為に?
色々理由は考えられますが、一般人というよりはむしろ、変質者寄りの方であることは間違いはないでしょう。
と言いますか、そもそもいつから背後に居らっしゃったのでしょうか。ここは人通りの少ない裏道です。すれ違った人の姿くらいは覚えておりますし、このような奇抜な格好の人ならまず見落とすはずもございません。
ということはもしや、初めの脇道に逸れた辺りからずっと後をつけられて……?
想像しただけで身震いしてしまいます。
「……おや。お嬢さん。
こんな薄暗い小道を一人で歩いていらしては危ないですよ……ヒヒヒヒ」
薄気味悪いくぐもった笑い声がカボチャ頭の中から聞こえます。
「そっ、それは貴方のような方が居らっしゃるからですの……!?」
「それは、どうでしょうねぇ……?」
はぐらかすような身振り手振りをしながら嘲笑います。この人絶対に確信犯ですの。ストーカー被害だけに止まらずそのまま誘拐される可能性だって否定できません。
しのごの言っている暇は無さそうですわね。まさかメイドさんが入れてくださった防犯ブザーを本当に使う日が来るとは……。
幸いなことに頭は冷静でいてくれますが、反対に体の方は震えてうまく動いてくれません。それでも必死に鞄の前ポケットに手を伸ばします。
ああもう、こんな時に限って色んなものが入りすぎていてどれがどれだか分かりませんの!
防犯ブザーは全体的に丸みを帯びていて、引っ張る用のストラップが付いていたはずです。
えっと、えっと……ありましたわ!
取り出して目の前に突き出します。
「それ以上変なこと言ったら、コレ鳴らしますからね!」
空いているもう片方の手でストラップを握ります。抜いてしまえばブザーが鳴るはずです。
「……おやおや。人を呼ばれてしまっては少々面倒ですからねぇ。そんな物騒なモノは、没収させていただきましょう」
パチッと指を鳴らしました。すると。
「ふぇっ……あっ……?」
手に持っていたブザーの感触がすんと無くなったのです。つい今の今までこの手でしかと握っていたはずなのに。まるで最初から空を持っていたかのように、目前から忽然と姿を消しました。いったいどこへ……?
「フヒヒヒ……これぞトリックオアトリート」
不気味に笑う彼の手を見てみれば、そこには先ほどまで私が持っていたはずの防犯ブザーがありました。
指を鳴らしたその一瞬の間に私からこっそり奪い取ったとでもいうんでしょうか。状況を見る限りそうとしか言えませんが、とても人間技には思えません。
「ど、どんな手品を使ったか知りませんが、返してくださいまし!
っていうかトリックオアトリートって、あなたのそれホントにハロウィンモチーフなんですの!? こんな晩春の時節に!?」
「チッチッチッ。それは、言わないお約束です。そしてお気を付けください。次にそんな無粋なことを言ったら……こうなってしまいますよ」
バキッバキャッ
「ひっ……」
機械が砕けるような音が聞こえました。見てみれば、その手に握られていた防犯ブザーがまるで生卵を潰すかのようにいとも容易く握り潰されてしまっていたのです。
カボチャ男の手の平から粉々になったプラスチックや金属の破片がパラパラと溢れ落ちます。
あれだけ派手に破壊したというのに、尖った破片でケガをした様子もなく、ただ平然としていらっしゃいます。
正直、背筋に冷たいものが走りました。
あんな恐ろしいほどの握力で腕なんかを握られてはたちまち割り箸みたいに折られてしまうかもしれません。
「それよりいいんですか……? この指を鳴らして引き寄せられるのはこんなちっぽけな機械だけではありません。
例えば貴女のお洋服。丁寧に一枚一枚、ゆーっくりと剥いで差し上げてもよろしいんですよ……?」
顔をすっぽりと覆うカボチャのせいで表情は分かりませんが、小刻みに振るわせる肩を見て、ケタケタと笑っていることが分かります。
この男……バキバキに壊すことよりも、一枚一枚洋服を剥ぐことを脅しにするだなんて。
「へっ……変態ですのッ!!」
こんな麗若き乙女を辱めようとは、何たる不届き戦犯モノでしょうか……っ!
人通りの少ない場所とはいえ、どこの誰が見ているか分からないこんな街中で……っ。
一枚一枚奪われては終いには素っ裸になってしまいます。まさかそのまま裸で帰れっていうんですの!?
未だ殿方に晒したこともないこの無垢で清らかな体を、大衆の面前に晒せと!?
ちょっと想像しただけで思わず胸がきゅんと熱くなってしまいますの。
……はっ。何を考えてますの私ったら。
問題はそこではありません。そもそもこの状況を乗り越えなければお家に帰れるのかさえ分かりませんのに。
この際大声を出して助けを呼ぶでもよいのです。どうにか身を守る術を考えませんと。大きく息を吸って、大きな声を出すのです!
「……っ……かはっ……」
「おやおや、完全に震えてしまっているようですねぇ。まぁ無理もないでしょう。こんな体験、人生で二度とないでしょうから」
くぅ。悔しいですがカボチャ頭の言う通りです。ダメです。全く声になりませんの。辛うじて息を吐けるくらいで、私ったら完全に怯えてしまってますの。
まさに蛇に睨まれた蛙、変態に睨まれたか弱き乙女です。
ゆっくりとカボチャ頭がにじり寄ってきます。私は徐々に壁側へと追い詰められ、逃げ場を失ってしまいます。もはや小さくうずくまることでしか抵抗できません。
ああ、万事休すですの。
お父様、ごめんなさい。貴方にいただいたこの無垢な身体、到底守れそうにありませんの。
そしてメイドさんにもごめんなさい。これはきっと貴女からの言付けを守らなかった私への罰なのでしょう。
私はこんなところで死ぬか、たとえ運が良くても守り抜いた純潔とはサヨナラしてしまう運命なのですね……願わくば素敵な殿方に恋をして、そして心からの愛を知ってみたかったですの。
もう叶わない儚き夢となり果てましたの……。
「フヒヒヒ、それではまずは一枚目ですねぇ。せっかくですので首尾よく上からにしましょうか。それとも景気良く下からにしましょうか」
「せ、せめて痛いのは勘弁してくださいまし」
「ほほう、痛いのがお好みなのですね……?
それではオススメのトリックがありますよ」
「ふぇーん、そんなこと一言も言ってませんの〜……!?」
誰か、誰でもいいので助けてくださいまし。神も仏も関係ありません。この際ですから別の浮浪者の方や野犬であっても構いませんの。
誰か、誰かーッ!
もはや声にもならない吐息の悲鳴を叫びます。
「そこまでだよっ!」
どこからか、可愛らしい女の子の声が聞こえてまいりました。