もう少しスリルってヤツを
案の定、私の拳の勢いに押されてか、彼女はジリジリと後退せざるを得ないらしいのです。
壁際まで追い込むにはもう少しラッシュを続ける必要がありそうですが、単にこのままゴリ押しをするだけでは彼女の心を折るまでには至りませんでしょう。
単純に倒すだけではダメなのです。その慢心に満ち溢れた精神をへし折って、もう二度と私に歯向かえないように調教しなくては、真の平和など一生訪れるはずがありません。
最初から決めていたとおりにいたしますの。
あくまでやるなら徹底的に、そりゃもうゴッチゴチのバッチバチに、が今日の合言葉なんですもの!
今、私の制御下に置かれた黒泥塊は合計二つございます。
一つはスケートシューズとして固定化しておりますゆえ、実際に自由に使えるのは拳側の一つだけですの。
このままメリケンサックとして攻撃力アップ用に使い続けていてもよろしいのですが、それだけでは面白味ももインパクトも欠けてしまいます。
であればあえて解除して差し上げましょうね。
サイレントで素手のパンチに切り替えていきますの。
腕を伝うようにして回収してまいります。
しかしながや、さすがの複製さんも受け止める拳の重さが少しだけ軽くなったことに気が付いたのか、徐々に片眉を上げ始めなさいました。
訝しむのも当然だとは思いますの。けれどももちろんのこと手を止めるつもりはありませんゆえに、あくまで怒涛の連撃を続けながらドヤ顔でお答えして差し上げます。
「先に言っておきますけれども。決してコレは手加減ではありませんでしてよ。むしろ今の今からスーパー美麗の一方的蹂躙タイムが始まりますの。
そうですわねぇ。手始めにアナタのその両手、実に危なっかしい限りですので封じさせていただきましょうか」
「いきなり何を言って――んぅぇっ!?」
彼女が口を開くや否や、全てを言い切る前に驚きの息呑みへと変えなさいました。
まぁ無理もありませんわね。
さっきまで私の攻撃を捌いていたはずの御手が、今はもうねっちょりとした黒泥に覆われていて、少しも動かせなくなっていらっしゃるのですから。
今もなおべっちょべっちょとそれはもう粘度の高そうな水音を奏でていらっしゃいますの。
今日の粘着型の黒泥は、これまでの単なるトリモチ粘土ではございません。
使い勝手もかなりよくなっておりますの。彼女の手には縄上に細く伸びた黒泥が何重にも巻き付いていて、その上で一本一本が個別にベッタベタに絡み付いているのです。
簡単には解けませんし解くつもりもございません。
「これで消滅の光は撃てませんわよね? それどころか私のパンチを防ぐことだってままならないはずですのッ!」
そのままギュウギュウと縛り上げて、頭の上でバッテンを形作るようにガッチリと固定してしまいます。
手のひらが天を向いていれば万が一の閃光に怯える心配もございませんの。これで心置きなくノーガードなお腹にドギツいボディブローをねじ込んて差し上げられるのです。
彼女を怯えさせるように、あくまで大袈裟に。
ぐいと腕を引いて、ほんのり姿勢を低くして。
利き腕の右腕にギュッと力を込めます。
ふっふん。せいぜい足掻きなさいまし。
見た感じ一刻も早く拘束から逃れようともがき苦しんでいらっしゃいるようですが、それはただの無駄行為なだけなのです。
残念ながら強化された粘着黒泥は私にしか取り扱いできませんの。
もちろん殲滅の光を照射すれば無理矢理にでも組み解けるのかもしれませんが、おあいにく、この黒泥拘束はそういった反撃を封じるための秘策なのです。
どんなにぶっとい光ビームをぶっ放しても、肝心の拘束具に当たらなくては意味がありませんでしょう?
殲滅の光対策もバッチリってわけですの。
つまりは早くも私の独壇場と化したってことですの。
あとは殴る蹴るの繰り返しだけで呆気なく終えることができそうなのです。
ねぇお父様。今までの一連の攻防、もちろんのこと見てくださっていらっしゃいますわよね?
アナタの人生を賭けた最高傑作であっても、ホンモノの生身の娘には太刀打ちできなかったってこと、コレで証明できますわよね?
所詮私の複製さんは私の紛い物でしかありませんでしたの。オリジナルのほうがすごいんですの。
だから、もっと私のほうを見てくださいまし。
オリジナルをオリジナルとして認めて、そのままの私を愛してくださいま――
「……はぁ。分かったよ、パパ。本気出せばいいんでしょ? いやぁ、もう少しスリルってヤツを味わってみたかったんだけどなぁ。ま、いっか」
「……はぇ……っ?」
え、あ、いや、何故、でしょうか。
今は私のほうが圧倒的な優位にいるはずですのに、どうしてか背中とお腹の両方に鳥肌が立ってしまいましたの。
それも一瞬ではありません。
ずーっとビリビリとしているのです。
私の胸が嫌になるほどざわつき始めております。
よくわかりませんが冷や汗まで出てまいりましたの。
総統さんと初めてお会いしたときのような、あの絶対強者に対して感じてしまった極度の悪寒が、今まさに襲い来ようとしているのでございます。
な、なんだか気持ち悪くなるくらいに嫌な予感がいたしますの。さすがに武者震いに数えていけないタイプのソレですの。
あともう少しすれば彼女を壁際ギリギリまで追い込めてグイと押し付けて、それこそ背中も四肢も黒泥で壁に貼り付けて、端っこから少しずつ服でも脱がして辱めて差し上げようかと思っておりましたのに。
そんな余裕は少しもなさそうに思えてなりません。
第六感がすぐにその場から離れろと警笛を鳴らし始めたのでございます。
たとえ杞憂でも構いません。
ここは一つ、私の直感を信じておきますの。
命を大事に作戦の真っ最中なのです。
無理をする必要はないですの……っ!
それにほら、こうして一度優位に立てたのであれば、今振り出しに戻したところで状況はそこまで変わりませんでしょうし……!
牽制も兼ねて一歩だけ後ろに離れておきます。
と、ほぼ同時のタイミングでございました。
彼女の拘束されている手からではなく、それこそ全身の至るところから、眩い光が溢れ始めたのでございます……ッ!?
「ふぅむっ……!?」
「残念ながらオリジナルの汚泥では、私の光を抑えることはできない。そんなねとねとしてるだけの汚い塊なんて、私自らが浄化してあげる」
「うっ……眩し……ッ!?」
一瞬、この空間の光を全て吸収したかのように、目の前が暗くなりました。
その後また一瞬、今度は打って変わって両目を焼きにくるような純白光が、彼女の胸のブローチから発せられましたの。
眩しさのあまりに目を閉じてしまって、もう一度目を開けたときに、否応なしに気付いてしまいましたの。
「え、あ、嘘、ですの……!? 私の黒泥縄が、こんな簡単に、跡形もなく……一瞬で……チリと化すわけが……? いえ、それどころか……ッ!」
それ、どころか。
追加装備のスケートシューズと化させていたはずの足元の黒泥塊も、ポヨに制御を委託していたはずの周囲の四つの黒泥塊までもが……。
全てほろほろと自壊していっては、サラサラと光の粒子となって空に消えていくではありませんの……っ!?