ぼぼべばばべ
プツン、と私の頭の中で音が鳴りました。
ゴポポボポ……と泡の上る音が聞こえます。ここは水の中なのでしょうか。
目を開けてみても目の前は真っ暗です。息を吸ってみてもうまく吸えません。
体に感じる妙な浮遊感に、ジタバタしても空を切るばかり。しかも妙に体が重いのです。
「っばんべぶぼっ!?」
一瞬動揺してしまいましたが、次第に記憶が蘇ってまいりました。ええ、大丈夫、大丈夫です。命の危険はありませんの。
そうでしたわ。今は洗脳補助装置の中なんでしたっけ。ということは、さっきまで体験していたのは、過去の私の記憶……。
何と言いますか、とても気持ちのよい夢を見ていたような気分ですの。それも起きたら次第にあやふやになってしまうような儚いものではなく、今もなお写真のように鮮明に思い出せるかのような、しっかりとした感覚です。
だってほら、ついさっきまでのコロッケの味が今もなお舌の上に残っているかのような錯覚さえあるのです。ただ悲しいことに今実際に感じるのは酸素ジェルのほのかな甘味だけですが。ああ、あの香ばしさを返して欲しいですの……。
「ぶるー。目ガ覚メタヨウダナ。今回ハ初回故ニ早メニ切リ上ゲサセテモラッタガ、ソノ様子デハイイ夢ヲ見ラレタヨウダナ?」
装着しているバイザーからローパー怪人さんの声が聞こえてきます。何と言いますか骨伝導イヤホンのように、耳からではなく頭の中へ直接伝わってきているかのような感覚です。
確かにこのカプセル内は厚いガラスとジェルに遮られておりますしこの方が都合がよろしいのでしょう。まして普段から聞き取りづらいローパー怪人さんの声なのです。私としてもこの伝達形式の方が有難いのです。
「べべ、ぼばべばばべ」
そう返答したかったのですがジェルに満たされたこのカプセル内ではうまく言葉にすることが出来ません。
「ろっくヲ解除シテヤッタ。今ナラ中カラ上蓋ヲ開ケラレル。外界ニ出タラ真上ニアル管ヲ口ニ咥エロ。体内ノ酸素じぇるヲ吸イ出シテクレル」
さすがローパー怪人さん。言わずとも求めていることを察してくださいますわね。出来る男ですの。
言葉の通りカプセルの上蓋を押してみると大した力も必要なくパカっと開いてくれました。
そのまま真上に腕を伸ばしますと細長くて硬い筒状のモノが手に引っ掛かります。目に見えないのが厄介ですが手探りで先端まで辿って、それを引っ張って口に咥えました。
すると。
「ぶぶぇぁっ!?」
例えるならば喉に餅を詰まらせた老人を救助するために、口の中に掃除機の管を突っ込まれたかのような、あの感じでしょうか。
急激な吸引に胃と肺が締め付けられます。ずびゅるっと中の液体を抜き出されたかと思うと、次の瞬間には新鮮な空気が吹き込んできました。
一瞬感じた苦しさの勢いに任せて、私は水面……いえ、ジェル面に出ます。そうして口と鼻を通じて体いっぱいに酸素を取り込みました。
「ぷはっ。おげぇー……まだ胃と肺の中が気持ち悪いですの。ゲロゲロ言ってますの。気持ちは雨の日のカエルですの……」
「かえるナラ雨ハ大歓迎ナンダガナ」
「単なる例えです。深堀しないでくださいまし」
私としてはゲロゲロの方が大事なキーワードなのです。
「もしかしてこの吸引、目覚める度に毎回やらなきゃなりませんの……? できれば勘弁してほしいですの……」
「別ニ放ッテオケバじぇるハ霧散化スル仕様ニハナッテルンダガ、手ッ取リ早ク体内カラ除去サセタイナラコノ方法ガ一番確実ナンダ。次カラハ起コス頻度モ減ル。我慢シロ」
「うへぇ……はーいですの……」
仕方ありません。お喋りな私としてはジェルが消え失せるまで黙っているという方が辛いまでありますの。この際ですからこの吸引は過去へ遡る事の代償ということで納得しておきましょう。
「ちなみに現実時間ではスタートからどれくらい経ちましたの?」
「15分ト経過シテイナイ。ソレニオ前ノ脳波ヲ通ジテ、コチラモだいじぇすと的ニ内容ヲ覗カセテモラッテイル。ナカナカ楽シソウナ過去ジャナイカ」
あらやだ覗きだなんてスケベですのね。
見ていた内容を説明する手間を省けめ大変ありがたいのですが。このペースなら結構いいスピードで遡っていけそうですわね。
「ええ。だって今のは懐かしくも初々しい、私の人生が色付き輝き始めた頃の記憶なんですから。この今の私でさえあの頃に戻れるならばと思ってしまうくらいですの。
けれども残念ながら時を戻すことは叶わないのです。あの頃をもう一度見られるだけで満足しておきますの。
それよりもローパー怪人さん。時間は有限なのです。早いところ私を更なる夢の世界へ誘ってくださいまし。心の準備はいつでも出来ておりますの」
「イイダロウ。デハ直グニデモモウ一度眠ッテモラウゾ。次ハ何時頃ニ設定スル?」
「そうですわね……」
先程の続きをと言いたいところなのですが、そこから何日かはただただ楽しい学校生活が繰り広げられていただけになりますし、魔法少女関連についてはあんまり関係のない日々だった気がしますの。所詮は本題とはかけ離れた懐古の為だけのパートです。
ちょっと寂しい気もしますが飛ばしてしまって問題ないでしょう。
魔法少女になるきっかけが起こったのは、転校初日から数えて……二週間ほど経った頃だったかと思います。
茜の秘密に気が付いてそのままあれよあれよと巻き込まれてしまった、あのときの記憶を次は覗いてみることにいたしましょう。
「では、さっきのところから二週間ほど後くらいの記憶からで」
「了解。少シハ慣レモアルダロウカラ、次ニ起コスノハ今ヨリ時間ヲ空ケテカラニシテヤロウ」
「ありがとうございます。ではっ」
お礼の言葉は程々に、私はじゃぽんっと音を立てて再びジェルの海に潜ります。そして口や胃に肺、気管支に至るまで酸素ジェルを体内に取り込みます。
二度目にしてもう慣れてしまった自分に驚きを通り越して呆れさえ感じてしまいますわね。
「ぼべべば、ぼぼびぶぼべばびびばびばぶぼ」
「ダカラじぇる内デハ喋レナイッテ。学習シナイ奴ダナ……」
こちらとしても正しく聞こえているとは思ってませんの。ただ言ってみたいだけなのです。遊び心の極みなのです。
ほらそんなことより早いところ微睡みの世界に戻りましょう。一度コツを掴んでしまえばあとは簡単なのです。
心を沈めて、何も考えない様にして。
ただただ身体を闇に任せるだけなのです……。
やっぱり体感として現代の美麗ちゃんの方が
勝手に喋ってくれるんですよね。
自由気ままに動き回ってくれる気がします(当社比
次回からようやく物語が動きます。