愛すべき歪んだ世界を守り抜くために
眼前のメイドさんが、困り顔と残念顔をちょうど二で割ったかのような、複雑そうな苦笑いを頬にお浮かべなさいました。
こちら、あまりお見かけしたことのないお顔です。
「ハチ様でしたら今頃はおそらく診察室にいらっしゃるかと。このところは特に患者様の数が増え続けておりまして……」
「ふぅむ……妙ですわね……」
診察室にいること自体はそう珍しいことではないのですが、むしろ気になったのは後者のほうですの。
患者が増え続けている……ですって?
私をからかいに来る暇もないほどお仕事に追われている状況なんて、今までに例がありましたでしょうか。
確かにハチさんは人一倍にお仕事熱心な方ですが、それにしたっていつも一定以上の余裕を持って働いていらっしゃったと思いますの。
なんだか、この地下施設内全体が慌ただしくなっていそうな気がいたします。
「もしかして、時間も人手も全然足りてない感じでして?」
「ええ。新参者の私から見ても結構な疲労を溜めていらっしゃるご様子で……。ゆえに、少しでもハチ様の負担を軽くして差し上げたく」
「それでメイドさんがアルバイトをお始めなさったということですのね」
「そのとおりにございます」
困り顔から一転して、メイドさんは芯の通った頷きを返してくださいました。
よかったですの。決して嫌々やっているわけではなく、彼女の意志でアルバイトに励んでいらっしゃるようです。
とりあえずお給金の未払いが問題ではなかったようで一安心できております。私も胸を張ってメイドさんの主を名乗り続けられそうですの。
それはそれといたしましても。
「ふぅむぅ……けれどもちょっと信じがたい状況みたいですわね……。まさか〝命を大事に〟がモットーなこの悪の秘密結社で、そんなにも怪我人さんが増えてきているだなんて」
私が眠り呆けている間に、社内の方針転換令でも発布されてましたの?
多少の犠牲を出してでも利を出せ効率を重視しろ、とかいう超絶スパルタ社風に切り替わったとか?
いやいや、まず有り得ないお話ですの。
それこそ総統さんの求める理想とは程遠いはずです。天と地がひっくり返っても発令されるわけがありません。
患者が増え続けてしまっている要因……。
お一つ、思い当たるとすれば……。
「――それは多分、魔法少女の台頭のせいポヨね」
「んひぁっ!? お股間の辺りが無駄にムズムズっとっ!?」
突如としてポヨの声が聞こえてまいりました。
それも私自らがもっこりとさせていた布団の中からでしたの。もっと正確にはお尻の真下からですの。
身体を捩って確認してみると、そこにほんの少しだけ平たくなってしまっていたポヨがいらっしゃいました。
「あらポヨ。居たなら教えてくださいまし」
「言い出すタイミングを見失ってたポヨ。あと想像以上に重くて身動きが取れなかったという理由もあるポヨ」
「むむっ。失礼しちゃいますの」
美女の尻に敷かれるなんて、世に生きる者の本望ではございませんでして? だからご勘弁くださいまし。
お詫びの代わりに筋肉痛に悩まされる腕を伸ばして、そのままポヨを手のひらで掬い上げて、ひょいと私の肩に乗せて差し上げます。
ひんやりとした感触が直に伝わってまいりました。
これなら凝り固まった筋肉をイイ感じにアイシングしてくれそうですの。
「で、さっきは何と仰いましたの?」
「美麗の複製体のことポヨよ。そろそろスペキュラーブルーが世に解き放たれる頃合いだろうポヨ。なんだかんだであれからもう数ヶ月が経とうとしているのポヨ。活動を始めていても全然おかしくはないポヨ」
恐れていた未来が現実となり始めたってことですか。
ポヨが神妙な面持ちでお続けなさいます。
「耐性のある魔装娼女でさえあれだけ圧倒されたのポヨ。それこそ有象無象の戦闘員たちからすれば、悪夢か絶望そのモノだろうポヨね。まず命の保障はないポヨ。
むしろ出会って生きて帰ってこれてるのが奇跡ポヨ」
「くぅ。ついに表舞台に現れてしまいましたか。最強最高の……魔法少女スペキュラーブルー……」
あの複製さんの行使するチカラは〝浄化の光〟であっても充分すぎるほどの脅威なのです。
ましてフルパワーの〝消滅の光〟なんて使われてしまった暁には、弊社の人材にとってはもはや生きるとか死ぬとかいうお話でも無くなってしまいましょう。
直撃がイコール死を意味しているのです。
上級怪人さんでも一ミクロンも太刀打ちできませんの。
あの子が街を出回り始めたのであれば、弊社の外回り営業なんて、ただの命知らずな愚行でしかありません。
命のことを考えれば今すぐにでも止めるべきなのでしょうが、それでは組織の経営が成り立たなくなってしまいますでしょうし……っ!
どんな状況でも今は続けざるを得ないってのが正直な現状なのでしょう。
その結果として、徐々に負傷者が増え始めているのだと思われます。
この寝起き頭でも予想と理解が繋がりましたの。
深刻そうな空気が重くのしかかってきております。
「……あんまり猶予はなさそうですわね。私が何とかするしかないですの」
「分かっているなら話は早いポヨ。さっさと回復して、一日も早く新装備に慣れるポヨよ。
とはいえ万全でない身体で頑張ってもらっても効率が悪いだけポヨ。こんな話を聞かされて落ち着けないだろうポヨが……今はとにかく休めポヨ」
「お気遣いどうもですの。もちろん理解してますの。無理して身体を壊したら、それこそあの頃の二の舞になってしまいますものね……ふぅ」
一度だけ深呼吸してから、メイドさんとポヨのそれぞれに決意の視線をお送りいたします。
お二人とも力強い頷きを返してくださいました。
改めて私は勢いよくお布団を被り直して、半ば無理矢理にベッドに横になります。
高まる鼓動を必死に落ち着かせて、あえてぐっと目を閉じておくのです。
決戦の日はそう遠くありません。
それを今、改めて自覚したのでございます。
すぐに強くならなければいけないからこそ。
だからこそ、今はとにかく休みなさいまし。
自由な明日をこの手で掴み取るために、ですの。
だいたい負け越してしまっている私ですが、次だけは絶対に勝たねばならないのです。
このぬるま湯のような自堕落生活と。
この愛すべき歪んだ世界を守り抜くために。
ふふっ。なんだか締まりませんわよね。
ですが、これが今の私を形成するモノなのです。
蒼井美麗には嘘も偽りも必要ありません。
ただひたすらに、そしていつも通りに。
己のわがままを貫き通して差し上げるだけですの。
大変長らくお待たせいたしましたッ!
次ページより第5章の後半戦に突入いたします。
果たしてアップデートを経た魔装娼女のチカラは
最高最強の魔法少女には通用するのか!?
っていうかホントにパワーアップは終わったの!?
魔装娼女には真のチカラが眠ってるんじゃないの!?
そもそも蒼井家のストーリーはどうなったの!?
遅れてきた反抗期云々には触れる予定なの!?
……ふっふん。ご安心くださいまし。
色々とばら撒いたり拾ったり抱え込んだりして
じんわりと温めて続けてきた問題たちを
これから少しずつ解に導いてまいります。
さぁさぁ、今後に乞うご期待ですのっ!