顔をお上げくださいませ
これは私が意地っ張りなだけなのか、それとも真っ当な反応なのか、正直自分でも分かりません。
きっと、許さないのは簡単なことなのです。
ずっと思い続ければいいのですから。
でも……過去に縛られ続けるのはしんどいですの。
私の復讐はもう終わっているのですし。
だからもう、かつて心に傷を負ったとしても、誰も死んでいなかったのだからいいではありませんか、と。
いずれは癒えるものだと開き直ってしまえば、と。
そう思えているのもまた私の本心なのでございます。
あの頃よりも少しだけ大人になれたからこそ、そう思えて仕方がないのです……!
でも。どうしても。だからこそ。
これだけはキチンとカタを着けておきたいのです。
後ろめたい復讐とか薄汚れた過去とかの為ではなく、今日この日を境にして、輝かしい明日に近付くために、眩しい未来を勝ち取るために、ですの。
大きく深呼吸をした後、ふかふかのソファからもう一度立ち上がらせていただきます。
そうして私のすぐ傍らに立っていてくださるメイドさんと正面から向き合いますの。
両手のひらに乗せたポヨを少しだけ上に掲げて、メイドさんの目線の高さに合わせて差し上げます。
不安そうな顔で、ポヨが私のほうをお見つめなさいます。
ふふっ。そんなに身構えなくても大丈夫ですの。
アナタが今話しているのはプリズムブルーでもなくイービルブルーでもなく、ただの美麗なのですから。
ゆっくりとポヨに語りかけて差し上げます。
「ねぇ、ポヨ。私、過去にどんなに辛いことを経験していたとしても、いつかは全て笑い話に昇華させられてしまうような……そんな、強くて可憐で前向きな大人になりたいんですの。
でも、今はまだ……いえ、昔からずっと、いつまで経っても泣き虫の意地っ張りのままで、朝も昼もめそめそウジウジしてしまう……過去に囚われたままの乙女ですの」
くすり、と。
自嘲に満ち溢れた微笑みが零れてしまいます。
隠さずに弱音を吐かせていただきますの。
いついかなるときも強くあろうとして、どんなことにも耐えようとして、それで一度壊れてしまいかけた経験があるからこそ……。
この胸の内の葛藤を、正直に打ち明けたいのです。
「ねぇ……私の〝元〟相棒だった、変身装置のポヨ。
もしもアナタも同じ気持ちを抱いていらっしゃるのなら。そして、その心に少しでも後悔があるのなら……。
今ここで綺麗さっぱりしておきませんこと?
そしてまた、今日から一緒に、前に歩み始めませんこと? 私、そのほうがずっと楽しく生きれると思いますの」
私の問いかけに、ポヨがぴくりと反応なさいました。
何も仰らず、ただつぶらな瞳で私のほうを見つめていらっしゃいます。
数秒の時が流れていきました。
頷きの代わりか、彼はぽゆりと一度だけその身を震わせなさいましたの。
ふふっ。私の心、きっと伝わりましたでしょう。
コレ以上は何も言うつもりはありません。
例え頼まれたって念話を試みるつもりも、ボディランゲージで感情を伝えてみる気もありませんの。
〝元〟魔法少女の私と、〝元〟その変身装置の間柄に、言葉なんて必要ありませんものね。
「大丈夫ですの。ご安心なさいまし。今度はちゃんと最後まで聞いて差し上げましてよ。途中で遮ったりもいたしませんの」
「…………ああ。分かった、ポヨ」
彼はその身を捩って、自らメイドさんのほうに向き直りなさいました。
まるで深呼吸をするかのように、大きく膨らんでは、小さく縮こまってを何度か繰り返しなさいます。
そうして最後にちらりと一回だけ私のほうを振り返りなさいましたの。
点と点でしかないはずの瞳に、確かな決意の色が見えたような気がいたしました。
今度はもう自嘲の微笑みは出てまいりませんでしたの。代わりに自然と溢れてきたのは、かつてメイドさんが私に向けてくださったような、あの慈愛に満ち溢れた微笑みだけでございました。
ふふっ。自分でも驚いてしまいますわね。
私、まだこんな顔できたんですの? って。
鏡なんか無くても分かりますの。
むしろ、今だからこそできるんでしょうね。
……ちょっとだけ恥ずかしくなってしまいます。
ポヨがゆっくりと言葉を発しなさいます。
「美麗のメイド――いや、亀井戸、燦」
「はい、ポヨ様。なんでございましょう?」
メイドさんの微笑みは今も少しも変わりません。
全てを包み込んでくださるような聖母のような瞳と、見ているだけでホッとしてしまう優しげな口元と……。
キリリとしたご表情の中に見える、確かな慈愛の心が、私たちの心をスッと落ち着かせてくださるのです。
さぁどうぞ、と言わんばかりに。
メイドさんがにこりと微笑まれました。
この場にいる皆の視線がポヨに集まります。
「……きっと言い訳にしかならんポヨが、ポヨはお前をあんなに傷付けるつもりはなかったのポヨ。そし……て……あんなことになるなんて、少しも思っていなかったポヨ……っ。
今更伝えても遅いとも分かっているポヨ。けれども、それでも言わせてほしいポヨ」
ぺたり、と。
彼はまるで夏場に溶けたアイスクリームのように平たくなりました。
――そして。
「……すまなかったポヨ。この通りだポヨ」
裏表のないまっすぐな謝罪の気持ちを、メイドさんにお向けなさったのでございます。
ただでさえ小さな瞳を、未だかつてないくらいにぎゅっと縮こませて、見るからに精一杯の態度をお見せなさっているのです。
見ているだけの私にも、充分に伝わってまいりましたの。
「ポヨ様。顔をお上げくださいませ」
「…………ポヨ……」
「起きてしまったことは仕方ありません。次は選択を間違えなければよろしいだけかと思います。
私のほうこそ貴方様やお嬢様が目の前で追い詰められていたというのに、外側から眺めていることしかできませんでした。
こちらこそ申し訳ございません。これからはもっと、グイグイと首を突っ込ませていただきますね」
「……っ……おっけポヨ……構わん……ポヨ……ッ!」
ぽよんと大きく飛び跳ねなさいました。
この司令室の天井に届いてしまうのではないかとビックリしてしまうくらいでしたの。
思わずキャッチングにミスってバランスを崩してしまったではありませんか。
メイドさんが肩を支えてくださったからよろしいものを……。
調子に乗るのも大概にしてほしいものですわね。
……ふふっ。
でもコレで胸のつかえは取れましたの。
きれいさっぱり心も爽やかでしてよ。
気を遣ってくださったとはいえ、一番の被害者であるメイドさんが許すと仰るのであれば、私もそうする他に選択肢はございませんものね。
ずっと根に持っているのは乙女的でもお嬢様的でもありませんの。
もちろん私だって許して差し上げ――
「――コッホン。そして美麗お嬢様。お嬢様からもポヨ様へお一言、お伝えしておくべきことがあるのではございませんか?」
「はぇ……っ?」
「仲直りとは、お互いがお互いのほうを向き合うことで初めて成立するものでございますよ。あくまで私めは第三者。今はどうぞ当事者のお二人で、心置きなくお言葉をお交わし合いなさいませ。さぁどうぞ」
「うっ……」
い、痛いところを突いてきなさいますわね。
この流れに乗じて、サイレントで水に流して差し上げるつもりでしたのに。
今度は私のほうに視線が集まっているのが分かります。
……ふぅ。分かりましたわよ。
ちゃーんと大人になって差し上げますの。
意地を張るのはもうヤメにいたしますのっ。
「い、一度しか言いませんので聞き逃さないでくださいましっ。よよ、よろしくてっ!?」
何なら声の上ずりも許しておいてくださいまし。
だって緊張しないわけがないでしょう。
今から行うのは、月日にして三年越しになる一世一代のごめんなさいなのですから。