象徴
お一つだけ。
彼の口からは大きなため息が聞こえてまいりました。
心底呆れ返っているかのように。
「俺の耳には〝名だたる蒼井家の一人娘が自らに課せられた責務を無様に放り投げて、ただ欲に溺れて地の底に堕ちた〟と報告が届いている。それも数件どころの話ではない」
「ふぅむっ! それはっ!」
事情が全く考慮されておりませんのっ!
確かに内容自体は一言一句間違っておりませんけれども!
魔法少女業に嫌気が差して、命の危機にも晒されて! 匿っていただいた先が敵対組織だったってだけのお話でしょう!?
欲に溺れたわけではありません。
結果的にそうなってしまっているだけで!
年中無休の善人では居られなかっただけなのです。
お休みと安心の両方が欲しかったのです。
世を生きるヒトとしての当然の権利を主張して、いったい何が悪いと仰いまして!?
抗議の意を示すため、あわや手まで出てしまうところでございましたが、ギリギリの自制心を働かせて留まります。
お父様の冷たいオーラを肌で感じてしまい、せめてものと必至に睨み返して差し上げます。
先ほどから聞こえてくるため息が、また一つより大きなものへと変わりました。
「……まったく図星のようだな。お前はどれだけ生き恥を晒せば気が済むのか。蒼井家の人間として恥ずかしくはないのか?」
「ンだって仕方なかったじゃありませんの! 初めの頃は生き抜くために必死だったのですっ! それに私だって、好きで魔法少……くッ……いえ、何でもないですの!」
自らの意志で魔法少女になったことは否定できません。
けれども……ですけれども!
己の背中にのしかかった責任がアレほどまでに重すぎるとは、変身する前は少しも思わなくて……ッ!
どうして他のヒーローの皆さま方は無償の奉仕活動なんて続けられてますの!?
世の中の平和の為なら自己犠牲も厭わない、ぶっ壊れ精神持ちのお人好しばかりなんでして!?
……私には到底無理でしたの。
元来からずっと利己的な性格なのです。
自身とその周りの一部をお支えするだけで精一杯の手一杯だったんですのッ!
魔法少女として心を殺して身を捧げ続けるよりも、また終いには角馬男と不死鳥男に惨たらしく殺されてしまうよりも!
恥を承知で生を繋いだほうがよっぽどマシな人生だと思ってしまっただけのお話なんですのっ!
とやかく言われる筋合いはございません!
「……私は、私の選択を後悔しておりませんの。何一つとして間違えてなどおりませんの……! こうするしか、今に続く道など……本当の自由など……ッ!」
自らの居場所を確保するため、またメイドさんを死なせないため、この身一つで頑張るしかございませんでした。
それが組織の慰安要員となった理由なのです。
それが総統さんに恩を返すための手段なのです。
課せられた責務から逃げ続けた結果なのではございません。納得のいく行為と真正面から向き合った結果が、今のこの私なのでございます。
「お父様の仰る内容も分かります。けれどもそれは、お家と連合側の勝手な言い分ですのッ!
私は別に知らない誰かを守るために魔法少女になったわけではありませんのッ! まして蒼井家の人間として、好きで人の上に立ちたくて立ってるわけでもなくッ!」
ここまで言い張ってしまってはもう引き下がれません。
なりふり構わず続けさせていただきます。
「私はただ、そこにいる茜を守りたくて……!メイドさんと一緒にずっと居たくて……! 大好きな人たちに必要だって言われたくて……! 私のことなんてちっとも見てくれない人たちに愛を振り撒けるほど、私は優れた人格者ではないのでございます……っ……!」
生活力もなければ経済力もない、まして魔装娼女のチカラが無ければまともに戦うこともできない、私はただのか弱い女ですの。
誰かに縋って生きるしかできないのです。でもそれだけに飽き足らず、頑張った分だけ見返りが欲しくなってしまう浅ましい存在なのです。
どうぞ私のことを憐れな女とお笑いなさいまし。
不出来な一人娘とお罵りなさいまし。
その自覚はございます。
令嬢としての務めを果たせてはおりません。
だから甘んじて罵倒をお受けいたしますの。
その上で真正面から開き直って差し上げますの。
「これだけは言わせてくださいまし。私は既にアナタの後継者には相応しくないと自覚しております。帰ってきたといっても一時的なお話ですの。このまま居座るつもりは毛頭ございませんのでご安心くださいまし」
……皆さま、そして私自身。
よろしくて?
言ってしまいますわよ?
もう後戻りはできなくなるあの言葉を。
「……お父様にお伝えしたいコトはただ一つ。私は正式に蒼井家を出ますの。だからこれ以上、私に辛い試練を課さないでくださいまし。もう……そっとしておいてくださいまし……私は私で、勝手に生きてまいりますゆえに……」
私たちをこれ以上イジめないでくださいまし。
こんなに荒み汚れてしまった私は、もう蒼井家の令嬢と名乗るのに、相応しくありませんの。
とっくの昔に気が付いておりました。
己の責務を放棄したというのに、どうしてまだ人の上に立てるというのでございましょう。
これからは蒼井財閥の血を引く者としてではなく、ただの蒼井美麗として生きていきますの。
以前みたいに私を死んだ者として扱ってくださいまし。
そのほうがずっと、ずっと……気がラクなのでございます。
……命を狙わないと今ここで約束してくださいまし。
どうか……どうか……っ。
私の悲痛な思いは、最後のほうは声にも息のカケラにもなりませんでした。
代わりに自然と涙が溢れてきてしまいます。歯を食いしばっても少しも止まりそうにありません。
ギリリと握り締めた拳も痛いのです。
けれどもこの心のほうがずっと痛いのです。
……お父様に弱い自分を見せる最初で最後のトキですの。
……しかしながら、泣き落としをするためにココまで足を運んだわけではありません。
少々はしたないですが、ドレスの袖口で目元を拭わせていただきます。
そうしてしっかりとお父様の目を見つめ返しますの。下を向いて懇願していてはカッコ悪いですもの。
……娘としての最後のお願いですの。
アナタが望むのであれば、その……親と子の縁だって切らせていただきましょう。
私だってお父様に迷惑は掛けたくないのです。
これ以上実家に恥を塗りたくはないのです。
ですからどうか、何も言わずに首を縦に振ってくださいまし。
けれども。
お父様はまだ、私の目を見てはくださらないようでございました。
私の後ろのずっと向こう側を見ていらっしゃるような気がするのです。
「――魔法少女は、そしてヒーロー連合は俺の新たなビジネスだった。武力を持たないこの国の秩序を、まったく別次元のチカラを駆使して守る。
……その為には〝象徴〟が必要だった」