あの、お嬢様。そちらの方は……?
「……ようやく見覚えのある景色が戻ってきましたの。この光景、何年ぶりでしょうか」
絵の具を水に溶かした直後のように、目に映る世界がジリジリと新たな色を纏っていきました。
草原は姿を変えて、整備された車道に、その脇に連なる街路樹に、綺麗に切り揃えられた低木の植え込みに……ここは庭園の一角だったのでしょうか。
遠目には噴水まで見えております。
透き通ったお水が渾々と湧き出ているようです。
「…………私、帰って、きましたのね」
それからまたほんの数分も待てば、見ていたほほ全ての景色が綺麗さっぱりに成り代わりましたの。
ここは私の幼少期に過ごしていた地です。
そして、ちょうど、私たちの真正面。
まっすぐに伸びるこの道の先に本日の目的地が佇んでいるのでございます。
「すっごいおっきいね。なんだかお城みたいだ」
「ええ。むしろ城そのもの……アレが私の実家ですの」
まるでおとぎ話に出てくるようなファンシーかつシックかつオーソドックスなお城の見た目をしておりますが、正真正銘の蒼井家の根城なのです。
ああ。酷く懐かしいですわね。何不自由なく過ごしていたか弱き頃の記憶が蘇ってまいります。
広すぎるお庭で迷子になったり、部屋から部屋に移動するうちに迷子になったり、メイドさんと隠れんぼをしていたら迷子になったり、お父様に叱られて泣きながら歩いているうちに迷子になったり……。
ふぅむ? 迷子の記憶しかありませんの!?
懐かしさに気が動転しておりまして!?
ひとまず深呼吸して落ち着きますの。ひっひっふー。
「……けれども、全てがあの頃のままというわけでもございませんのね」
私、もう一つだけ気が付いてしまいました。お城の両脇に、見覚えのない全面ガラスの近未来的なビルが建っているのでございます。
おそらくアレが私の居住区部分を取り壊して、新たに設けられたヒーロー連合用の施設なのでしょう。
今から乗り込むべきはお城かビルか、果たしてどちらがベストなのでしょうね。
蒼井家党首としてのお父様に会うのか。
はたまたヒーロー連合重鎮としてのお父様か。
正直、悩ましいところではございます。
「狐面オン……いえ、キュウビさんとやら。私たちは賭けに勝ちましたの。つまりは色々と質問に答えていただかないと困りますの。
これからどちらに向かえばよろしくて? 正面の巨城? それともその横の超高層おビル?」
勝ったら幻術を解くだけという条件だったとは記憶しておりますが、どさくさに紛れてアレコレ追加で要求しておきます。
ヘタに機嫌を損ねさせて再戦するわけにもいきませんが、強気にいったほうが良いときだってあるのです。
ほら、私たちとっても頑張りましたもの。
格上相手に大健闘いたしましたもの。
ご褒美をいただいてもバチは当たらないと思うのです。
「詳しくはわっちが案内いたしんす。主さん方は疾くとお車に乗りなんし」
「ふぇあぁ! そういえば! メイドさん!」
戦いに集中しすぎて忘れておりました。
レッドの放った小杖投げが当たらなかったからよかったものを、一歩間違えればリムジンの窓ガラスに突き刺さって、内部が大惨事世界大戦勃発間違いなしでしたの。
いえ、それだけではありません。
その後も車のすぐ傍でバチバチにやり合っていたのです。
当然メイドさんのお心も対岸の火気分でいられるわけはなく、さぞ恐ろしい思いされたことでしょう。
心中お察しいたしま――
「ご安心おくんなまし。乗っていた女性のことであれば、しばしの間眠ってもらっておりんしたゆえ」
「はぇっ。まーたいつの間に……」
「わっちの幻術は万能でありんす」
――お察しする前に、キュウビがくすりと微笑みましたの。
そうして停まっている黒塗りの高級車のほうに歩み始めたのです。歩き方が地味ぃに妖艶チックで悔しくなります。
……もしかしたら。メイドさんを眠らせたのはこの人なりのご配慮だったのでしょうか。
私たちの勇姿をご覧いただけていないというのもちょっと物悲しいところはございますが、ホントにいろんな意味で、巻き込まなくてよかったですの。
歩く背中を追い抜いて、一足早く運転席に駆け寄ります。
そうして窓ガラス越しに中を確認いたしますの。
よかった。静かに寝息を立てていらっしゃいます。
寝顔を見たの久しぶりですわね。ずっと寝たきりだった頃ならまだしも、ご復帰なさってからは起きている姿しか見ておりませんでしたし。
だっていつも私よりも早くに目を覚ましていては、特に用事も控えてないのに起こしてくださるんですもの。
おかげでここ最近は特に規則正しい生活に逆戻りしてしまいましたのっ。簡単には惰眠を貪れなくなってしまいましたのっ。
なんだかんだで無理矢理二度寝してますけれどもっ。
窓ガラスをコツコツと叩いてメイドさんの覚醒を促します。
「もしもーし? こちら無事に終わりましたの。私たちの大勝利ですのっ。ですからさっさと起きてくださいまし」
すやすやとお眠り呆けなさっているところ大変恐縮ですが、ご丁寧に内側からカギをお掛けなさっているせいで開けられませんの。
厳重な防備で大変よろしいですが、今はもう必要なくなってしまいましたからね。
今一度強めに窓ガラスを叩きますと、ようやく身じろぎを見せてくださいました。
続いてややご機嫌斜めそうなお顔で、口元を隠しながら上品にあくびをなさいます。
そこで初めて私たちの視線にお気付きになられたのか、ほんの少しだけ赤面なさいました。
「こ、これはまたお見苦しい真似を……失礼いたしました。あまりにも車内が快適で、ついウトウトと……」
「こちらこそ起こしてしまって申し訳ありませんの。ひとまず目先の問題は解決できましたの。先を急がせてくださいまし」
「かしこまりました」
本来であれば眠気覚ましのコーヒーを差し入れして差し上げたいところなのですが、残念ながら近くにはおカフェも自動販売機も見当たりません。
急いで叩き起こした身で安全運転を要求するなど以ての外ではございましょうが、このお面子ではお車を運転できるのはアナタしかいらっしゃいませんし。
幻術が解けて正しい景色が見えたとはいえ、徒歩で向かえばそれこそ途方もない時間が掛かってしまいそうなのです。
引き続きお力を貸していただければ幸いですの。
ゆえに素直に頭を下げさせていただきます。
私の懇願に優しく微笑んでくださいました。
そうして何も言わずにリムジンの鍵を解除してくださいましたの。急いで後部座席側に回って乗り込みます。
茜とキュウビも後に続いてドアをくぐられました。
これにて全員搭乗完了ですの。
つい先ほどまで拳をぶつけ合っていた敵さんと、いきなり一つ屋根の下というのは緊張感が甚だしいですが、彼女の言葉を信じましょう。
とりあえずは目先の建物に近付いておけばよろしくて? 何か用があればキュウビのほうから口を挟んでくださいますでしょうし。
さぁさぁ、外車特有の野太いエンジン音をお轟かせなさいまし。グイグイ直進あるのみですの。
さっさと颯爽と駆け抜けるのでございます!
……と腕上げ指差しゴーサインを出したつもりだったのですけれども。
「あの、お嬢様。そちらの方は……?」
バックミラーにメイドさんの疑問に満ち溢れたお顔が映り込んでおりました。
確かにその質問もごもっともです。今更隠す理由もございませんし、素直にお答えして差し上げましょうか。