新鮮生搾りの跡
「……ん……あふぅ……へあ?」
心地の良い気怠さと共に目を覚ましました。体感にしてまだお昼前でしょうか。夜更かし後にしては珍しいAM帯での起床ですね。
目を覚ましたついで周りを見回してみましたが、つい数時間ほど前まで傍らに居らしたご主人様の姿は今はもうどこにも見当たりません。既にお仕事に向かわれた後なのでしょうか。
弊社の男性陣は朝が早くて大変ですわね。どの殿方にも言える事なのですが、別に起こしてくださってもよろしいのですよ?
私としては寝ぼけ眼でその背中を見送るというのもまた一興なのです。むしろ一言も無く出られてしまっては、独り取り残されてしまったかのような悲しみに囚われてしまうくらいです。
きっと起こさないでいてくれるのが彼らなりの優しさなのでしょうが、同時に少し寂しくも感じてしまいますの。
けれど、今日の私のベッドにはまだご主人様の温もりと香りが微かに残っているかのような気がいたします。彼に包まれているかのように思えて、ちょっと安心してしまいますの。
「……いやー、それにしても昨夜は最高でしたわー。大満足の極みでしたわー。またこれから一週間頑張れる気になりましたのー……」
思わず独り言として口から出てしまうほど昨晩は最高だったのです。もう意識が飛んだり戻ってきたりで感情の大嵐でした。彼のを一滴たりとも溢してなるものかと躍起になってしまうくらい最高に最高だったのです。語彙力が大変なことになってしまってますね。
心も身体も満たされるとはこのようなことを言うんでしょうか。サウナで整ったときとはまた違う、ある種の充足感がこの身に満ち満ちております。
ほへーっと感慨に耽っていた、そのときでした。
バタンッ!
といきなり私の自室の扉が勢いよく開きます。
思わず体がビクッと反応してしまいました。
ドアの方に注視してみれば、肩を怒らせ風を切り、更にはやけに重めなオーラを体に纏わせた少女が中々の剣幕でズイズイと上がり込んできております。
メラメラと波立つ赤い髪はまるで熱く燃える炎のようで、その胸の内を体現しているのでしょう。
「ちょっと美麗ちゃん!
順番抜かしはダメってあれほど二人で話したじゃんかー! 早速破ってるってどういうことー!?」
あ、やっべ。早速面倒な子に知られてしまったようですわ。
ぷんすかご機嫌ナナメな顔をしていらっしゃるのは昨晩気を失っていらっしゃった茜です。
こんな小さな体格なのに、近寄ってくる足音はどしどし重たく聞こえてしまうから怒りって不思議ですわね。
「あら、おはようございます、茜」
私は何食わぬ顔で開き直るように答えます。
昨日は都合よく弱みを握れて、かつ総統のお体も空いていたんだからいいじゃありませんの。貴女だって昨晩は意識トんじゃうほどオーク怪人さんとお楽しみだったでしょう?
っていうかその情報こそ誰から仕入れたんですのよ。ギムナジウムの後は私、誰ともすれ違っておりませんし、こんなことを寝起きのご主人様が言いふらすわけもございません。野生の勘とかいうものでしょうか。
「とぼけたって無駄なんだよ!
明け方に大音量でヒンヒン声出しちゃってさ!
美麗ちゃんがあんな反応するの、決まって総統のときだけなんだからね!
そのせいで私起きちゃったんだから!」
「ほえ、あらやだ、そんな遠くにまで声が漏れてしまっておりましたのね、オホホホホ……」
「美麗ちゃん!!」
「うっ…………ごめんなさいですわ。つい欲に負けてしまいましたの。ほら、この通りですの」
ぺたーんと頭からベッドに投げ伏します。ふわっとした感触がこの身体を包み込みます。五体投地とかいう体勢らしいですがこれでは反省してる風には見えないでしょうかね。
少しだけ首を上げ、茜の顔色を伺います。まだ風神雷神か阿吽像か般若レベルの顔がそこにありました。
はぁ。このままでは埒が明きません。少々悩ましいですが仕方ありませんの。
「次の茜の番はご主人様に目一杯サービスしてもらうようお伝えしておきますから」
「ダメ。全然足りない」
「……次回の私の分もお譲りいたしますの」
「もう一声」
「……くぅ。更に次々回は、茜もご一緒していただいても構いませんの」
「そこまで言うなら許してあげてもいいかなっ!」
「……ぐぬぬぬ、痛恨の一撃ですの……!」
コレならやっぱり総統の汗まみれタオルを貰っておくべきでしたかしら。このままお預けでは総統欲の禁断症状が出てしまいそうですもの。全て私の自業自得なのですが。
「……しかし、行為の最中に乗り込んで来なかったのは貴女なりの優しさだったんですの?」
「あー、行こうと思ったんだけどさ。オークくんに止められちゃったんだよね。途中で遮られちゃうのは一番辛いでしょうって。それは確かにーって思った。
だからさ、私にだって少しは感謝してくれてもいいんじゃないかなぁ?」
ほほう、この単細胞直進女を宥めてくださったとはオーク怪人さんナイスプレーですの。さすが出来る男は違いますわね。理解ある殿方が居てくださって大変助かります。
ここにいいねボタンが有ったら秒間16連打の名人芸を見せてあげたいくらいですわ。
ただここでまた茜に触れないでいると不機嫌になって面倒になりそうですので、感謝の対象はすげ替えておきましょう。
私は再びべたーんとベッドにひれ伏します。
「ははぁーっ。茜大明神殿。いつも感謝感激雨霰、いつまでもお慕いしておりますのぉーっ」
「くるしゅうない、くるしゅうないぞよ」
この様子ではもう大丈夫そうですわね。何度もへそを曲げられてしまってはたまったものじゃありませんから。五体投地をやめて正面に向き直ります。
「で、用件はそれだけですの?」
「そうだけど?」
「ああ、たかがそれだけのためにこんな辺鄙な所へ……貴女も暇を持て余しているのですね、可哀想な子」
「え、なんで同情されたか本気で分かんない」
「そういう流れなのですわ」
今日の茜はいくらか頭が冷めているようでからかい甲斐がありますね。おちょくるの楽しいですのー。もう少し楽しんでおきたいのですが、あいにく私の方が頭がよく回っておりません。
「…………ふぁ……あふ」
ほら、あくびも溢れてきてしまいました。やっぱり午前起きしてしまっては少々睡眠が足りないのですわ。
苦情も終わりなのでしたらこのままもう一眠りさせていただこうかと思ってますけど。
昨晩は貴女も気を失って、おまけに私の声に起こされたくらいですから、そこまで熟睡は出来ていないのではなくって?
あ、そうですわ。
「お詫びといってはなんですが、よろしければ二度寝ご一緒されます? 事後のベッドで申し訳ありませんが、もれなくご主人様の香り付きでございますのよ」
「うわ、その事前情報めっちゃ嫌だけどめっちゃ嫌じゃない……どうしよ、悩んじゃってる自分が一番悔しい」
「で、どっちですの。しないんですの?」
「うー……する」
素直でよろしいです。
「ほらおいでなさいな。抱きしめてあげますの、銀河のはちぇまれ」
渋々といった表情でしたが、次の瞬間にはぽふっという擬音が似合いそうな様子でベッドに包み込まれる茜の姿がございました。聖母のような気持ちで枕を貸してあげますの。
「うへー……なんかココ湿ってるよー……」
「新鮮生搾りの跡ですわ」
「うわっ、今度はベトついた何かが……私から」
「ちょっとーこれ以上汚さないでくださいまし!」
それオーク怪人さんのモノでしょう?
今更総統のとブレンドされても困りますのよ。
「えへへ冗談冗談」
まったく。それならいいですけれども……。
ベッドに二人仲良く横たわります。何故か向き合っておりますのでお互いの顔がしっかりと見えます。ちょっと、そんなに凝視しないでくださいまし。気が散って寝られませんわ。
「なんだか安心するね、このベッド」
わしゃわしゃと騒いでおりましたが、やがて枕に顔を埋めるようにして落ち着きました。
「ええ、心安らぎますでしょう?」
「うん……おやすみ」
「ええ、おやすみなさいですの」
私も茜も、瞼が重くなっていきます。
なんやかんやありましたが、たまにはこういうゆったりリスタートな日も悪くないですわね。