餌を待つ池の鯉よりも
寝っ転がってしまったものは仕方ありません。起き上がるのも面倒ですの。しばらくはぐうたらな姿勢で過ごさせていただきましょうか。
そう思い始めた矢先のことでしたけれども。
この場を支配していた静寂は第三者によって容易く破られてしまったのでございます。
いつものドアコンコンではございません。
私のお部屋の中にはもうお一人おりますゆえに。
正確には〝もう一体〟とも言い表せましょうか。
「ちょちょっと待つプニィ!? なーんで茜まで落ち込んでるプニか!? 今日こそ美麗を説得する流れじゃなかったのプニか!?」
発言者はもちろんのことプニですの。茜の肩の上から勢いよく跳ね降りて、私たちの顔の前で何度も抗議のジャンプを繰り返しなさっております。
ですが別に気にするほどのことでもございません。
ツーンと顔を背けてしまえばいいだけのお話です。
「「装置には分からない悩みのせい」ですの」
対する私たちは二人声を揃えて教えて差し上げます。
しかしながら彼に諦めた様子は見られませんでした。
絶えず私たちの気を引き続けようと、ベッドの端から端までを使って大ジャンプを繰り返していらっしゃるのです。
まったく。ホントにもう。健気でお元気ですこと。
「「…………はーぁっ…………」」
図らずも溜め息が零れてしまいます。
おあいにく、私たちの抱える〝根っこ〟はちょっとやそっとの介入で解消できるほど浅いモノではありません。それこそ世を捨てた〝元〟魔法少女だからこそ生まれ出ずる悩みなのでございます。
無心で鍛錬に勤しめたら、もしくは快楽に溺れ沈んでしまえたらどんなに楽でしょうか。そう成りきれないのは私の弱さか、それとも逆に強さゆえなのか。
分かるはずがありません。
自分自身のことが一番分からないのですから。
ご奉仕中だってそうですの。やんわりとピンク色に染まる思考の他所で、どこか冷静な自分が居続けてしまうこの苦しみ……上級慰安要員としての自覚を持ちながら、一生抱えてて生きていくべき課題とも言えましょう。
「ふぅむぅ。やーっぱり怠惰な日常が一番厄介なのかもしれませんわね。考える余裕があるだけしんどいですの。
何も考えなくてもよくなるくらい忙しくなってしまえば……けれども、そんなに都合よく問題が飛び込んできてくれるわけもなく」
かといって別に無理して身体を動かしたいわけでもなく……。
仕方なく、コロコロと寝返りを打ってしまうばかりです。そうしていたら自然と茜の顔が目の前にきましたの。
目と目が合うその瞬間、大きな溜め息をもう一つだけ。
「あーあー。こんなときこそ頭空っぽにしてズッキューンってブッ飛んじゃいたいよねぇ。今からオークくんのところ、遊び行ってこようかなぁ。……ふふふ、ふへ、ふへへへへ。……はーぁっ」
「存外悪くない案だと思いますの。逃げるは恥ではございませんの。負けなきゃ全部勝ちですの。いっそのこと私もお邪魔したいくらいでしてよぉ。……はーぁっ」
先に身体のほうを真っ白に染め上げてしまえば、案外心の方も合わせて真っ更になってくださるかもしれません。
乙女にはストレスが何よりの大敵なのでございます。
口先とは裏腹に全然気分は乗ってまいりません。
空っぽの私たちから発せられた、文字通り空虚な声ばかりが部屋に響き渡りますの。
けれども、茜と、私と。
どちらも似ているようで、ほんの少しだけ状況は異なります。
残してきたモノがあるゆえの悩み。
全てを捨ててきたからこその憂い。
茜には戻れそうな場所、辿り着ける先があるのだとしても、私には……その、いろんな意味で残ってはおりません。
基本的にお先が真っ暗かつ背水の陣状態なのです。
簡単に好転するような心境でもございませんし。
「ふぅむ。すーぱー怠惰の極みですの」
こんなブルーな気分では誰かのところにお邪魔するのも気が引けましてよ。
きっと総統さんもローパーさんも絶賛お仕事中でしょうし、ハチさんもメイドさんも今頃はお身体のリハビリに勤しんでいらっしゃる真っ最中でしょうし。
カメレオンさんなんかに至ってはどこで何をしていらっしゃるのかも分かりませんの。スパイ活動中なのか、最近は通信機で呼びかけても全然応答してくださいませんし。
地上に帰られた後輩ちゃんたちにしてはもはや言わずもがなでしょう。勉学に使命に大忙しなはずです。
「…………帰れる場所。お家。……なるほど私の場合は、実家……ですか……ふぅむぅ」
「あ。そういや美麗ちゃん家ってトンデモないお金持ちだったよね。おっきなリムジンとかあったし。あれでも別荘的なヤツだったんだっけ。っていうかこの前見てきたんでしょ? どだったの?」
「…………ええ」
思考を巡らせる中、お家の話題に辿り着いて、ついつい独り言として零してしまいました。
そうしましたら律儀に茜が拾ってくださいましたの。
彼女もまた私と同じように天井を見つめたまま、ボソリと問いを向けてきてくださったのです。
打ちっぱなしのコンクリートな壁面と目に刺さる照明の向こう側に、とある景色を思い浮かべながらお答えさせていただきます。
「おあいにく。私とメイドさんのお家は……今はもう……跡形もなくなっておりましたの。ホントに綺麗さっぱりな更地と化していて。逆に清々しいくらいですわね」
「え、あ、うそ!? なんで!?」
体操選手もビックリな勢いで跳ね起きなさいました。丈夫なはずのベッドもグラリと揺れましたの。
更にはそのまま身体を掴まれて揺らされてしまってはもう仕方ありません。身体を起こしてご返答して差し上げましょうか。
ふっと息を吐いて、くっと息を呑み込みます。
そして。
「それはきっと……お父様が私の出奔を快く思ってないから、と言うしかありませんでしょうね。
あと最近知ったのですけれども。私の実家、実はヒーロー連合の出資元なんですって。ふふふふ」
「へっ……? いや、な、へぇっ!?」
「ホーント灯台下暗しでしたわよね。アジの干物よりも乾いた笑いが出ちゃいますの。もはやカラッカラのケラッケラでしてよ」
茜がキョトンとした顔でフリーズしております。餌を待つ池の鯉よりもポカンと口を開けていらっしゃいますの。
気にせず続きを呟かせていただきます。
「……実家を出て、長らく蚊帳の外にいたはずでしたのに。実際はずぅっと掌の上で踊らされ続けていたかのような気分ですの。
自らの意志で魔法少女になったはずですのに……もしかしたら全てが予定調和のコトで……結局は何もかもがイヤになって辞めてしまったのも……何かの因果か、それとも元より定められていた運命なのか……」
「美麗ちゃん。盛り上がってるところ悪いけど、それ、もう少しだけ掘り下げてもイイやつ?」
「え、ええ。きっと。おそらく。多分」
総統さんとメイドさんが私にも教えてくださったということは、遅かれ早かれ茜の耳に伝わることも予想されていたはずですの。
そのタイミングが今、という認識でまず間違いはないでしょう。
とはいえ私も詳しく存じ上げているわけではございません。聞き齧った程度の内容かつ、この先は多少の憶測も織り交ぜていく形にはなりますけれども。
それでもよかったらお話しして差し上げましてよ。
新たな暇つぶしの話題くらいにはなりますでしょうし。
改めてベッドにちょこんと座り直し、指折り情報を数えながらお話を紡がせていただきます。
「それでは順を追ってご説明いたしますわね。たしか、メイドさんが仰るには――」
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