身体に鞭を打たずとも
見上げた先には茜の顔がございます。
彼女の曇りのない瞳に、への字口を結んだ私の顔が映っておりましたの。よく見れば眉もハの字になってしまっております。
ふぅむ。見るからに不機嫌そうですの。
酷く他人事な言い方ですけれども。
「…………けれども、むぅ」
それでもごねておりますと、ついには手櫛を止められてしまいました。
労わるような手付きがとっても好きでしたのに。ウェーブのかかった長い髪をもっと綺麗にまっすぐにしていただきたかったですのに。
終いには頬を摘まれてしまいましたの。
「美麗ちゃん」
「……なんれふの?」
一瞬だけいたずらっぽく微笑みなさった後、両手で私の目を隠しなさいます。
突然にして真っ暗闇世界に放り込まれてしまいましたの。
ちょっとだけジタバタと抵抗してみましたが少しもその手を解いてくださる気配はございません。むしろ乙女と呼ぶには程遠い力で押さえ付けられちゃってますの。
前提として膝枕をされたままなのです。
これでは完全に身動きが取れません。
「話してくれないとずっとこのままだよ。ご飯にもおトイレにも行かせないよ」
「ぅぇー……ぅぇーっぷ……分かりましたの」
素直に返事をしたら離してくださいました。
時間が経てば正座をし続けている茜の方が辛くなったとは思いますが、今は意地を張るべきところではございません。
私だってそこまで鈍感ではありませんの。
彼女なりにこの氷塊と化した心を溶かそうとしてくださっているのでしょう。触れた手の温度から優しさというモノをひしひしと感じます。
……分かりましたわよ。
貴女に免じてお話しして差し上げますの。
「……コッホン。正直に申しまして、今の私たちってとっても平和でございましょう?
数年来の仇だったユニコーン男もフェニックス男も無事に葬り去れて、連合からの追っ手を気にする必要がなくなって、世の使命からも解き放たれて……完全に自由の身となれたわけですの」
「うん。そうだろうね」
つぶらな瞳のままコクンと頷きなさいます。
これまで総統さんを始めとする沢山の方々にご迷惑をお掛けしてきましたが、皆様のおかげで自由を勝ち得ることができましたの。
そして多分、私の願望も混じってはおりますが……この自由は今後もずっと続けられるモノだと盲信できてしまっているのでございます。
だってほら、現にこの悪の秘密結社のアジトは未だに特定されていないわけですし。現役時代とちがって日々の見回りが必要なければ、その逆、地下に篭ってご奉仕に勤しんでいるだけで、多くの方々が誉めてくださるくらいなのですし……。
第一、慰安業務にはストレスがないのです。
嫌な相手を拳で傷付けてスッキリするよりも、もっと簡単に笑顔を生み出すことができるのです。
……こっちのほうがずっとラクなんですの。
そして何よりも大きい出来事がメイドさんのご起床ですの。三年以上待った甲斐がございました。彼女が以前のように歩けるようになるのも時間が解決してくださることでしょう。殊更に気長に待つしかありませんの。
つまり私たちが下手なことをしなければ、ずっと、ずぅっとこの平和を享受し続けられる可能性が高いのです。
そうですの。別に今、身体に鞭を打たずとも……。
「……ですから、これ以上強くなることに何の意味があるのでしょうって。強さを求めた先に何が待っているのか……いえ、正確には違いますわね。
自分自身、今どうして強さを求めなければいけないのか、霞んで見えなくなってしまっておりますの」
以前、ちょっとだけ触れましたわよね。
私の抱える問題について。
実はそれも至極簡単な内容なんですの。
私の復讐に、カタが付いてしまったのです。
私にはもう……これからも戦場に赴かなければならない理由が、より強い力を求めなければならない理由が、ほとんど無くなってしまっているのでございます……。
魔法少女の頃に抱いていた〝街の皆さまを守る〟という責任感〟も、〝唯一無二の相棒に並び立ちたいという決意〟も、〝メイドさんの仇を討ちたいという欲求〟も……。
全部が全部、今の私とは関係なくなってしまったモノなのです。慰安要員には一切必要のない誇りなんですの。
万が一敵が攻め込んできたとしても、私が戦うよりはもっとお強い総統さんやカメレオンさんやオークさんが出撃したほうが確実でしょうし。
自ら辛い思いをして身体を痛め付けるよりも、お疲れの皆さまを労って、癒して差し上げたほうが性分に合っておりますし、心も身体も気持ちがイイですし……それに……っ!
「……なにより私はもう正義の味方ではございませんの。心の力で戦うプリズムブルーとはちがって、イービルブルーは偽りと誤魔化しの仮装でしかありません。
……私自らが強くなるわけではないのです。あくまで装置の力をどれだけ引き出せられるか……ただ小手先の技術を磨くだけの、作業なのではと、思い始めておりまして」
「美麗ちゃん……」
茜と違って無尽蔵の未来があるわけでもないのです。先の見えない迷路を進めるほうがまだマシですの。歩める喜びがあるのですから。
私の目の前には適合率98%の壁が遥か高く聳え立っております。しかし崖の境目自体は未だ瞳の隅にも映っておりません。
それなのに既に運命の袋小路に辿り着いていて……戻る道がなければ抜け道もないことを理解していて、もはや壁を登るフリを続けるしか選択肢が残されていないような……。
虚しく疲れて悲しくなるくらいなら、いっそのことお昼寝でも始めて開き直って差し上げたほうが、と……。
「…………ですの」
すみませんわね。精神的なことゆえに的確な言葉が見つかりませんの。もっと国語を学んでいればこんなことにはならなかったでしょうが、人に習うお勉強は中学の半ばで終わっておりますし。
現状維持こそがベストな気がして。
「…………私の帰る場所はココしかありませんの。そして地下での暮らしに、戦いは……乙女の強さは……あんまり必要ないんじゃないかって、思ってしまいまして……」
弱い私のままでも、施設の皆様は受け入れてくださるのではないか、と。黒蜜よりも甘い期待を抱いてしまっているのです。