あら、ポヨ様いらっしゃらないのですか?
それからまた一週間ほどが経過いたしました。
寝返りも打てずに嘆いていた日々もようやく過去の話となりましたの。
今ではもうすっかり良くなって、病室の中を自由に歩き回れるくらいに完治しております。
跳んでも跳ねてもピンピンしておりましてよ。
急な息切れやら動悸やらも、あれ以降は一度も起こっておりません。一時的なストレスによるモノだったらしいのです。持病と化さなくてよかったよかったですの。
「というわけなんですから、さすがにそろそろ退院したってイイ頃合いですわよね? 退屈に無聊を掛けて暇で割って差し上げたいくらいには何もない入院生活なんですのっ! 芋虫のような生活はもうコリゴリですのっ!」
そんなこんなでただ今は退院の最終確認中です。
ちょうど重なった月イチの健康診断Dayにかこつけて、ハチ怪人さんに退院の是非を問うている真っ只中なのでございます。
もはや私の第二の居城となってしまった病室のベッドに腰掛けて、今か今かとそのときをしばらく待ち詫びておりますの。
眼前に佇む白衣姿のハチ怪人さんが、お手に持ったカルテと私の身体とを交互に見比べること早数分。
心臓バクバクの時間が経過していきました。
もうそろそろご返答をいただけると思うんですけれども……っ!
期待に満ちた子犬のような潤眼で見つめて差し上げます。
「……はぁ。仕方ないですね。ここ最近は体温も体調もすこぶる正常。筋疲労やストレス数値も良好そのもの。ようやく元気を取り戻されたようで何よりです。せいせいいたしますね」
「んひゃっほ〜いっですのっ」
病衣のまま華麗にジャンプいたします。
多少のはだけなど気にしていられましょうか。私は生足魅惑の美麗ちゃんですもの。
い刺々しい口振りに反して、ハチ怪人さんは優しげな微笑みを浮かべていらっしゃいました。まったくもう。ご感情が迷子になりがちさんなんですから。いつも通りですけれども。
とにかく。退院のご許可をいただけましたの。これで日々の慰安業務にも戻ることができます。怠惰な日常からサヨナラできそうで一安心ですの。
病室仲間だったメイドさんともしばしのお別れになってしまいますわね。これからも毎日見舞いに訪れるつもりですけれども。
「退院おめでとうございます、お嬢様」
未だベッドに腰を据えたままのメイドさんが、早速労いの言葉を向けてくださいました。
変身装置の肉体強化加護を受けている私とはちがって、彼女は正真正銘の生身100%なのです。三年強寝たきりだった一般人が二週間弱で完治するほど人間は丈夫には出来ておりません。
アナタはもうしばらくココでご休養くださいまし。何事もなく健やかに過ごしていただければ満足なんですの。
「ふっふん。えっへんですのっ!
そのうち〝我が家〟のことを問い詰めに舞い戻ります。施設の中をぐるりとお散歩しながら、嫌になるほど根掘り葉掘り聞いて差し上げるつもりですのでご覚悟なさいましっ。
……さっさと歩けるようになっていただけないと困っちゃいますの。アナタ待ちなんですのっ!」
「ふふふ。かしこまりました。お嬢様の望みとあらば」
無理だけはしないでくださいまし。
アナタの代わりは居ないのでございます。
最後にお二方に一礼し、ベッドの脇に置いてあった変身ブローチを握りしめます。病衣のままではなにかと不便ですの。帰りしに人目に付いてしまいますし。
「……偽装 - disguise - 」
胸の前に掲げて小さく呟きます。
久しぶりの黒泥操作のお時間でしてよ。
手に持ったブローチから間髪入れずに鈍い紫色の光が放たれ始めました。絶えずどくどくと脈打ちながら、その表面から黒い粘液を溢れ出していきます。
私の腕を伝って身体全体をすっぽりと包み込んでいきましたの。うねうねドロドロとした感触が次第に滑らかなものに変わっていきます。
形成するのはいつものネグリジェですの。黒色で薄手でほんのりと透けていて、軽くてサラサラとした質感がとっても着心地がよろしいのです。
「お嬢様。何ですかそのあられもないお姿は」
「これが今の私の普段着ですの。豪華なドレスも優美なお洋服も必要ありません」
完全なる素っ裸か、もしくは一枚羽織っただけのネグリジェ姿か。今では薄着の方が慣れてしまいましたからね。需要というモノは恐ろしいですの。
胸の部分にブローチを取り付けて、これにて変装完了ですの。
はーあっ。やっぱりこの状態が一番落ち着きますわね。
「……なるほどかしこまりました。けれどもお嬢様。今しれっと人前で変身なさいましたよね」
「それもっ! 別に今更隠すモノでもありませんしっ!」
退室する間際、メイドさんの驚き顔が目に映ってしまいました。そういえば現役時代も含めて、直接的に変身シーンをお見せしたことはありませんでしたっけ。
「もう秘密もへったくれもありませんもの。口うるさく言うポヨもおりませんし」
「あら、ポヨ様いらっしゃらないのですか? 先日お見舞いにいらした小暮様のお肩には、プニ様が乗っておられたようですが」
「……少々口が滑りましたの。メイドさんには関係のないことですのっ」
聞きたくもありませんでしょう。アナタを寝たきりにしてしまった元凶のお話なんて。
ネグリジェの裾をふわりと翻し、病室をあとにいたします。とりあえずまずは自室に帰りますの。
その後は総統さんのところにも顔を出しますのっ。
「…………喧嘩でもなさったのでしょうか……」
最後に聞こえてきたメイドさんの呟きがやけに耳に残りましたが、イチイチ気に留めていては前に進むことはできません。
私はひたすらに歩み続けなければなりませんの。
時折立ち止まることはあっても、既に過去と向き合い終わった私にはもう、振り返っている暇など一秒もないのでございます。
小さく拳を握り締め、無言で自室への帰路を辿ります。
久しぶりに歩んだ地下施設は相変わらずやたらと生温い空気が漂っておりました。
道すがらに通り過ぎる扉の奥からは、絶えず阿鼻叫喚ならぬ阿鼻嬌声が聞こえてきております。
ふふ。どこもかしこもいつも通りみたいですわね。
けれどもこれが……私の勝ち得た大切な日常そのものなんですの。誰にも邪魔はさせないのでございます。