変身装置
ギムナジウムは大浴場の近くに建設されております。
汗をかいてもすぐに流せるようにとの配慮なのでしょう。
地下施設では後から後から増設されるのが主だというのに動線がよく考えられておりますわね。穴掘り建築のプロがいらっしゃるからでしょうか。
こちらは利用者こそあまり多くはありませんが、かといってそこまで遠く離れた場所にあるわけでもございません。足腰のか弱い乙女にも安心の造りですの。
大浴場に繋がる暖簾はくぐらずに、そのまま道なりに進んでまいりますと目的の施設へ到着いたします。大きな横開きの重い金属ドアがギムナジウムの目印です。
本当にか弱い乙女ならこじ開けるのも苦労するのでしょうが、悲しいことに私は〝元〟魔法少女。コレくらいは小指一本ちょちょいのちょいで動かせますわね。
とりあえず扉に指をかけてみます。
あら? 中から光が漏れ出てきておりますの。
どなたか既にいらっしゃいまして?
小指で開けたドアの隙間から中を覗き込みます。
「……あれは……ご主人様、ですの?」
狭い隙間から見えたのが上は裸で下は白い軍服、そして何故だが帽子は被ったままという奇妙なお姿でした。一瞬戸惑いましたがこの私が見紛うはずもございません。っていうかそんな変な格好するのはこの施設にはご主人様くらいしかおりませんの。
もう一度しっかり眺めてみれば、半身に汗を滲ませた総統閣下が一昔前に流行ったようなぶら下がり健康器具で懸垂をしていらっしゃるところでございました。
滴る汗と身体のあちこちに残る古傷が漢らしさをより強調しておりまして、思わず駆け寄ってその胸板に頬擦りして滴り落ちる汗をれろれろ舐め回したいほど逞しいお体をしております。
理性を強く持っていなければ今すぐにでも私の変態性が顔を出しそうですの。
それにしても何でこんなところに。
そして何でこんな時間に。
総統閣下にも眠れない夜があるのでしょうか。
「……コッホン。こんばんは、ですの」
意を決して扉を潜りお声掛けさせていただきました。
「ん?」
私の言葉に振り向き音もなく軽く着地してみせたお姿にどうしようもなく胸がキュンと小躍りしてしまいましたが、あえて表情には出しません。
「ああなんだブルーか。どうした? 何か用かこんな時間に」
「いえ、少々寝付きが悪かったものですから、散歩がてらふらりと立ち寄っただけですの。ご主人様こそどうしてこのような場所に?」
「書類整理に飽きてな。体を動かそうかと思って立ち寄ったら、いつのまにか本格的に……ってところさ」
器具にかけてあったタオルで顔を拭い、正面から向き合ってくださいます。なるほどこんな時間までお勤めなさってたんですわね。本当にもう頭が下がりますの。
「お邪魔してすみません。よろしければそのままお続けなさって。じっとりと眺めさせていただきますから」
「それはそれで気が散るんだからな……。ま、そろそろ切り上げようかと思ってたところだよ。気にすんな」
それは残念です。見ていられるだけで満足でしたのに。
それこそ舐め回すように見ましたのに。
「お前こそ体動かしに来たんじゃないのか?」
「ええ、そのつもりでしたが……ほら、考えてみれば私、こんな格好でしたし。何かあればと思って足を運んではみましたが、今の姿ではウォーキングマシンくらいしか使えませんわね」
薄い布切れ一枚しか羽織っておりませんもの。それにただ歩くだけなら廊下を散歩するのとあまり変わり映えしませんし。
景色の変わらぬマシンでストイックに歩き続けられるほど今の私の気は長くはありませんわね。
それよりも総統がお帰りになられるのでしたら途中までご一緒させていただきましょう。それだけでもうルンルン気分なんですの。
朝までご一緒出来ないのは非常に残念でなりませんが、私は身分を弁えられる賢い女です。高望みはいたしません。
ですからその使ったタオル、何も言わずに私にお預けくださいな。部屋に帰ったら有効活用させていただきますの。
「……あ、そうだ、ブルー」
「なんですの?」
まだ何かお話がありまして?
すぐにでも司令室に戻られるのではありませんの?
あとそのタオルは置いておいていただいて構いませんのよ。私が責任を持って処理しておきますから。
「そんなお前に丁度いいもんがあるぞ。聞いて驚け」
「タオルですのね? 使用済みですのね!?」
もう目線が手に持たれる真っ白タオルに釘付けになってしまっておりましたが、いざ総統の顔を見てみますと珍しくニヤニヤとイヤらしい顔をしていらっしゃいました。
……こういうときは大体良いものではないと相場が決まっているのですが、総統閣下のことです。
そのまさかがあるかもしれません。
「ジャジャーン!」
総統が軍服のポケットから何かを取り出します。
両手に乗っておりましたのは、手のひらサイズで、エッジの鋭いコウモリのような形をしていている……これはブローチなんでしょうか。衣服に取り付けるような。
受け取ってまじまじと見てみると、中央には青紫色の宝石が嵌められており、部屋の光をキラキラと乱反射させております。何とも目を奪われてしまう綺麗な品物です。
見る人が見たら悪趣味にも思えるデザインでしょうが、その姿形は私の厨二心をダイレクトに刺激いたします。
プレゼントなのでしたら有り難く頂戴いたしますが、別に今の私に丁度いい品かと言われると首を傾げてしまいますわ。
「で、なんですの? コレ」
「変身装置だ」
「え? あ、へんし、嘘ええッ!?」
「の、まだ試作品段階だけどな。今日研究開発班から上がってきたんだ。前々から押収してあった装置の解析が進んで、ウチにも似たようなの作れるんじゃないかって話でさ」
「はえー……」
思わず情けない声が漏れてしまいましたが感心してしまうのも仕方ないでしょう。ホントウチのスタッフは優秀ですのね。
毎回毎回簡単に言ってくれますが、転送施設とか洗脳改造とか、やってることはほとんどオーバーテクノロジーの塊なんですの。ニュートンもエジソンも裸で踊り狂うレベルってことをご自覚なさっているんでしょうか。この組織の皆さんは。
「さっそく使ってみるか?」
「もちろんですのっ」
変身とかもう何年ぶりでしょう。決めポーズとか決めゼリフとかありましたわよね。最初聞いた時は驚き照れてしまっておりましたが、何度もやっているうちに自然と馴染んでしまったこと、今でも鮮明に思い出せますの。
最初のポーズさえキメてしまえばきっと今でも体が覚えているでしょう。それではいきますよ?
「あっ待て」
「着装 - make up -!」
右手でブローチを握り、ビシッと胸の前に構えます。その後勢いよく腕を前に突き出し、ガッツポーズ。思いの外コウモリ翼の鋭凸部分が掌に突き刺さって痛いですが今は関係ありません。
幾度となく構えてきたこのポーズ、やはり数年経ったくらいでは少しも色褪せませんね。しっくり身体に馴染んでいるかのようです。
私の声に起因して、やがて装置からは可憐でカラフルで暖かい光が溢れ、それが私の全身を優しく包み込み一一ませんの。
「……あれ? 別に何も起きませんわよ?」
全くウンともスンとも言いませんの。
構え自体に問題はないでしょう。ビシッと見栄えよく様になっていると思います。セリフだってしっかりはっきり言いましたわ。でも何の反応もないのです。
もしかしてこんな寝巻きの格好では装置の機嫌がよろしくないんですの? 脱いで差し上げればよろしいのかしら。
それともどこに仕舞ったかは覚えてませんが、当時の制服とか引っ張り出して着てみたら呼応してくださるのでしょうか。
必死に思考を巡らせてみますが、状況は一向に変わる気配を見せません。
にしてもこの決めポーズの格好、側から見たらどうなんでしょう。日曜午前のテレビ番組のような人気ヒーローの玩具を買ってもらったお子様がやるならまだしも、私の年齢となっては結構恥ずかしみが全開なんでございましてよ。
今時やるのは休日の痛い勘違い系コスプレイヤーくらいでしょうに。
見られている相手が総統さんだけでよかったです。冷静になってみるとコレって正直かなりの赤面ものですの。