この手を青く染めたあの日から
私も茜も、メイドさんが眠るベッド脇から一歩ずつ下がります。一番近く寄れる場所は翠さんに譲って差し上げますの。
どうかお側に居てあげてくださいまし。
貴女にはその権利がございますもの。
恐る恐るといったご様子で翠さんが近寄ってまいります。既にその手はふるふると震え、口元はぐっと横一文字に結ばれ、瞳も潤み始めていらっしゃいます。
ベッドの縁に手を掛けて……今、その内側を視界に映されました。
「…………燦、姉さん……っ」
横たわる姉の手を取って温もりを確かめなさいます。
ほら、温かいでしょう? だからご安心くださいまし。今も確かに生きていらっしゃいますの。
ただスヤスヤと眠っていらっしゃるだけなのです。
貴女にとっては何年ぶりの手なのでしょう。決して独り占めしていたつもりはありませんが、どうか今は妹さんが一番にご堪能くださいまし。
「今にも起き出してきそうですわよね。ホントに、この人ったらおねむが過ぎましてよ。私にはいっつも起きてくださいませって叱ってきましたのに」
言われなくなってしまうのも寂しいものです。
長い長いお寝坊を続けているだけで、いつかはきっと目を覚ましてくださると信じております。
翠さんの頭も、そして私の頬も、その腕を伸ばして優しく撫でてくださる日を心待ちにしておりますの。
……ええ。その日が来たるまで。私はいつまでも待ち続けて差し上げる所存です。
「……残念ながら彼女はもう三年間は目を覚ましておりませんの。こうして寝たきりのまま、ずぅっとココで養生していただいているのです。
未だ地上に戻れない意味、これでご理解いただけましたわよね?」
翠さんに問いかけて差し上げます。
返ってきたのは無言だけでございました。
ですが微かな頷きも見えたような気もいたしましたの。ひとまず安心しておきましょう。
言葉を失ってしまうのも無理はございませんの。
私だって倒れた直後の茜やメイドさんを見たときは気が動転して何も考えられなくなってしまいましたもの。
実の姉のこととなれば尚更でございましょう。
「…………答えろ。……イービルブルー」
「ふぅむ?」
姉の寝顔を見つめたまま、真剣なご表情の妹さんが私の変身名をお呼びなさいます。よく見てみれば、血が滲んでしまいそうなくらい拳を固く握りしめていらっしゃいましたの。
「…………姉をこんなふうにした奴は、誰だ」
込められているのは怒りの感情のようです。
私やお近くの怪人さん方には向けられていないことから、心の中では私たちが犯人ではないのだとご理解いただけていると判断ができます。
拳を交えて心の内を吐露し合った甲斐がございましたわね。こっそりとほっと胸を撫で下ろします。
「イービルブルーって美麗ちゃんのこと?」
「どうやらそうらしいプニね」
「ああ。この前芸名変えてみましたの。今の私はもう、魔法少女ではないのですし」
「芸名ってお前プニ……」
こちらはこちらで別の疑問に触れていらっしゃいましたので雑談感覚で先にお答えして差し上げました。
ポヨをこの手で殺めた私に虹色の煌めきは似合いませんからね。地の底に堕ちた私には眩しすぎる肩書きなのです。
偽りの黒泥を纏って戦う、孤高で優美な哀戦士。
その名を、魔装娼女イービルブルー。
コレはコレでなかなかカッコいいではありませんの。
今のところは世界でオンリーワンな名前ですが、この先もしメンバーが増えていったら別途ユニット名みたいなモノも考えてみてもよいかもしれませんわね。
もちろんこの私がリーダーを勤めるとして……美麗小隊なんてのはいかがでしょう。横文字にしたらMiplatoonです。なんだか子どもたちに流行りそうな名前ですわね。
さて。そんな脇道のお話は置いといて、ですの。
翠さんの犯人は誰だという問いかけに、イチ当事者として、私には答える義務があるのでございます。
「どうか驚かないでくださいまし。貴女のお姉様を傷付けたのはヒーロー連合本部の奴らですの。かつての私の、そして現在の貴女方の〝元締め〟ということになりますわね。腐った正義を振りかざす野蛮な連中です。あんなのが正義を語っているだなんて絶対おかしいですの」
大衆正義なんてクソ喰らえですのっ!
私と対峙したユニコーン男とフェニックス男は確か、本部から派遣されてきたなどと宣っていたかと思います。
現役の私では少しも歯が立たないほど強くて、おまけに最上級に憎たらしくて、己の権威に胡座をかいているような連中でしたわね。
彼らの鼻っ面を折って差し上げたいのは山々でしたが、非力でひ弱な私では太刀打ちできるわけもなく……ただただ攻撃に耐えるばかりで、先に捕らえられていたメイドさんを守って差し上げることはできませんでした。
今だって不甲斐なさで枕を濡らすことがありますの。
悔しさの気持ちを胸に乗せたまま、過去語りを続けさせていただきます。
「奴ら、連合の意向に従わない私に罰を与える為か、全く関係のないメイドさんを人質に取って、そして無意味に傷付けていったのです。
沢山の血を流されて、そのうちに気を失われて……最後の方は息さえしておりませんでした。
ホントにギリギリのところで命を救ってくださったのがそこにいらっしゃるカメレオンさんです。いち早く彼女を戦場から連れ出して、ここまで送り届けてくださいましたの」
「ケッ。俺ァ総統閣下の命令に従ったまでだ。ちっとも本意じゃあネェ。……だがまぁ、間に合ってよかったナ。死んじまえば全部パァだからよ。この世に首の皮一枚繋がってるだけ何倍もマシだろ」
こんなふうに口も態度も悪いですが根は真面目でなかなかにカッコイイ方なのです。総統さんからの信頼の厚さにも頷けます。
話題には上がっておりませんが、ここに居るハチさんだってかなりの功労者さんです。生と死の狭間にいらしたメイドさんをこの状態にまで安定化させてくださったのは彼女なのですから。
他にも感謝したい方がいらっしゃいますが、あげていったらもうキリがありません。この秘密結社には素晴らしいチカラをお持ちのスペシャリストが沢山いらっしゃいます。
それは戦闘力であったり治療力であったり技術力であったり。
私も茜もメイドさんもここにいれば安心できますの。豪傑揃いの地下砦なのでございます。
でも、このままでは何も変わらない、と。
地下で怯えたまま暮らす未来があるだけだ、と。
私自身も分かっているのでございます。
……この際ですから打ち明けてしまいましょうか。
「ここから先は私の願望の話になりますけれども。実は私、近いうちに連合本部に殴り込みに行こうかと思っておりますの」
「み、美麗ちゃん!?」
ずっと私の中で温め続けてきた内容です。
今までどなたにも告げたことはございません。総統さんにだってナイショです。
ただ、聡いあの人のことですの。既に気付いてくださっている可能性が高いです。
この変身ブローチを授けてくださった理由を深読みすれば、むしろそうとしか思えないくらいなのです。
以前話されていた慰安要員として以外の活用方法。
やっぱりそれは戦闘員としての器用だと思われます。
私のたった一つの望みは〝安寧〟ですの。
たとえメイドさんが目を覚ましたとして、私たちがまた安全に地上を闊歩できるようになる保障はどこにもございません。
いつどこでまた連合の魔の手が襲い掛かってくるのかとても分かったものではないのです。
かといって一生変わらぬ地下暮らしというのも悲しいですの。いつかは暇を持て余してしまいましょう。
ここを拠点にするのは別に構いませんが、たまには数日間の旅行にだって出掛けてみたいのです。
しかしながら、いつでもいつまでもボディガードをお頼みできるほどカメレオンさんを始めとした怪人さん方はお暇ではありません。
自分の身くらい自分で守れなくては。
そして目先の脅威が分かっているのなら、その大元をぶっ叩いておけば全てが丸く収まります。
元凶を断たねば真の平和は訪れないのです……!
この身に受けてきた屈辱を何倍にも何十倍にも増してやり返して差し上げて、金輪際私たちには手出しできないように思い知らせて差し上げたいのです……ッ!
「……復讐は何も生み出しませんの。そんなことは百も承知です。けれども私、私の愛する人たちを守るために。私の愛するこの世界を少しでも住みやすくするために。
絶対にやり遂げなければならないのでございます」
この手を青く染めたあの日から。
既に私の心には冷たく凍り付いた部分がございます。
酸いも甘いも知ってしまった私は。
目一杯わがままを貫かせていただきますの。
もう、ただのいい子ちゃんではいられませんから。
実は結構おこが溜まっておりますの。
第4章のテーマは既に決まっております。
その名も「復讐編」……!
字面からしてとっても物騒な雰囲気ですよね。
辛くて悲しい物語なんて正直もう一文字も書きたくありませんが、書かなければこの作品に大団円が訪れてくれませんから。
また、美麗ちゃんは戦場に舞い戻ります。
今度は己の心にまっすぐに付き従って。
もうしばらく第3章外界編は続きますが
どうか心温かくお付き合いくださいませ。
ではでは読者の皆々様。今度とも。
もとまほにっぺん。をよろしくお願い申し上げます。