客人
両手に華と言えば聞こえがよろしいのですが、実際は気絶した女子二人を抱えたおっそろしい怪人さんです。
「ンじゃとっとと帰るぞ青ガキ。酔うからお前は座っとけ」
「ええ。もちろんそうさせていただきますの」
プニ入りの黒カゴを抱っこしながら腰を下ろします。
ホットなアスファルトが容赦なく私のお尻を焼いてきますの。
若くしてこんがりステーキにはなりたくありませんから、なるべく早くしてくださいまし。
複数で転移するときは身体の一部に触れていないといけないんですのよね?
少々はしたないですがカメレオンさんのお靴の辺りに指を伸ばさせていただきます。
本当は股の間にでも手を突っ込んで差し上げたいところなのですが、そうすれば十中八九膝蹴りが飛んできてしまうでしょう。
その後は間違いなく顔面ヒットしてしまいますのでここは渋々、自粛の一択しかないですの。
私のソフトタッチを目でもご確認なさったのでしょう。
「……フゥ。転移」
カメレオンさんが静かにお呟きなさいました。
すると駐車場全体がお声に呼応するかのように淡く発光し始めます。
ルーメンだかカンデラだかルクスだかは忘れてしまいましたが、地面から漏れ出る光が徐々に強くなっていって、終いには身体全体をギラッギラと包み込み始めましたの。
この後に襲い来る浮遊感に備えるため、そしてこの光の暴力に耐えるため、今のうちから目を閉じておきます。
あっ。きましたのっ。ふわっとしましたのっ。
アツアツの地面からお尻が離れちゃいましたのっ。
それだけなら別によかったのですが、次第に暑さも冷たさも何もかも感じなくなっていって……いくら経験しても決して慣れることのない胃が浮く感覚まで受けてしまって……!
あ。今まさにおゲロさんが上ってきております。
舌の付け根辺りもほんのりと苦くなってきましたの。
リバースまであと10秒ほどでしょうか。
むしろそれどころか意識が保つかどうか……ッ!
転移とは常に己の限界とのバトルなのでございます。
内臓たちが一斉にブレイクダンスを始めたかのような不快感を覚えつつ、また頭の中でも脳を直接手捏ねされているような気持ち悪さをダイナミックに味わったのち――
「……ぅぇっ……ぷぇ…………」
「ホラ着いたぞ。お前マジで酔いやすいのナ」
「ぅぅ……みたい、れすわね。そのうち体質改善の改造手術でも施していただきましょうかしら……」
――ホントにギリギリのところでお尻が床に〝再ごきげんよう〟してくださいました。
身体に掛かる重力に従って、のぼりかけた胃液が元の位置に戻っていくのが分かります。
ああ、今度の床はほんのり冷たいですの。
肌に感じる空気も同じくです。
茹だるような外の熱気は消え失せて、地下施設特有の整えられた空調が私の身体を優しく包み込んでくださいます。
深呼吸を二、三回ほどいたしまして、目を開けて周囲を確認させていただきました。
よかったですの。ここはアジトの転移室ですの。
無事に帰って来れたようですわね。今ではこちらの方がずっと落ち着くことができるのでございます。
「このガキ共は寝かせたまま病室に連れてくぞ。そっちの変身装置は? 生きてっか?」
「……もう何回頭ぶつけたか分からんプニ。いったい何が起きたプニか」
「ぅぇっぷ。企業秘密ですの」
瞬間転移したとは口が裂けても言えません。
その為に黒い覆いで囲っているのですし。
この転移室から出たらまた壁面を透明に戻していただけると思いますの。それまでもうしばらく我慢していてくださいまし。
ふらつく足に気合いを入れ直して立ち上がります。
既に部屋の入り口の方へと歩みを進め始めているカメレオンさんの背中を追います。
「ちょっとぉ、少しくらい待ってくださってもよろしいのではありませんでしてぇ……?」
実際に追いついたのは転移室を出てから少し歩いた先の通路でございました。いつになく早足でしたから少々時間が掛かってしまいましたの。
ようやく酔いが覚めてきたのはよいのですが、私が小走りにならなければいけないほど、中々のスピードでご移動なさっていらっしゃるのです。
「ホラ。ボヤボヤしてんとコイツらが目ぇ覚ましちまうだろ。ただでさえ上層は狭ェ通路ばっかしなんだ。馬鹿みてぇに4人で列になって歩くのはさすがに目立ちすぎ……っと。ほう」
「うぇっぷ!?」
言葉を言い切る前に急に立ち止まられました。ちょうど曲がり角のところでしたの。
私、完全に前方不注意状態になっておりましたから、彼のお背中に鼻から追突してしまいます。
「んーもう、何なんですの!? 早足になったり、かといえば急に立ち止まったり!」
「青ガキ。多分オメェらに客人だ」
「はぇ?」
このタイミングで客人でして? オメェらってことはこの私と手元のプニに対してって意味ですの?
けれどもここは結社のアジト内でしてよ?
客人に成り得る方なんていらっしゃいまして?
むしろ今日に関しては花園さんと翠さんがお客様であって、それ以外の方などどなたも該当しないと思いますの。
それこそ外部からの侵入者であったら施設内が大騒ぎになっていると思いますし。
早速ですが皆目検討もつきません。疑問符を浮かべる私をよそに、カメレオンさんが通路の脇に寄ってくださいます。
……彼の先にすっくと佇んでいらしたその人物。
それは、私のよく知っている方でございました。
「やっほ美麗ちゃん。ごめん。居ても立っても居られなくなっちゃったからさ。つい私の方から迎えに来ちゃった」
「嘘!? 茜っ!? どうして!?」
「おい今ッ! 茜と言ったプニかッ!?」
親友の茜が目の前にいらっしゃったのです。
この子ったら、一目ではドレスかと見紛うほどの美しい赤のネグリジェ――つまりは慰安要員の正装を身に纏っていらっしゃいます。
これを着るときは大抵は総統さんのお相手をさせていただくときだけですの。服の整い具合から察すればまだ事後ならぬ事前のご様子です。
今から総統さんのところに向かおうとしていたのか、それとも行為の途中でお暇をいただいて抜け出してきたのか。そんなことは今は瑣末事でしかありません。
大事なのはこの上層に茜がいるということなのです。健康診断の度に目隠しをして何かに怯えながらよちよき歩きしか出来なかった茜が。
堂々とこの地に立っていらっしゃいますの。
突然の登場に、ほんのり申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていらっしゃいます。ふっと息を吐いてゆっくりと言葉をお続けになられます。
「えっとね。さっき総統さんから聞いたんだ。プニが、今日ここに来るんだって」
「……っ!」
とても綺麗な瞳をしていらっしゃいました。
曇りも淀みも穢れの一つもない……かつて私が現役だった頃にずっと見ていた……懐かしくて力強くてこの世の何よりも透き通っている――あのまっすぐな瞳をしていらっしゃったのです。
もしかしてあなた、記憶が……ッ!?