じゃ、帰るか
駆け寄ってモグラさんにご挨拶いたします。
「すみませんの、お待たせいたしましたわ。今日はありがとうございました。おかげさまで無事に今を迎えられたと思っておりますの」
「いやいや、そんなそんな」
またまたご謙遜をしなさって。照れていらっしゃるのか、後頭部のあたりをポリポリとお掻きになられます。
貴方が爆弾解体をしてくださったから、私も情報共有やら捜索やらに集中出来たのです。
競馬好きなイチ殿方という位置付けでなく、お仕事の方もキッチリとお熟しになるステキなおじさまなのだと再認識いたしましてよ。
今日は途中で邪魔が入ってしまいましたが、また賭博の場にお出かけする際は是非ともご同行いただいて、ご指導とご鞭撻をいただきたいものですの。
よろしくお願いいたしますわね。
「じゃ、帰るか」
「ええ」
カメレオンさんのお声がけを合図に、私たちは他のご来場者さん方に怪しまれないよう、素早く多目的トイレの中へと駆け込みます。
ふぅむ。おーけーですの。
中にはどなたも居らっしゃいませんの。
ハタから見れば今にもイケないことをおっ始めそうな集団なのです。だから尚更出入りを見られてはいけないんですの。
ただし、勘違いはしないでくださいまし。モグラさんはともかく、カメレオンさんの方は絶対に私に手を出してくださいませんの。
つまりはおっ始まる可能性がほぼ皆無なんですのッ!
ご期待いただいても無駄ですのよ。それに私も今は気分が乗っておりませんし。さっさと自室に帰って、心と身体を休めたい気でいっぱいなんですの。
カメレオンさんが多目的トイレの中央に立たれます。
「青ガキ。移行先でまたゲロられても困る。先に腰下ろしときナ。転移室に便器はネェからヨォ」
「確かにっ。了解ですのっ……うぁっ」
「どうした?」
「おトイレで座り込むって、なんだか少しばっちぃ気がいたしまして……」
だって、ピカピカのタイル張りとはいえ、よく知らない方々のよく知らない体液が飛び散っている可能性だって捨て切れませんのよ?
私自身がお便器になる際は別に気にいたし――おっと、これ以上はいけませんの。お忘れくださいまし。マル秘のナイショ話でしたわね。
仕方なく、ちょこんと膝を抱えて床に座り込みます。直前にお掃除係の方が責務を全うしてくださったことを祈るばかりです。
「じゃ、お前ら準備はいいナ?」
「ほほいですの」
カメレオンさんのお尋ねに、私とモグラさんが返事と頷きをお返しいたします。
あの奇怪な浮遊感に耐えられるよう、ついでに首も伏せておきましょうか。
私は人よりも酔いやすいみたいですからね。尚のこと警戒しておいた方が身の為ですの。グググと身体を強ばらせて違和感に備えておきます。
「ぃヨォシ。〝転移〟!」
カメレオンさんが声高らかに宣言なさいます。
すると床の辺りから淡い光が放たれましたの。魔法陣というよりは、炎の出ないガスコンロのような規則正しい感じで……!?
なんとなく青白くて、ほんのりと温かくて、私の身体全体を包み込んでくださるような……あの独特な雰囲気がございます。
床につけていたはずのお尻がふわりと浮き上がりました。とほぼ同時に、真っ白一色に染まった視界のせいで上も下も右も左も分からなくなってしまいます。
地底から空天に落ちるかのような、世の理の重力さえも受け付けなくなってしまった錯覚がございますの。
ぶわわと不自然に胃が浮き上がったような気色の悪さを感じておりますと……!
ブツン、と。
やがては私の意識はいとも簡単にブラックアウトしてしまいました。
テレビモニターの電源を落としたときのように、ほんの一瞬で真っ暗になってしまったのです。
白の視界だったり、黒の思考だったり……! こういう色のチカチカが連発するから酔ってしまうんですのぉ……!
――――――
――――
――
―
硬くて冷たい床の感触に目が覚めてしまいました。とは言ってもタイル張りのあのツルツル感はございません。
どちらかというと、打ちっぱなしのコンクリートのような、無機質な感じでして……?
「オイ起きろ青ガキ。着いたぞ」
カメレオンさんのお声が聞こえてまいりました。意外にもすぐ目の前からでしたの。
「ふわぁぁ……ぁふ……はふぅ」
「よう。大丈夫そうだナ。吐き気はネェか?」
明順応に乏しいこの目で見る限りでは、わざわざ膝立ちになられて、私のことを心配してくださっているらしいのです。
「え、ええ、そこまでは」
気絶復帰特有の息苦しさはあるものの、さすがにおゲロが口からごきげんようしてしまうほどの気持ち悪さはありません。座って正解でしたの。
段々とクリアになってきた視界で改めて周囲に目を向けてみますと、今居るここは今朝方訪れた〝転移室〟でございました。
だだっ広い空間に、大きな三つの青光円。
そのうちの一つの中で、無防備に意識をぽいっとしたまま寝っ転がってしまっていたようなのです。
変な体勢で横になっていたものですから身体の節々が痛いですの。ズキズキ系というよりジンジン系の鈍痛です。
おまけにこの倦怠感は……もしかしなくても筋肉痛の初期症状でしょうか。身体への反応が早い、つまりは若いってことですの。ふふふ。
無事に帰ってこれて何よりですわね。
「じゃ、今日はもうここで解散だナ。俺は総統閣下に伝えとかなきゃいけネェことがあるから最下層まで潜るが……ま、お前らは好きにしてくれ」
「なら私もご一緒させていただきますのーっ」
「いンや、今回はダメだ。ちょいとオトナなお話をするからよォ。ガキの入れる隙間はネェ。儲けた小遣いについては後日に請求してやってくれ。閣下もなかなかにお忙しいお人だからナ」
何故だかピシャリとシャットアウトされてしまいました。いつも以上に真剣そうなお顔に、思わず一歩分後退りしてしまいます。座ったままですけれども。
「うぅぅ……カメレオンさんは、いつだって私のことを子供扱いなさいますの……」
「実際、まだまだお子ちゃまだからナ」
ふっと微笑みながらため息をお吐きになります。冷たさはなく、むしろ優しげで、隠すというよりは私のことを何かから守ってくださっているかのような……?
仕方ありませんの。
貴方に免じて素直に従って差し上げましょう。
カメレオンさんのお手に引かれ、ゆっくりと立ち上がります。