力の差
「…………いざ!」
力強い掛け声を皮切りに、彼女が一気に駆け出します。
私も迎え撃つように接近いたしますのッ!
お稽古つけて差し上げましてよッ!
靴のつま先部分だけを泥状に変化させまして、そのまま粘体で地上を滑るように移動いたします。
まるで縦横無尽に移動できるローラースケートみたいですの。石鹸の上に乗ったようにスイスイとらくらく移動が可能なわけですわね。
一辺倒な動作では先読みされてしまいますの。ときおり泥を地面にへばり付かせて、急停止と急カーブをランダムに繰り返して差し上げます。
接近と離反、加速と減速を巧みに織り交ぜたフェイントですの。
体にかかる圧で胃が悲鳴を上げておりますが、その辺は我慢でどうにでもなるのです!
居合の間合いに入り込まなければ被害のリスクは無いに等しいでしょう。しかし、それではこちらも痛快な一撃を加えることはできません。
彼女の隙を伺いつつ、死角からぶっとい杖棒を捻じ込んで差し上げる必要がございます。
痛みを得て劣勢さを実感したら、さすがに少しは頭を冷やしてくださるはずです。
「……おかしいですよ……なんで、なんで、戦う必要があるんですか……!? 美麗さんも、翠ちゃんも、さっきまで、あんなに楽しそうにお話してたのに……!」
うずくまるピンクさんのお呟きが、この耳にしかと届いてしまいます。掠れた、悲しそうなお声ですの。
けれども今は聞こえなかったフリをするしかございません。
まずは目先の分からずやさんを止めねば、貴女とも冷静にお話することだって叶わないのですから。
ともかく今はグリーンさんの周りをぐるぐると回って様子を伺います。
「……ちょこまかと、こざかしいヤツめ」
悪態も聞こえてまいりますの。
「ふふん。真正面からイけるほど私は阿呆ではございませんの。多角的かつ多種多様な手段を用いた方が、夜のお伽噺は燃え上がれましてよ?」
「……ほざけ淫売」
あら、私の発言の意を正しく汲み取っていたただけまして? もしかしなくてもムッツリさんなんですの?
ほほーん、見かけにはよらない子ですわね。武士道精神という鎧を剥がして差し上げたら、トンデモない性癖がこんにちはしてしまうかもしれません。これは楽しみですの〜。
とはいえ、私も攻撃の隙が見つけられなくて困っておりますの。
肉切骨断できればそれに越したことはないのですが、肉を切られてそのまま終わり、という可能性もゼロではないのです。
このまま膠着状態では、闇雲に時間と体力だけを消費してしまうだけ……!
持久戦になれば、杖を構えて動かない彼女の方が二倍も三倍も有利です。
仕方ありませんわね。譲歩というわけではありませんが、こちらから歩み寄って差し上げましょう。
正直に言って刀杖の間合いに踏み込むのはあまり得策ではございませんが……搦手を駆使すれば何とかなるはずです。
できる限り姿勢を低くして、彼女の真後ろから奇襲を仕掛けます。イメージは野球のスライディングですの。
当然超反応なさいまして、素早く半回転して刀杖の切っ先の差し向けてきますが――
「ふっふっふ。予測通りですの。効きませんのよ」
――私も手に持った杖を当てがって防ぎます。
一瞬だけ美しい火花が散りましたわ。
ただ、それだけで終わらせるつもりはございません。
私の泥杖で、彼女の刀杖をドロリと包み込むのですっ……!
覆った後は素早く固形化し直しまして、互いの杖をガッチリと結合いたします。炎熱によって表面がボコボコに溶けてしまった蝋燭みたいな感じになりましたの。
「……なっ……!?」
「〝戦いの基本は格闘〟なのだと、貴女の相棒さん方から聞いてませんこと? 得物に頼ったスタイルは、魔法少女的には二流もいいところでしてよ。まずは拳から鍛えませんと」
とりあえずの一撃として、無防備な細身のお腹に強烈なグーパンチを放って差し上げます。
もちろんクリーンヒットいたしましたの。
肌表面には傷は残さない、けれどもどちらかというと内臓側を揺らして差し上げる系の、キツめの拳撃なのでございます。
しっかりと鍛えていらっしゃる貴女なら……せいぜいお通じが良くなる程度のダメージではありませんこと?
「……んグッ……卑怯、なァ……」
グリーンさんが苦しそうな呻き声を上げます。
「杖であれ騙し討ちであれ、使えるテは何でも使いますの。得物自体に頼らない戦い方、少しは身に付けてみてはいかがでして?」
貴女の剣技も素晴らしいとは思いますの。
見ているだけで切れてしまいそうな固くて鋭い刀杖と、それを素早く振るう超絶技術。
沢山の修行と鍛練の程が伺えますわね。
ですが、固くて鋭いだけではダメなんですのよ。
棒状のモノを扱うなら、他に大事になるのは適度な太さと持続力。それと適切な場所を的確かつ柔軟に攻められるセンスの良さでしょうか。
全てがイイ感じに揃ってこその〝ご立派〟なんですの。まだお子ちゃまにはこの良さは分からないでしょうけれども。
あと貴女には関係ありませんが、もし殿方の棒なのであれば、連発性、回復力、吐出量なんかも忘れてはなりませんのっ。
うふふ、ふふふふ……ふふっ。
「私の杖はあくまで戦術のサポート用。攻撃に使えないと思ったら、さっさと陽動か防御に切り替えるまでですの。その方が沢山の機転が生まれましてよ」
私には苦い経験があるのです。
敵側に浄化の光が効かないと思い知らされたあの日のこと。私は絶望いたしましたの。自慢だった発光杖ブレードも全く歯が立ちませんでしたし。
信じていたモノが砂塵のように霧散していく……あの酷い感覚を味わう必要はございませんが、片鱗を知っておいて損はないと思いますの。
今回は命の危険はございませんからね。私という〝優しい脅威〟を通じて、現役ちゃん方は安心安全にピンチを学んでいってくださいまし。
完全に絡め取った彼女の刀杖を、私の泥杖と一緒に手の届かない範囲に放り投げ捨てます。カランカランと乾いた音が辺りに鳴り響きました。
武器を奪われてからが本当のスタートでしてよ。
そこから動けなければ真の強者にはなれませんの。
多分、今のこの子たちでは何も出来ないでしょうけれども。
偽装変身によって新しく手に入れたこの〝黒泥〟の力。早速ですが杖にも衣服にも多様に活かさせていただいております。
例えば私の杖は形も硬さも自由に変えられるように強化していただいておりますわね。
鞭のようにしならせたり、縄のように相手のお身体を縛り上げたりと、硬軟問わず、そのときの戦闘スタイルに合わせた対応が可能となっているわけですの。
今回は彼女の刀杖を止めて奪い去る粘着棒として機能させていただきました。まだまだ沢山の応用方法が控えておりましてよ。いつかお披露目したいですわね。
このままグリーンさんをフルボッコにして差し上げてもよろしいのですが、それでは現役ちゃんたちはますます私の話を聞いてくださらなくなるでしょう。
今回はあくまで心を折るだけでよろしいんですの。
明確な敵対心までは植え付けたくありませんの。
「で? どういたしますの? このまま素手で戦いまして? 勝てないとお分かりですのに? 言っておきますが、意地と無謀は全く別モノでしてよ」
ご自慢の杖を奪われてしまっては、貴女は水を失ってしまったお魚さんですの。乾いた陸地でピチピチと跳ねるだけの、哀れで弱ったらしい存在に見えましてよ。
「…………くぅ……ッ!」
私の腕の中で悔しそうに歯噛みなさっていらっしゃいます。しかし、ようやく諦めてくださったのか、すんと肩の力を抜かれたのを肌感覚で理解いたしました。
ひとまず力の差を正しくご理解いただけたようですの。これ以上戦う必要が無さそうで何よりですのっ。
私も別に貴女を傷付けたいわけではございませんし。
「はぁ。とにかくこんな状態ではまともにお話できませんの。もう少し頭をお冷やしくださいまして?」
少々乱暴かもしれませんが、ピンクさんの方にストンと突き飛ばして差し上げます。
ご安心くださいまし。素っ転ばれるほどの距離はございませんの。二、三歩もたつきましたが、驚いた表情のピンクさんが抱き抱えるようにして無事に受け止めてくださいました。
「ねぇ後輩ちゃんたち。お互いもう少し冷静になって……そうですわね。また日を改めてお話いたしませんこと?
私もアナタ方にお尋ねしたいことがございますし、逆に聞きたいことも沢山ございますでしょうし……」
私自身、次にお会いするまでに、色々と考えをまとめておきたいですから。
メイドさんのこと、私が辞めた以降のこと、今のヒーロー連合の体制のこと、エトセトラ……。
もちろん先日アジトで聞いた情報も含まれているとは思いますが、そのときは未公開だった翠さんも交えて、キチンと共有し合っておきたいのです。
今の私が安全に過ごせるのか、否か。
何かを成さなければならないのか、否か。
私たちが考え無しに敵対すべきなのか、否か。
「…………そう、ですね。分かりました」
長い沈黙の後でした。かなり難しいご表情をなさっておりましたが、ピンクさんが小さく頷いてくださいます。
その手に支えられているグリーンさんも……涙目ながら、悔しそうな、心底許せないような、とても複雑そうなお顔をなさっていらっしゃいます。
ですが、特には何も仰いません。
これは是と捉えて問題ございませんでしょう。
「では、また。近いうちに」
華麗に踵を返して差し上げます。真に強き者は背中で語りますの。この衣装ですとホントにお背中が丸見えでしょうけれども。
別に次回の待ち合わせは必要ございませんわよね?
いつお出かけできるかも分かっておりませんし。
それに、ピンクさんの居所ならカメレオンさんにお聞きすれば分かると思っておりますの。アジトまで攫ってこれたということは、普段の活動場所をご存知なのでしょうから。
すたたと走って、素早く物陰に隠れて気配を殺します。
私、ワープとかそういう幻術の類は扱えませんの。
姿を消した感が出れば別に何でもいいのです。
そろそろ最終レースも終わった頃合いでしょうか。
保護者の怪人さん方に合流いたしましょう。
今日はもう、とっても疲れてしまいましたの……。