できるかできないかじゃないですの。
決め台詞の直後、私の身に纏っていた衣服がドロリと溶け始めました。瞬く間に黒いセミフォーマルワンピースが形を失っていきます。
ワサワサと私の肌の上で蠢いておりますの。弄られているようでくすぐったいですわね。
ハタから見ればドロドロの寝袋に包まれた美少女ちゃんが妖しく微笑んでいるように見えることでしょう。しかも限界ギリギリの爆弾を所有中ともなれば、まさに地雷女そのもの、近寄りがたい存在間違いなしですの。
ちなみにこの間たったの2秒の出来事です。
集中力が極まって、時間が遅く感じられているのでございます!
はてさて、本題に戻りますが、今回は魔装娼女に変身するわけではございません!
なったところで爆発を止められる段階は既に過ぎてしまっておりますし。まさに秒読みなんですし。
では、何故に〝偽装変身〟と呟いたのか。
それは咄嗟に思い付いたこの秘策の為ですの。
爆発を〝食い止める〟のではなく、被害をできる限り〝抑え込む〟のが目的です。
スカート部分を形成していたドロドロを杖へと変形させます。今回は太めのモノをご用意させていただきました。
両手でしっかりと握れるサイズですの。しかも結構な重量感がございます。長さはだいたい1メートルほどでしょうか。
一旦、他の衣服の部分もドロドロに溶かしてしまいます。
最低限の量だけ身体に残しておきまして、残りは全て、爆弾の周りをすっぽりと包み込むことに費やして差し上げるのです!
手元の直方体に黒泥をコネコネと貼り付けてまいります。なんだか幼少期の粘土遊びを思い出しますわね。
こうしてバレーボール大の不可解なヌメヌメが完成いたしました。かなりの密度がございますが、常に一定の柔らかさをキープさせております。
今もウニョウニョと奇妙に蠢いておりますの。
ここまでで更に8秒を費やしてしまいました。
心なしか手元の物体から聞こえてくるカチカチ音が大きくなってきたような気がいたします。
いきなりの本番となってしまいましたが、今こそが正念場なのです。失敗したら今日の全てが水の泡と消え果ててしまいます。
「さぁ。9回裏のツーアウトまでまいりましてよ。ここで大アーチを放つのが華というものですの」
小さく呼吸の整えたのち、片腕でその黒い塊を真上に放り投げて差し上げます。高さは、ざっと4メートルほどでしょうか。
偽装変身のおかげで筋力がアップしておりまして、ちょっとした予備動作だけで軽々と投げられるようになっております。
四番バッター、蒼井美麗。
黒泥ボールに注目しながら杖を持ち上げます。
ソロ・トスバッティングというものをご存知でしょうか。
少年野球のコーチが捕球練習の際によく行っているアレですわね。少ない動作で的確にボールを打つ為の所作ですの。
今回のはその超強化版とでも言い表しましょうか。
この特大の黒泥ボールを極太な杖バットで自ら打ち上げて差し上げるのです。
あいにく場内のスタンド席にはぶち込めませんが、代わりに空の彼方までふっ飛ばしてみせましょう。もちろんこの際ですから特大のピッチャーフライでも構いませんの。
大事なのは爆発の被害が及ばない〝遥か上空〝までこの爆弾を移動させてしまうことにあるのです。
再度降ってくる間に、両手でしっかりと杖を握り締め、地面に対して垂直に構えます。
そのまま片足に全体重を乗せて、もう片方の膝を軽く曲げて、一本足で立ちますの。
股関節、膝、そしてつま先。この三点が一本の線で繋げるように構えてタメを作り出します。
ただ上半身を捻るのではありません。また腕力に任せて無闇に振るうのでもございません。
脇を締めて、肩も開かないようにして、あくまで軸となる下半身で身体全体を捻りあげるようにしてコンパクトかつ実直に振り抜くのです!
先日に食堂のテレビで解説しておりましたの。
ちなみに私、野球経験自体はほとんどございません。
「……できるかできないかじゃないですの。
乙女なら、やるかやらないかのどっちかしかないですの!」
降りてくるボールに照準を合わせて、渾身の力でバットを振り抜きますッ!
ほんの少しだけ掬い気味に、なおかつ角度も上向きにいたしましてッ!
「ふんぬっ! ですのぉぉッ!」
どぷるぅんっ、という腐りかけの果実を握り潰したような感触が私の手に伝わってまいりました。
しかし、これでよいのです!
イイ感じに真芯よりやや下のところにヒットしてくださいましたの!
私の放った上向き45度の運動エネルギーが、杖バットを経由して黒泥ボールへと真っ直ぐに伝達いたします。
幸いゲチョゲチョの黒泥がクッション材となって衝撃を吸収しておりますので、振動次第は爆弾までには届きません。
あくまでボールの位置が移動するのみです。
これこそが私の狙いだったのですッ!
私の投擲力はそんなに優れてはおりません。
ただしバット捌きには少々の自信がありますの。
日頃から別の棒を握っておりますからね。
だから! 思いっきり投げるよりも打つ方が、遥かに効率よく、また安心安全により遠くへと運ぶことが出来るんですの!
しかも! なるべく他の人に見られないように、僅かに西に傾き始めた太陽に向けて、渾身の力でブッ飛ばして差し上げましたの!
爆発まで、あと5秒。
見る見るうちにその影が太陽の黒点と化していきます。
世のメジャーリーガーは時速200kmに近い打球速度を記録したことがあると聞いたことがございますの。今回はさすがにそこまでには至れませんでしょうが、少なくとも150kmは出せたはずです。
秒速に換算すると約40mにもなりますの。
爆発まで、あと4秒。
空中である程度失速してしまうとはいえ、被害の及ばない場所まで遠ざけるには充分な時間がありますの!
爆発まで、あと3秒。
爆弾をドロドロの黒泥で覆い包んだことにもしっかりとした理由があるのです!
ヒットした際の衝撃吸収だけでなくッ!
爆発まで、あと2秒。
さぁ、今に見てなさいましっ!
爆発まで、あと1秒。
そして。
――ほんの一瞬、辺りが真っ暗になりました。
爆発によって、大きく膨らんだ黒泥ボールが太陽の光を遮ったのです。某TV局の球型建造物レベルにまでサイズアップなさいましたの。
幸いすぐに元の大きさにまで収縮いたしましたので問題はございません。一部始終を見られた方は早々いないとは思いますが、おそらく目にした方はビックバンに遭遇したかのような錯覚になられたかと思われます。
それからやや遅れて、打ち上げ花火を観に行ったときのような衝撃波が私の肌を震わせました。ボフンという丸みを帯びた音も聞こえてまいりましたの。
「…………ふぅ。まさに間一髪でしたわね」
あと10秒でも発見が遅れていれば。
爆発霧散していたのは私の方だったかもしれません。
見た感じは周囲への被害は無さそうです。
私の懸念もこの様子なら大丈夫そうでしょう。
飛び散った破片が空から無数に降り注ぐような、そんな惨たらしい光景は見たくありません。
変身装置由来の黒泥で包んだ一番の理由がコレですの。バラバラに砕け散った爆弾のパーツを、その数だけ覆い尽くして差し上げられるのです。これなら落下しても雨と同程度の威力にまで軽減させられましょう。
それに四方八方にピチピチと飛び散ったとしても、最終的には自動回収が可能となっているのです。遠さの分だけ相応に時間は掛かってしまいますけれども。
「さーてそろそろ戻ってきてくださいましー、私のお洋服さん方ー。このままでは表を歩けませんのよー」
虚空に向かって呼びかけて差し上げます。
あの多量の黒泥塊がなければ、とてもではありませんが衣服を再形成することはできません。
手元にはホントに必要最低限の分しか残しておりませんからね。杖バットの分を戻したとしても、マイクロビキニがスクール水着になるか否かというギリギリの具合なのです。それくらい厳重に爆弾をケアさせていただきますの。
「うう……ここが人通りの少ないところで幸いでしたの」
このままで出歩けばいずれ注目を集めて、場内のスタッフさんを呼ばれてしまうのが関の山ですの。淑女が痴女扱いされてしまうだなんて、末代までの恥ですからね。
「それでも……汚い花火を見なかっただけ、今回はヨシといたしましょうか」
安堵のため息を吐き、そっと微笑みを零します。
終わりよければオールおっけーなんですの。
気長に再集結を待って差し上げましょうか。