当たらなければどうという
「塗り潰しは上段からナ。まず、最左端の前日発売にはノーチェック。買いたいのは当日のレースだからよぉ。その横の開催場名の欄はトーキョーを選んでおけ」
「はいですの」
あ、ここ首都圏内だったんですのね。いきなり転移してきたものですから地理関係が曖昧だったんですの。
用紙には他の競馬場の地名と思しきモノが十種類ほど書かれておりましたが、言われた通りの欄だけを黒く塗っておきます。
「そいじゃお次はレース番号の欄。今日の初っ端だから第一レースんトコを塗るべし」
「ほいですの」
詳しく見てみると1から12までの数字が書いてありました。つまり今日は12回もお金を増やせるチャンスがあるということですのね。
前半に稼いで後半は流すのでもよし、午前は様子見して午後に全力を注ぎ込むでもよしですの。私はこの第一レースこそが勝負と考えております。茜の言葉をお借りするならまさしく先手必勝なんですの!
それでは第一レースの欄をぬりぬり、と。
「今度は買う式別の欄だナ。表面と裏面それぞれで一種類ずつ選べるようになってる。だから今回は表が〝単勝〟、裏が〝複勝〟ってな感じで両面を使うんだ」
「へへいですの」
表面が単勝、裏面が複勝ですのね。どちらも間違えないように該当の丸を丁寧にぬりぬり、と。
ちなみにちらりと確認したところ裏面には開催地とレース番号の欄はございませんでした。システム上の都合か、または手間短縮の為に省いておられるのでしょう。
ともかくこれでバッチリですの。
カメレオンさんのお顔を見て、準備ができたことを暗にお伝えいたします。
「一応補足で言っとくがこの用紙では一面につき四つまでの買い目が入れられるようになっている。裏表合わせると計八つってことだナ。
別の馬の単勝や複勝を買いたいときは同じ紙のままでイケるが、三連単とか馬連とか全く別のを買うなら紙自体を増やす必要があるってこった」
「はっはーん、なるほどですの」
別の買い方にも浮気したくなったらその際は新たに使わせていただくことにいたしましょう。
慣れるまでは単勝複勝でいい気がしておりますの。手を出せて……ワイドくらいでしょうか。
カメレオンさんの方に視線を戻します。
「ここまでが前準備としてやらなきゃなんネェこと。こっからが予想の反映だ。下段の方に移るぞ。
単勝も複勝も一頭のみの書い方だから、一番左の欄の1から18までの丸のうち、お前が買いたい馬番のを一つだけ黒く塗り潰せ」
「ほっほ、ほほいですの」
ええと、私の惚れ込んだお馬さんは4番のスモールサンセットでしたわよね。ですから4の丸を塗る必要がある、と。
当たる期待を込めてぐりぐりと濃いめに黒くして差し上げますの。
「最後に買いたい金額の欄だナ。最低は百円刻みで買えるが、千円や万円単位でも買えるようになってる。自信が有るなら大きな額で勝負すりゃいいし、無いなら少額に抑えておけばいい。まぁ最初だし今回は様子見が無難だろう。
ちなみに書き間違えたら最右の取消の欄を塗り潰しておけばイイからナ。新しく下段に書き直せ」
「了解ですの」
よく見てみれば欄上に小さく〝1着・1頭目〟や〝2着・2頭目〟と書かれておりますの。それぞれの丸の位置が分かれているんですのね。
凡ミスをしないように気を付けませんと。
「ということは、4番の単勝はイッチまんえーんにしてぇ……、複勝についてはサンまんえーんにしておいてぇ……っと。よーしこれで完璧ですの!」
書き上げた投票カードを天に掲げます。
「いやお前、閣下からいくら小遣い貰ってきたんだ……? 最初は様子見にしとけと」
「ふぅむ? この5諭吉だけですけれども? あ、そういえばご主人様からご通達をいただいておりますの。〝足りなくなったらカメレオンの奴に奢ってもらえ〟とのことです。頼りにしておりましてよっ!」
下着に挟んであったお札を取り出して、彼の背中をパシリと叩いて差し上げます。気さくな触れ合いですの。私の愛に満ちた全財産ビンタが炸裂ですの。
手持ちの5分の4と考えれば少々大きくは感じられますが、金額的にはそこまでではないと思います。
ほら、私そこそこのお金持ちでしたから。そもそものお話、お金の価値を気にしたことなど、ほとんどございませんし。
きっと家計の管理をしっかりなさっていたメイドさんのおかげですの。
今日は困ったらカメレオンさんが何とかしてくださるのでしょう? 総統さんもそこまで難しい顔はしていらっしゃいませんでしてよ。
あえてドヤドヤニマニマとした顔を見せ付けて差し上げましたが、カメレオンさんは渋いお顔をお返しなさるだけでした。
「ハァァァ……あんの糞上司メェ……」
あらら珍しいですのね。カメレオンさんが総統さんの悪態を吐くだなんて。ゴマ擦り当然な太鼓持ち的なキャラクターだと思っていたくらいなのです。
あ、いや、流石に今のは誇張ですけれども。近いところを感じていたのは事実なのです。ほら、側近的な役職とかですの。
カメレオンさんが額に手を当てて眉間に皺をお寄せになられております。
「……あー、いいか青ガキ。競馬の先輩として心から助言しておく。ホントに金額の変更しとかなくていいのか? 大穴馬の単勝なんて滅多に来やしネェんだ。流石の俺でも一文無しに贅沢させる気概はネェぞ」
「ふっふふーん。大丈夫ですの。コレはコレでいいんですの。先ほど貴方が仰ったのではありませんの。自信があるから大きく出たまででーすのー!」
「ケッ。俺は忠告したからナ。後で泣きつかれたって困るゼ」
競馬はオッズが全てではないのでしょう? 11番人気が何だっていうのです。勝つときはきっと勝つのです。
いや、ホントにお金が足りなくなった際は身体でお支払いを……とも内心思ってはおりますが、残念ながらカメレオンさんは私のことを買ってくださいませんわよね。
でもモグラさんなら喜んで買ってくださるかもしれません……! その際は考え付く限りのおサービスを施して差し上げて、たんまりお代金をいただくのも……うふふのふ。競馬とはまた別の夢が広がります。
「ハァ……まぁいい。どっちみち足りなくなった分は後で閣下に請求するだけだ。んじゃ――」
再びの大きなため息の後、唐突にカメレオンさんが平手をお突き出しなさいました。
私に向けて、ちょいちょいと指を折り曲げて、何かをご催促なさっているようです。
しかしその意図自体は分かりません。
キョトンと首を傾げてしまうだけなのです。
「――お前が今持ってる投票カードとカネ、一旦全部俺に寄越せ」
ほぇ……? 今なんと仰いまして?
「なっ、ななな何故ですのっ!? まさかコレが噂に聞くカツアゲというモノでして!? 俺が倍にして後で返してやるからよゲヘヘヘヘ、的なヤツでして!?」
「バーカそんなんじゃネェよ」
軽いチョップが飛んできます。スピード自体は速くありません。当たらなければどうということはございませんの。当たるのは馬券だけでいいのです。
愛の無い痛みは嫌なので華麗にかわして差し上げます。
少しも気にも留めないカメレオンさんが続けます。
「馬券はな、二十歳未満は買っちゃいけねえ決まりになってんだ。だから今日のお前の分は全部俺のモンとして買っといてやるってこと。
ちなみに代理購入もNGになってるから、俺からお前には金も馬券も渡せネェわけで」
「あら、悪の秘密結社の怪人さんがお国のイチ法律に従われるんですの? 案外弱気でへっぴり腰なんですのね」
もしや臭いと噂されるムショのご飯が怖いんですの? 娑婆の空気が吸えなくなることを恐れておいでですの?
やーい、ざーこ♡ ざーこ♡ ですのー。
ニヤニヤとしておりますと、今度は間髪入れずに強めのデコピンを放たれてしまいました。
こちらはわりと威力がございましたの。今頃指の跡が綺麗に真っ赤に残っているのではありませんでしょうか。
まったく。乙女の生肌に傷を付けるだなんてプンスカプンですの。こんなのすぐに治ると思いますけれども。
「いいか青ガキ、忘れんな。ここは俺らのアジトじゃネェ。法の下だからナ。郷に入っては郷に従え、っつーのは潜入やスパイの鉄則だ。
それに俺も競馬ファンの端くれだからサ、仕事じゃグレーもブラックもやり放題だが、趣味に関しては真っ当に向き合いテェんだワ。な? 分かってくれ」
お叱りとも詫びとも異なる、困ったような表情ですの。ニヒルさが売りの彼にしてはとても珍しい表情で……。
「むむ、そこまで仰られてしまうと……」
仕方ありませんわね。別に駄々を捏ねるようなところでもございませんもの。
渋々というわけでもございませんが、手に持ったお金と投票カードを全てカメレオンさんにお預けいたします。
「ま、安心しろや。勝ったらちゃーんと閣下に伝えといてやんからサ。後日に新たな小遣いとして手渡してもらえるだろうゼ。もちろん勝・て・ばの話だがナ。
……で、コレ本当の本当に買うのか?」
「くどいですのー。女の勘を信じてくださいましー。大船に乗ったつもりでドンとご購入いただければよろしいのです」
ご安心をと言う代わりにドンとこの胸を叩きます。
「泥舟じゃなきゃイイんだが……」
んもう。失礼しちゃいますの。今に見てなさいまし。その爬虫類面に冷や汗かかせて差し上げるんですから。
……あ、ですけど爬虫類は汗をかかないと聞いたことがございますの。カメレオン怪人さんってどっちですの? 汗かかれる側なんですの……?
真相は深い闇の中だと思われます。
目で見て観察しても……分かりっこないですわよね。