当てるよりも外す方が遥かに簡単
発券場とやらは建物内部に設けられているらしく、パドックの裏手にあった大きな建物の中に足を踏み入れます。
壁面に沿ってバーテーブルのような高めの机が至る所に設置されておりますの。その逆、椅子やベンチはあまり見当たりません。
机の端っこには淡い配色の紙が束になって置かれておりました。一枚一枚の大きさとしては一万円札を一回り大きくしたくらいでしょうか。黄緑と、青と、赤い色のモノがございます。
「お前、マークシートは触ったことあるな?」
その束からカメレオンさんが一枚ずつ掴んで、私に手渡してくださいます。
「ええと、全国模試の解答用紙とか、ああいう横並びになっている丸を真っ黒く塗り潰すモノ……という認識で合っておりまして?」
「ああ、まさにそれだ」
ただ線を引くだけだったり雑に白い部分を残してしまったりするとエラーになってしまうあのデリケートなシートのことですわよね。
とりあえず受け取ったものを観察してみますと、確かにこの紙の両面には塗りつぶし用の円が多数配置されているようです。
表面がとてもサラサラとしておりますの。縁には黒縞のバーコードが付いておりまして、この部分でも何かの機械で読み込んでいたりするのでしょうか。
「ソイツは〝投票カード〟と言ってナ。予想の結果を塗りつぶして、買う額も入れて、そんでもって券売機に読み込ませて馬券にするんだ。黄緑のがベーシック、赤がBOXもしくはフォーメーション用、青が連複か連単用の記入用紙になってる」
「ぼっくす? フォ連ぷ……なんですって?」
「馬券の買い方だよ。キチンと説明してやるから今のうちに耳かっぽじっておけ。ちょうどイイところに説明書きも用意されてるみたいだしナ」
カメレオンさんの指差しに従って首を上げてみますと、机上の壁面にポスターのような形で投票カードの記入方法が掲載されておりました。
ご丁寧にもどうもありがとうございますの。競馬の運営さん。おかげで楽しみ方を知りかけておりますの。
「記入方法も必要だが、先に馬券についてだな。馬券――正式には勝馬投票券って名前なんだが、コイツにも色々な種類があるんだ。当て方が複数あると言えば分かりやすいかもナ。
まず、一頭のみを当てる購入形式について。
〝単勝〟と〝複勝〟ってのがある。
1着を当てるのが単勝、1着から3着までに入ってりゃいいのが複勝だナ。当然単勝の方が難しいわけだからその分オッズが高くなる」
「あの……オッズってなんですの?」
「あーそうか、そこからか」
少しだけハッとした顔をなさいましたが、すぐさまいつものやれやれ顔に戻られました。
説明にお使いなさるのか、コートのポケットにしまっていた携帯端末を再び取り出してくださいます。
「オッズってのは払い戻し率のことだ。例えばの話、単勝オッズが3倍って書いてあったら、ソレを当てたら賭けた金額がそのまま3倍になって返ってくるってことだナ。勝ちそうな馬ならオッズが低くなるし、逆に穴馬の場合は高くなる傾向にある」
「ほむほむ。オッズが高ければ高いほど見返りも大きくなるって認識でよろしくて?」
とりあえず高いのを選んでおけばよい――
「ああ。その代わりに当たりにくくなるっつー課題もあるがナ」
――わけではないみたいですのね。
オッズが低いってことは多くの人から認められているってことなのですから、安心して見ていられるお強いお馬さんってことだと思ったのですけれども。何故だか含みを感じてしまいました。
「えっと。ということは、オッズが低いのは強いお馬さんなのですから、それを買い続けていればお金も増やしやすいってことですのよね?」
強いお馬さんを集中的に買って、少しずつ確実にお金を増やしていけばいいじゃありませんの。
「そこが競馬の怖いところでナ。そうとも言えるが実はそうとも言えないんだわ」
「ふぅむ?」
あらら、違うんですの?
言葉遊びが巧みすぎてよく分かりませんの。
オッズとやらが高ければその分当たりにくいのでハイリスクハイリターンになって、逆に低ければ当たりやすいのでローリスクローリターンになるという時間効率的なお話ではございませんでして?
今日一番の疑問符を頭の上に浮かべて差し上げます。ちょうど脳天付近からピョコンと飛び出した髪の毛がハテナマークを形成してくださっておりますの。
私の意図、いつも通りに汲んでくださいまし。
「いいか? オッズってのは人気の表れだ。決して強さの絶対指標じゃあない。
例えばナ、万が一人気を集めてる馬がボロ負けでもしたら、その分が全部パァになっちまう。ただでさえ普通に当たっていても返しが少ないっていうメシマズな存在なのに、だ」
カメレオンさんが手に持っていた用紙を縦にビリビリと引き裂きました。まるで失ったお金を表現しているかのようですの。
「この負け分を別の人気の馬で取り返す為には、更に多くの額を突っ込まなくちゃならなくなるわけだ。
オッズの低い馬で多額を儲ける為にゃ掛け金自体を増やさなきゃならネェからナ。結局のところハイリスクローリターンな分の悪い賭けになりがちってオチなのサ」
大袈裟にやれやれと肩をすくめなさいます。
確かに負けた分を取り返すまでずっとやるというのは現実的ではありませんの。
それに動物さんが走る以上何が起こるかは分かりませんものね。絶対無敵の超特急さんでも、初っ端で転んだりでもしたら一発アウトになってしまいますもの。
当てやすさは儲けやすさには直結しない、とのことですのね。了解ですの。しかと覚えましたの。
「競馬は当てるよりも外す方が遥かに簡単だからな。調子のいい馬がコロッと負けることだってあるし、人気のない馬がいきなり好走することだってある。
お客の期待だけが先行して実力が伴っていないなんてこともザラにあるのさ。
過剰人気な危険馬を見抜いて、影に潜んだ穴馬を見つけ出して買うのが上手に勝つコツだ。賭け金が少なくても見返りが大きい。ローリスクでハイリターンな戦い方だ。もちろん当たる保証もないけどナ」
なかなか頭を使いそうな話ですのね。先ほど教わったパドックの見方や新聞の読み方など、情報処理についての総合力を問われているような気がいたします。
お馬さんが行う作戦を読み解いて、レース展開を推測して、結果の着順を予想する……なんとも末恐ろしいギャンブルですの。
スタミナの保つ距離なのか否かだったり、雨が降っていたら地面が滑りやすくなっているかもしれなかったり、夏の暑い日には日射でバテやすくなっていそうだったりと、条件を追加すれば結果は簡単に変わってしまいそうです。
情報を増やせば増やすほど考えなければいけないことも増えてきそうです。
あ、でも、先程モグラさんが私の分かる範囲で考えればよいと仰ってくださいましたものね。何を重視するかはその人次第ですの。その都度取捨選択して考えればよいのです。
口では簡単に言えますが、実際のところは絶対に難しいですので第六感に任せますのっ!
「もし穴馬が見つからなきゃ、そんときは改めて強い馬に突っ込みゃいい。レースが荒れるか固い結果で終わるのかは終わるまでは分からんが、予想して見極めるのが競馬の醍醐味だ」
「……でも、実際お強いお馬さんのオッズは低くなりがちなんでしょう? 私、叶うならもっと少ない投資で手軽に儲け額を増やしてみたいですの」
「おうよ。そんな奴らの為に色んな買い方があるってわけだぁナ。んじゃ購入形式についての話に戻すぞ」
待ってましたと言わんばかりのカメレオンさんが、半身を乗り出す勢いでお話を続けられます。