うぶ、うぼぇぇべぇえええぇえ……
他愛もない話に花を咲かせているうちに上層の転移室へと到着いたしました。
だだっ広い部屋の中央には青い白い光を放つ大円が三つ描かれております。外観的には巨大なガスコンロのようですの。
自らこの転移施設を利用するのは初めてですので使い勝手が全く分かりません。過去花園さんを見送ったときの状況から察するに、円の内側に入っておくのはまず間違いないとは思いますの。
意を決して円の中央に立ってみます。彼女を送り出した際はこの円の中に彼女の身体を横たわらせたはずです。
ですが、この後ホントにどうすればいいんですの?
軽く辺りを見渡してみますと、少々離れた位置に佇むモグラさんも私と全く同じ表情をしていらっしゃるのに気が付きます。ちんぷんかんぷん極まりないのです。長らくこの組織にお世話になってはおりますが、科学技術の粋全てに精通しているわけではないのです。
仕方がありませんわね。
ここは一つ、一番使い方を知っていそうなカメレオンさんに問いを向けてみましょう。
「カメレオンさんー困りましたのー。転移装置の使い方が分からんちんですのー」
「ンだろうナ。そう言うと思って、昨日の間に転移担当のエンジニアに状況を伝えてある。合図を送ればすぐに指定の場所に転送してもらえる段取りにしてあるよ」
「合図、ですの?」
「手を真上に振りかざすんだ」
なるほどこんな感じでしょうか。横断歩道を渡る園児のように天に平手を突き出しますの。
もしもし? どこかにいらっしゃる転移担当者さん? この私が見えておりまして? 今まさにアナタに合図を送っておりますの。お仕事の時間ですのよ。
「あ、言っとくけどまだやンなよ。先に説明しておかなきゃいけねぇことが色々あンだ、ってお前!」
「ふぇ、っ、今更言われても遅いですの――ひぇぇえぁ!?」
カメレオンさんに注意され、手を引っ込めようとしたそのときでした。
突如として光度を増した青白い光に目をやられ、思わず瞼を閉じてしまいます。
それとほぼ同時に、円の縁から迫ってきた光の柱が徐々に私の身体を包み込んでいきます。目を閉じているはずなのにしっかりと感じてしまうほどの強烈な発光ですの。
ぶわりと圧のある風が巻き上がりました。足元を掬われてしまいます。言い表しようのない浮遊感が私の身体を覆い囲んでいきますの。
まるで天地がひっくり返ったかのような感覚です。右が左で左が右で、荒波に揺られる小舟に乗りながら、縦回転をするコーヒーカップにも同時に乗り合わせてしまったような、激烈的な気持ち悪さが私を襲います。
もれなく昨日の晩御飯が口からこんにちはしてしまいそうですの。
船酔いと熱中症と食中毒を全部一度にまとめて体感するくらいの猛烈な吐き気を感じておりますの。
頭がぐわんぐわんとして割れそうです。
うっ……うぷっ……!
アレ、今、足が床から離れまして……!?
…………うぐぅっ…………っぶっ……!?
もしかして宙に浮いてますの………!?
あ、この感覚ダメですの。
胃に直接ダメージが入りますの。
もう我慢できませ――
――――――
――――
――
―
瞼の裏側で真っ白な世界を感じること十数秒。
おそらく宙に浮いていた私でしたが、ようやくこの足に何かが触れました。固くて冷たくて平たい……こちらはきっと床でしょうか。
恐る恐る目を開けてみます。
「…………へっ……? ここどこでして……?」
目に入ってきたのは一面の白いタイル張りの空間でした。さきほどまでいた転移室とは全く異なる場所です。清潔感に満ち溢れておりますが、四畳半にも満たない狭い密室のようですの。
壁に貼られた大きな一枚鏡と、高さの異なるお手洗い場と、部屋の隅に設置された、陶器の便座……?
……うっぷ。おトイレの姿を見たら、急激に先程の感覚が鮮明になってまいりました。脳の処理が追い付きませんの。お腹の底からぎりぎりと湧き上がってくる強烈な不快感に、思わず……!?
震える足を必死に動かして便器に駆け寄ります。
そして。
「うぶ、うぼぇぇべぇえええぇえ……」
居ても立っても居られず嘔吐してしまいます。
あーコレ完全に吐き癖が付いてしまっておりますわね。
冷静なままで居られる自分が逆に虚しいです。
微かに甘い高酸素ジェルを吐き出すならまだしも、胃の中身まるごとボミッティングはかなり辛いところがございます。食道がヒリヒリいたしますの。絶賛胸焼けカーニバル開催中ですの。
吐瀉物を眺める趣味はございませんから、さっさと流してしまいましょう。少なくともこれで胃のムカムカはなくなりました。先ほどよりも更にクリアになった頭で考えます。
ここはおそらく……。
「だもぐでぎどいれでずの……?」
大きめな施設にはだいたい用意されておりますわよね。問題はどこの施設かということですの。目的地ならよいのですが、この空間だけでは右も左も分かりません。迂闊に一人で外に出るのもマズいような気もしておりますの。
「ぁー、何にぜよ、先にうがいじだいでずの……」
口の中が苦酸っぱいままなのです。
「ホラよ、水」
「あら、わざわざずびばぜん……の!?」
振り向いた先にいらっしゃったのはカメレオンさんでした。いつの間にご転移なさったのでしょうか。冷たいペットボトルを頬に押し当てられてしまいました。
色々と伺いたいことはございますが、ひとまず彼のご好意に甘えまして、ペットボトルの水を口一杯に含みます。そのままがらがらぺっぺと口の中を濯いでからまたも便器の中に吐き出します。
二、三度繰り返すと不快感が和らぎました。
「うう……すみませんの。だいぶ楽になりましたの。それとお気遣い感謝いたしますの。まさか転移にこんなトラップがあったとは……」
「いくつか対処法は有るんだけどナ。ソイツを聞く前に転移しちまうんだから困ったもんだゼ。ま、自業自得ってことで諦めな。見てみろ、モグラの野郎も相当グロッキーだが、お前よりは数倍マシだろ?」
彼の言葉に首を上げると部屋の対隅に居るモグラさんの姿が目に映りました。そこそこ顔を青くなさっていらっしゃいますが、確かに吐くほどでは無さそうですの。
まったくもう。大事なことは先にお伝えくださいまし。私が悪いのは重々に承知しておりますが、開き直って差し上げます。
口元を拭いつつ、私は便器を支えにして立ち上がりました。