私を、オトナにしてくださいまし
頭の中を沸騰させながらも、私はドンドンと読み進めていきました。
それこそ一度は意識してしまった時間を忘れてしまうほど、自分でも惚れ惚れするような集中力で記載された内容を逐一吸収していったのです。
「…………ふぅ」
パタリと最後の教本を閉じ終える頃には、もはや私は熟練の兵のような心持ちになっておりました。
知識という鎧で身を固めた今、もはや夜のお戯れは未知なる世界ではありません。脳内イメージでは百戦錬磨の仕上がり間違いなしなんですの。
しかしながらこのままでは舌先三寸なだけなのです。口八丁手八丁に至るにはやはり実践あるのみで……え、待ってくださいまし、実践?
実践ってやっぱり……本番ってことですの?
無意味な自己激励に失敗して再び我に返ってしまったちょうどそのときでございました。
コン、コン、と。
朝に耳にしたのと全く同じリズムで、私の部屋のドアがノックされたのです。
「ひゃひゃいっ!?」
動揺のあまり声が裏返ってしまいます。体中を巡る血液が勢いよく沸騰し始めたのが分かります。体がとにかくホットですの。気分高揚で頬紅葉ですの。まったく何を言っているのかしら。
「俺だ」
「どどっ、どうぞっですのっ」
ドアの向こう側から聞こえてきたのは総統さんの声でした。私の応答を受けてか、ゆっくりと扉が開かれていきます。
既に隙間から白い軍服が覗き見えておりますの。今朝と何一つ変わらぬご格好のはずなのに、その分彼の印象が真っ先に飛び込んできてしまって、早速頭の中が空っぽになってしまいそうです。
図らずもキュッと身構えてしまいます。
こんな真っ赤なトマトみたいな表情を見られるわけにはいきません。急いで近くにあった枕を引き寄せて顔を隠します。
「よう。……その様子だと、ちゃんと読んでくれたみたいだな」
「え、ええ。真面目な性分が売りですので」
枕に顔を埋めたままお応えいたします。少々行儀が悪いですがお許しくださいまし。
貴方と顔を合わせたくないのではないのです。ただただ恥ずかしくて見られないだけなのです。
「すまんな。怖かったよな。警戒させちまったか?」
数歩ほどの足音の後、彼のお声は正面から聞こえてまいりました。この目と鼻の先に……きっと、総統さんが立っていらっしゃるのです。
私の発言次第では今すぐにでもこのベッドに飛び込んでくるのかもしれません。緊張の一瞬ですの。自ずと言葉選びにも慎重になってしまいます。
「……いえ。ただ、正直に言わせていただくといきなりあの内容はビックリしてしまいますの。でも、おかげで自分の置かれた境遇を察せましたの。……だから、怖くはありません。えっと、その」
今はもう心でも頭でもキチンと理解しているつもりです。
私がここに居る役割とは、つまりは貴方の〝お相手〟をすることなのだ、と。そして、それはこれから行われようとしているのだ、と。
よくよく考えてみれば彼は悪の秘密結社の総統様なのです。両手には華が添えられているのが当然です。その華に私を選んでいただけたのであれば、むしろ光栄とも思うべきなのでございましょう。
幸か不幸か、不思議と嫌な気持ちはありません。実際に総統さんに命を救われたからなのか、義理と恩を感じているからなのか、この胸のドキドキが単なる緊張だけではないからなのか……明言するには難しいところがございます。
「……一応、心の準備は、できてますの」
「そうか」
私の回答に彼は意外なほどさっぱりとした一言だけを発せられました。それ以降は特に何も仰られません。
静寂だけがこの部屋を支配いたします。
漂う空気に耐えられそうにありません。
「えぇえっとですねっ。私も茜さんもっ、総統さんには沢山お世話になったことですしっ? 貴方がお望みとのことであればっ、もちろん、今夜、これからでもっ……」
胸の鼓動の早まりに急かされて、ついつい余計な言葉が飛び出てきてしまいます。
ええい、しっかりするのですっ。指南書を読み終わったときに覚悟を決めたのではなくって? この身を捧げることくらいなんだというのです。
そもそもこういうのは最初が肝心なのです。舐められてしまっては終わりなのです。もちろん初めての経験なので恐れも多いのは事実ですが、虚勢を張ってスタートから主導権を握るくらいでないと、最後まで我を保てそうにありませんの。
勇気を振り絞って、枕から顔を離します。
そしてそのままキチンと正座し直すのです。
指先の震えは気合いで抑えつけまして、両の手の平を体の前側にハの字に置きます。
ゆっくりと額をシーツに擦り付けますの。
回りくどく言い表してみましたが、いわゆる〝土下座〟というものです。お借りした本にも書いてありましたの。これは行為の前の誠心誠意さを表す基本の型なんですって。
「ふ、不束者ではございますが、この蒼井美麗、精一杯頑張らせていただきますので、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろ――」
「ブルー。そう畏まらなくていいよ。もっと気楽にしていてくれ。俺も無理矢理を強いるつもりはないからさ。な?」
「……うぅ。そう言ってもらえると、一安心ですの。心臓バクバクで、今にもはち切れそうでしたから。はぁぁぁああ……」
彼の配慮に満ちたお言葉にほっと胸を撫で下ろします。お行儀が悪いですが早速足を崩させていただきます。ついでに顔も上げさせていただきました。
今朝と変わらぬ優しげなお顔がそこにございました。
「やっと顔見せてくれたな。横、座っていいか?」
「え、あ、はいですの」
「ありがとう」
終始柔らかそうな微笑みを浮かべたまま、私のすぐ横に腰掛けられます。
彼からほんのりと汗の香りが漂ってきました。私の鼻腔をくすぐります。何故だかきゅんと胸が高鳴ってしまいました。
自然と目線も彼の方に向いてしまいます。襟元から覗く首筋や、服の上からでも分かる引き締まったお身体から目を離すことができません。
一瞬にして彼に全ての感覚器を奪われてしまったような錯覚に陥ってしまいます。自分でも彼のことを意識してしまっているのが分かってしまい、恥ずかしさを通り越して複雑な心境ですの。
「ぶっちゃけな、合意なんか無くったって事には及べるんだ。ただお前を力で捻じ伏せてやればいい。でもさ、それじゃ意味がないんだよ。誰かを恐怖で支配すんのは――もう、疲れちまったんだ」
「……なんだか、それなりに深いエピソードがありそうですわね」
「ああ。こう見えて俺も結構バラエティに富んだ人生を歩んできてるからな」
草臥れた嘲笑が見え隠れいたします。彼にしては珍しい憂いに満ちた表情でした。ほんの少しだけ彼の背中が小さく見えました。
ふっと息を吐かれた後、真っ直ぐな瞳で私を捉えなさいます。
やはり目が離すことはできません。
蛇に睨まれた蛙と言うより、彼の整った顔立ちに釘付けにされてしまっている感じですの。
彼を形成する全てのパーツが寸分狂わず整っているような気がして、まるで美しい宝石に魅せられてしまっているような気がして……。
誤魔化しようがないほど、私は彼に見惚れてしまっているのです。
ああ。気付いてしまいましたの。
私、やっぱり、総統さんのことが。
「……なぁブルー。俺とは、嫌か?」
「…………ふふっ」
小動物のような彼のご様子に、つい微笑みが溢れてしまいました。
「まったくデリカシーのないご発言ですこと。何を今更、こんな本なんか読ませて骨の髄まで私に意識させておいて。
本当に嫌ならお部屋に入れるわけがありませんの。頬を引っ叩いてでも追い出してますの。
……でも、そうしていないってことはつまり、ですのっ。これ以上乙女の口から言わせないでくださいまし」
彼の背中をバシリと叩きます。馴れ馴れしい行動に自分でも驚いてしまいますが、手の平に返ってきたこの痛みが照れ隠しの為なのだと思い返させてくださいます。
手の届く位置に彼の身体があることを再確認して、じわじわと痛みの広がるこの腕を見つめ直してしまいます。
うふふ。これも運命なのでしょうか。
命の危機を助けていただいたとか、吊り橋効果に絆されたからとは思いたくはありません。
彼の優しさに、人柄に、惹かれたのです。
彼になら私の全てを委ねてもよいかと思ってしまいましたの。
「総統さん。貴方のお好きにしていただいてよろしいですの。私を、オトナにしてくださいまし。私を――貴方のモノにしてくださいまし」
ああ。言ってしまいました。
もう引き下がることはできません。
私はゆっくりと目を閉じ、そして……彼の体に寄りかかるように、この身を預けます。
「優しくするよ。あと絶対満足もさせる」
「せいぜい期待しております……のぁっ」
ゆっくりと、目を閉じました。
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「……はぁ……はぁ……♡」
「……そう、とう……さん……♡」
「……そうっ……とうっ……さんぁ……♡」
「……さっきからっ……身体が……おかしいん……ですっ……のっ……♡ 何かがっ、またっ、昇ってぇ……♡」
「……あた、ま……おかし、く……♡」
「もっと……もっとぉ……愛、してっ……くだ……ぅぁっ……♡」
「……ふぇぇ……もう、一回……?
もちろん構いませんっ、け……あっ……♡」
「……はぁ……はぁ……うぅっ……♡」
「……まだ、まだ、元気……ですのね……凄いですの……いいですのよ……何度でも、お付き合い……いたしっ……ひぁっ……♡」
「……はぁぁ……はぁぁ……♡」
「……こんなの……知ってしまったら……もう、元に、戻れる、わけなんてぇ……♡」
「……ひぁぁあ……そんな、とこ……♡」
「……はぁぁぁあ…………♡」
「…………ッ……♡」
「…………お腹、いっぱ…………♡」
「……でもっ、あといっかい……もっかいだけ……です、か……らぁ……♡」
「……あはぁ……またきたぁ……ですの……♡」
「……っ…………♡」
「……………………もっかい……♡」
「……へぁ…………へぁぁ…………♡」
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