喉仏がトロトロに蕩けてしまいそうな
「……こんなの……こんなのっ……て」
総統さんから〝教本〟を手渡されてから、どれほどの時間が経ってしまったでしょうか。
「……ふー……っ、ふー……っ」
手元に広がる未知の世界に、つい鼻息が荒くなってしまいます。ページをめくる度に見たことも経験したこともない男女の愛の形が具に書き記されているのです。それも全部のページに分かりやすいイメージ図まで付いておりますのッ!
ええ、ホントですの!? そんなっ、殿方のアレが、そんなところに、そんな体勢で……っ!? へぇぁえ……!?
幾度となく脳内で無意味な問答を繰り返してしまっては悶々としてしまうばかりです。思い浮かんだイメージが素直に頭に刻み込まれてしまうのです。
読み進めるには前提となる知識も経験も少ないはずなのですが、その足りない部分を適度に想像と妄想が補ってしまい、結果として頭の中がバチバチとショートしてしまいます。
書かれた光景を想像すればするほど、恥ずかしさのあまりに全身の肌が熱を持ってしまうんですの。
その度に冷たいシーツやベッドの支柱に身体を押し付けてはおりますが、あんまり冷却の効果は現れてくださいません。
だってだって、魔法少女だった頃は恋愛のれの字はおろか、男女間の形なんて考える隙もなかったのです……!
いきなりこんな資料を手渡されては、その、私も困ると言いますか、心の準備をする暇もなかったと言いますか、その、私に対してこういう本を手渡されたということは、つまり総統さんは、ええと、私との行為を期待されているというわけであり、あっと、言い換えれば、私のこの結社での役割というのは……あえぇえ!?
うぅぅ……ほら、こんな感じに、ですの。
「ほ、へぇぇぇ…………」
ついには脳内でボフッという小規模な爆発まで発生してしまいました。前後左右の感覚が分からなくなり、力無くベッドに倒れ込んでしまいます。
幸いにもふかふかのマットレスが支えてくださいましたので外的ダメージは皆無に等しいのですが、それでも火照ったままの心と身体は少しも収まってくださいません。
むしろどんどんと増していくばかりです。
「こ、これってつまり、私は、私はその、総統さん、と……!? ほぇぇぇえぇえ……」
わ、私だって思春期相応な乙女なんですの……ッ! 興味なんて今まで一度も抱いたことはありませんでしたが、いざこんなモノを手渡されて意識させられてしまっては、頭の中が真っ白になってしまうのも仕方ありませんのーっ!
ぎゅむむと枕を抱きしめます。
そのままベッドの縁から縁までゴロゴロと身悶え転がります。
あぁダメですの。全然落ち着けませんの。
未だ頭の中では本の中身が駆け巡っております。何の為に行為に至るのか、なぜ身体を重ねる必要が有るのか、営みによって両者に何が得られるのか――
渡された本には全てが赤裸々に書かれておりました。
ハジメテの私にはとにかく刺激が強すぎる内容なんですのっ。脳裏に張り付いてちっとも離れませんのっ。ああもうっ。……くぅぅ。
こんな感情、淑女としてはきっと間違っておりますの。ポイと突っぱねてお断りすればそれで万事解決なんですの。
しかし、ですわね。
貞操観念も振る舞いも常に一流にと心掛けて生きてきましたが、つい先日に全ての枷を無くして自由に生きると決めた、その矢先の出来事なのでございます。
こんな魅力的で蠱惑的で扇情的な内容を脳に直接刻み込まれては、今更興味がないとは言い切れる自信がありませんの。
もちろん相応に怖さはありますが、それ以上に脳の奥から沸き出でる好奇心の方が優ってしまっているのです。私の中に眠る本能的なナニカが呼び起こされてしまったような気がしてなりません。
こうやって読んだりショートしたり暴れたりを何時間も繰り返しているうちに、行為への理解と期待が深まってしまい、読み始めた朝から今の今まで悶々としてしまっているのです……!
「っていうか、そういえば今は何時なんで、す、の……ぇ嘘ぉ!?」
我に返ってテーブルの上を眺めてみれば、目覚まし時計には19時と表示されておりました。
「ええ!? もうこんな時間ですのッ!? あと一冊まるまる残っておりますのに!? 心構えをする時間はありますの!? それとも無いんですの!? どちらで!? いったいどちらになりそうでして!?」
居ても立っても居られずに足をバタバタさせてしまいましたが根本的な解決にはなりません。むしろ反動で体が浮き上がってしまいます。
このままベッドから転げ落ちられたら少しは頭も冷えるのでしょうが、今はそんなことをしている時間もありません。
どうしましょう。総統さんは夜にまた顔を出すと仰っておりました。こんなテンションも情緒も不安定な姿を見せるわけにはいきません。
今読んでいるコレを読み終われば少なくとも今朝方に言い渡された依頼はクリアすることができます。学校の難しい問題に比べれば書き記された内容を覚えることなど造作もありませんの。熟読したと言えそうです。
そうしたら一息つけるはずなのです。
「真面目なこの性格が、今は本当に悔しいですの……ッ!」
指南書に記された欄外の備考やピンポイントアドバイスにもしっかりと目を通します。
なになに、殿方を喜ばせる方法……!?
耳元で囁くべき言葉20選ですって……!?
うわぁ……うわぁ、ですの……!
どこの誰がこんなセリフ思い付きましたの……?
この本の作者様が実際に言われた言葉ですの!? それともご自分で一つずつお考えになって好き勝手にお書き殴りになった叡智の結晶ですの!?
聞いただけで耳の中がふわふわしてしまいそうな、発しただけで喉仏がトロトロに蕩けてしまいそうな言葉の数々に、身体の芯から震え上がってしまいます。
とにかく刺激が、強すぎるんですの……ッ!!!
「…………ひ、ひぇぇ…………♡」
好奇心を通り越して恐怖を感じてしまいます。けれど、不思議なことに目に飛び込んでくる情報に不快感はありません。
私にこんな分野の知識欲があったとは、いやはや世の中捨てたものじゃありませんわね……って違いますの! 今はちょっとだけ冷静さを失ってしまっているだけですの! 度を超した興奮のせいで訳が分からなくなってしまっているだけですの!
こんな姿、とてもではありませんが茜さんやメイドさんにお見せするわけにはいきません。
そもそも総統さんに見せるのだって恥ずかしさの極みに違いありませんの。
ふと総統さんのお顔が脳裏によぎってしまいます。また更に顔が熱くなってしまいます。
だって、だって。
コレらの本を私に直接手渡されたということは。
そして夜にまた顔を出すということは。
合言葉は〝姫始め〟なのだと仰っていたということは。
もちろんこの三文字の意味は渡された本の中に記されておりました。今は新年早々ではありませんが、私がこの施設にお世話になってからの〝最初の体験〟と考えれば全て合点がいくのです。
もしかしたら早速今日がその日になってしまうのかもしれません。合言葉はその暗示だったのかもしれません。
「はえぇぇええぇ……心の準備がぁぁ、全然できてませんのぉおお…………っ」
ホントにどうしたらいいんですのっ!?
1%、いえ5%くらいは実体験の方にも興味を示してしまっている自分がおりますし、せっかくのご好意で身の安全を保証していただいているところもありますし、私にも彼のお力になれることがあればとは常々思っておりましたけれども……!
総統さんのことを考えると、お腹の奥底がキュッと締め付けられるような感覚になってしまいます。
お昼を忘れたことによる空腹のせいだと思いたいのですが、別の理由のような気もしてしまい、また頬が熱くなっていくのを感じてしまいます。
うう、考えるな、感じろですの。でもそれはそれでいけないことのようにも思えますの……!
そうですの! こういう思考のループに陥ってしまったときこそ目の前の本を、教本を読んで勉強モードになって気を紛らわせられれば……!
「…………きゅぅぅぅ……ですの」
ダメですの。余計に思考が駆け巡りますの。
既に万事が休しているような気がしてなりません。
ページをめくる手だけが唯一の心の頼りにも思えます。人間万事、塞翁が馬ですの。背水の陣ですの。
ああ……妄想が、捗りますのぉ……。